能登政変
永禄九年(一五六六年)十二月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
能登で政変が起きた。守護家の畠山親子が追放されるという政変が。その畠山義続と畠山義綱の親子が後瀬山城を訪れていた。どうやら岳父である六角承禎のもとに向かっているらしい。
「突然の来訪、申し訳ない」
「お気遣いなされまするな。心中、お察し申す」
互いに頭を下げあう。どうしてこうなったのか説明しよう。これから高島郡を制圧するため、足利義秋に文を送ったのだ。義秋の地盤とするため、高島郡の盟主に推してほしいと。
もちろん、その見返りに多大なる援助を約束するとも告げた。そして俺を盟主にしなければ朽木と高島はいがみ合ったままであり、それは義秋にとって損だと利を説いたのである。
その返書を持ってやって来たのが畠山親子なのだ。追放され、六角を頼ろうと越前を通るときに目通りしたのだろう。無視すれば不敬と言われていたかもしれない。
そこで我らに会うために彼らが返書を持って後瀬山城にやって来たのだと推測している。能登を取り返すために猫の手でも借りたいのだろう。義秋の好感度を上げて征伐軍を動かしてもらうつもりなのだ。
だが悲しいかな。義秋の目は北を見ていない。南しか見ていないのだ。自分が将軍位に就けるかどうかが彼にとって最重要なのである。
しかし、我らの元に訪れるとは。文は河野藤兵衛続秀の娘なのだ。其方たちを追い出した遊佐続光側の娘なのである。いや、そもそもは畠山義続の家臣だ。それであれば面識はあるのかもしれない。
「ありがとうございまする」
「長旅にてお疲れでございましょう。ごゆるりと滞在なされませ」
「忝のうございまする」
「今宵は宴といたしましょう。久太郎、手配を」
「ははっ」
厄介ごとを抱えてしまった。さっさと追い出したいが、そうもいかない。一日二日、ゆっくりと滞在してもらい、そして六角に向かってもらうとしよう。
こういう時に蒲生を使うのだ。遣い番を走らせる。六角の客人が滞在しているので、護衛を送ってほしいと。本当に追放されたのだろう。数人の家族と僅かな手勢。付き従うのは飯川光誠のみだ。
畠山義綱の子二人は連れて来れなかったようだ。その代わりに義続が子を連れている。言わば義綱の弟妹である。重臣たちには必要ないとみられたか。それもそうだ。傀儡となる次期当主の身柄さえ押さえておけば問題はないのだから。
その夜、俺は宴を開いた。畠山親子を歓迎するための宴だ。このまま南下していくときに、我らの評判を上げてくれれば安いものである。
「申し訳ござらんなぁ。斯様な宴を開いていただいて」
「お気になさらず。存分に楽しんでいただければ。遠慮なさらず、家臣の方々も。いや、飯川殿は忠臣でございますな」
慣れないおべっかを使い、畠山親子を接待する。能登畠山氏は幕府の相伴衆である。対して我らは国持衆である。こと幕府内では家格が下なのだ。
宴も酣となってきたころ、畠山義続が俺に擦り寄ってきた。そしてこう言うのである。不忠者達を誅するために力を貸してほしいと。答えは決まっている。拒否一択だ。
「力をお貸ししたいところではございますが、我らではどうすることも。越前におわします公方様は何と?」
「今はまだ。時が来たらと」
だろうな。そして義秋がそう言ったのならば朝倉も同じのはず。この流れに乗っかって俺も拒否しよう。体裁を保って拒否できる。ありがとう義秋。
「公方様がその時でないと仰るのであれば……」
「……承知致し申した。では、その時が来たらお力添えいただけますな?」
「もちろんにございます。必ずやお力になりましょう」
これで話が済んだ。そう思っていた。しかし、話はこれで終わりではなかった。そして、あらぬ方向へと進んでいったのである。
「時に豆州殿。お子が産まれたそうにございますな」
「ええ。女児が産まれており申す。可愛い盛りにございます」
城に籠もることが多くなってきた今、娘の牡丹と遊ぶ機会が増えていた。良く笑う人懐こい娘である。彼女を嫁がせないといけないと思うと心が締め付けられる思いだ。
「そうでしょうそうでしょう。儂も嫡男が産まれた時は嬉しかったものだ。今でも覚えておる。そこでどうだ。儂の娘を娶らんか?」
「は?」
開いた口が塞がらなかった。突然何を言っているのだろうか、この男は。俺の率直な気持ちである。既に正妻もおり、側室まで居るのだ。断ろう、そう思った。
しかしである。能登が混迷を迎えている。そして畠山の当主から妻を迎える。攻め込む口実を作ることが出来るのだ。本当に断ってしまって良いのだろうか。
向こうは俺を取り込みたい。自分で言うのも何だが、若狭武田家は飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大を続けている。今は停滞しているが、十年前と比べて石高は五倍以上だ。
俺は能登を将来的には自分のものにしたい。一年後、二年後という短期的な期間では無理だが、十年後、二十年後ならばどうだろうか。本当に断って良いのか。迷う。
いや、大丈夫だ。こちらには文が居る。彼女との間に子を授かることが出来れば、その子を旗頭に攻め込むことが出来るのだ。畠山義続を近くに置くことの方が危うい。
「私には既に妻が居りますので」
「しかし、正妻との間に未だ子は成されていないとか」
「側室も既に――」
「既に居られるのなら、一人も二人も変わりますまい」
「返事は変わりませぬ。私には大事な妻が居りますので。折角です。お会いになりませぬか?」
「そうですな。是非ともお目にかかりたい」
そう言うので俺は手近な侍女を捕まえて文を連れてくるよう申しつけた。暫くして文が現れ、俺の横に並んで頭を下げた。
「河野藤兵衛続秀の娘の文でございます」
「河野藤兵衛の……」
そこで固まる義続。どうやら河野藤兵衛の名前に心当たりがあるようだ。それ以降、義続は娘を嫁にと言わなくなった。俺はにんまりと笑顔になるのであった。