激動の永禄十年
永禄十年(一五六七年)二月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
俺が朝倉に気を取られていると、畿内で大きな動きがあった。黒川衆の知らせによると三好義継が出奔し、松永久秀のもとに身を寄せたと言うのだ。
なんでも、三好義継は実権を三好三人衆に奪われていたらしい。そのことを重く見た足利義栄は三好義継を軽視し、三好三人衆を重要視してしまったのだ。
それに不満を覚えた三好義継が家臣と共に松永久秀のもとに身を寄せているというのだ。これまで劣勢だった松永勢がこれで息を吹き返し始めた。
そしてその余波が俺のもとに届こうとしている。松永久秀が俺に助けを求めに来たのだ。松永と俺は密約を結んでいる。同盟関係だと言っても過言ではない。
更に言うのであれば、松永久秀は今となっては反三好だ。反三好になってしまったのだ。そうなると必然的に反義栄にもなる。つまりは義秋派だ。この時代、こうも簡単に主君を変えるものなのか。
なので、派閥が異なるからと言って断ることは出来ない。義秋の許可が無いと動けないと告げると、直ぐに義秋の許可を取り付けてきた。なんとも行動が早い。
これには応じざるを得ないだろう。となると、俺が行うことは何か。直接的に三好と事を構えることはしない。したくない。しかし、松永久秀を支援しなければならない。
松永が治める大和、それから北畠が治める伊勢、志摩、伊賀と領地を繋げることである。そこから導き出される答えは、南近江の制圧である。
六角義治は三好三人衆の圧力に負けて匿っていた義秋を追放した経緯がある。そして義秋はそれを根に持っている。討伐の許可は下りるだろう。
六角承禎としては業腹ものだろうな。義治を廃嫡したいに違いない。反三好だった六角も代替わりで日和ってしまったか。家中をまともに掌握できていないのだ。さもありなん。
足利義輝には幕臣として頼りにされていたのに、その弟に討伐の命を下されるなど、夢にも思っていなかっただろう。しかし、これが現実だ。まあ、俺がそうなるよう、仕向けた節はあるが。
ここまで予見していた訳ではないのだが、蒲生賢秀と誼を通じておいて良かった。反六角勢を取りまとめてもらい、南下する。それと同時に松永に挟撃の依頼をするのだ。
高島郡は既に俺が支配を強めている。浅井郡と伊香郡、坂田郡は浅井が支配している。残るは八郡。蒲生郡は蒲生が支配を続けるだろう。甲賀郡を治めるのも骨が折れそうだ。ここは黒川与四郎に相談する。
せめて滋賀郡を押さえたい。栗太郡や野洲郡は松永に任せることにしよう。しかし、これも全ては捕らぬ狸の皮算用である。そこまで上手くいくとは思っていない。
さて、今回の戦の主題だが、義秋が怒っていることを六角に伝えるための戦ということにする。なので御教書、いやせめて御内書は頂戴したい。いや、来なければ動かない。全く、厄介なことに巻き込んでくれたものだ。
「誰ぞある!」
「はっ」
やって来たのは近習の南条元清であった。俺は彼にこう尋ねる。
「本多弥八郎と……そうだな、真田源五郎を連れて来てくれ。あとは今すぐに動かせる兵数を調べてくれ」
「かしこまりました」
今回の考えについてどう思うか二人に尋ねる。正信は俺に諫言することができるだろうか、真田昌幸はどうだろうか。もし、俺の考えが間違っていた場合、訂正することが出来るか見物である。
乗り気ではない俺は時間を掛けて準備を進める。ただ、領土を南に拡張できるのは俺にとっても利が大きい。特に滋賀郡は琵琶湖沿いだ。ただ、平地が少ないのが難点である。
将軍位争いに巻き込まれたくなかったのに、結果として渦中に巻き込まれることになってしまった。今から叔父の周暠を擁立するわけにもいかない。
そんな俺のもとに最悪な知らせが届いた。不運とは重なるものである。尼子義久が月山富田城を奪還しに挙兵し、進軍しているというではないか。
大内輝弘の乱が続いているのを良いことに挙兵に踏み切ったのだ。悪いが今回は支援をするつもりはない。戦うのであれば独力で頑張ってほしい。
そのすぐあとに良い知らせも来た。悲しい知らせの後に良い知らせが来ると相場は決まっているのだ。その知らせというのは毛利が三村を見限り、我らに付いたという知らせだ。
所謂、密約というやつである。毛利が得意とするところだ。
前々から三村を討伐させて欲しい、三村の所領を美作の国衆たちに返して欲しいと毛利に伝えていたのだが、それが認められた形となった。これで美作と備中を合法的に奪うことが出来る。
これは毛利が包囲網を敷かれるのを嫌ったのだろう。我らを懐柔しておけば東からの圧はそう強くはない。備中と美作の国主が我らになるだけであって、毛利としては何も変わらないのだ。
我らも三村もどちらも毛利の同盟国なのだから。そのお礼と言わんばかりに尼子義久が進軍を始めたこと、我らは手を出すつもりはないことを伝える。俺が大事にするのは勝久だけだ。
西に関しては前に命じた通り、明智十兵衛に一任する。俺が口を出しても良いことはないし、これから領地が広がった場合、誰かに任せなくてはならないのだ。
激動の永禄十年が今、始まろうとしていたのであった。