策に溺れる
目下の問題は越前に向かうか否かである。突然何かと思うかもしれないが、俺は足利義秋に越前まで来いと呼び出されているのだ。正直、行きたくない。
だが、行かなければならないとも思っている。今、俺と足利義栄は手切れの状態となっているのだ。足利義秋に擦り寄っても何らおかしくはない。
ただ、足利義秋が俺を憎んでいると仮定した場合が厄介だ。殺されるかもしれない。それだけのことをした自覚はある。結局、どちらかに付いた方が結果として楽だったかもしれない。今になってそう思う。
ここで頼りになるのが朝倉景鏡である。まさか、景鏡を頼りに思う日が来るとは思ってもみなかった。扱いやすさでは日ノ本一かもしれない。
俺は二つの手紙を出した。一つは景鏡に足利義秋の機嫌を尋ねる手紙だ。行きたいのだが、まだ行けていないという謝罪も添えている。ああ、あとやはり景鏡は頼りになるとヨイショもして。
もう一つの手紙は俺の家臣たちにである。義秋から越前まで挨拶に来いと言われているが、応じた方が良いかという手紙だ。これに関してはほぼ全員が行くべきと答えていた。
ただ、一人で行くなとも戒められている。なので、東に備えさせていた沼田上野之助と細川藤孝。それに南条宗勝に遠藤秀清の四名を同行させることにした。
さらに俺の近習として堀久太郎も同行させ、護衛として山県源内と広野孫三郎も連れて行く。これで総勢千五百名での行軍である。ちょっとした出陣だ。兵糧の消費が勿体ない。景鏡が用意してくれないだろうか。
先触れを出して越前に向かうことを事前に伝える。それと同時に景鏡に再び手紙を送った。内容は義秋と顔を合わせる場所を外に設けて欲しいという依頼の文だ。
十一月なので、少し肌寒くはなるが、室内では会いたくない。何処に誰が潜んでいるかわからないからだ。なので、空気も澄んでいる時期なので、外に趣のある場所を用意してもらうことにした。
その道中、俺は上野之助と藤孝、宗勝と久太郎の四人とどう立ち回るか話し合いをする。目標は義秋にも義栄――というか三好義継――に睨まれない立ち位置だ。
「三好左京大夫は松永弾正との仲、芳しくない故に平島公方を袖にしたとて直ぐに事を起こすことはしないのではないでしょうか」
久太郎が言う。俺も同じ意見だ。まだ畿内に影響力が浸透していない。まだ反発が多いのだ。松永と俺が敵に回れば畠山や北畠もこの機に乗じてくるだろう。もちろん別口で。それは避けたいはず。
「然り。御屋形様は十河隼人佑に文を送っておられまする。蔑ろにしているとは思いますまい。此処は矢島公方に頭を垂れるべきかと」
そう言う宗勝。主に対して頭を垂れよとは股肱之臣であれば口が裂けても言えないだろう。宗勝だから言える台詞である。内藤や松宮辺りが耳にしていたら激怒していただろうな。
「では、その線で行くか。そして伯父上は将軍位に就きたいとお考えだろう。その協力を迫ってくるはず。やはり朝廷は迷っているか」
藤孝が首肯する。どちらを次期将軍にするか決め手が欠けているのだろう。だが、どちらかに決めなければ畿内は治まらん。朝廷は困りものだろう。
「某の方から御屋形様の御心は公方様にお伝えしており申す。それが良いように転がれば良いのですが」
「そうか。兵部には世話を掛けるな」
越前の一乗谷に着く。その知らせを聞いた景鏡が飛ぶように俺のもとへやって来た。なんとも腰の軽い男である。利益への嗅覚は見習いたいものだ。
「いやはや、お早いお着きでございますな。お待ちしており申した」
「色々と手間を掛けたようで忝い」
「なんのなんの! 伊豆守様のお力になれれば本望というものにございます。ささ、此方へ」
相変わらず調子の良い言葉をつらつらと並べる男である。口から生まれたと言われても俺は信じるだろう。それくらい立て板に水の話しようだ。
その景鏡の後をついていく。我らの休息所を用意してくれているのだろう。そこで今後の詳しい話を伺うことにした。あと、義秋の機嫌もである。
「公方様のご機嫌は芳しくありませんな。やはり、事が上手く運んでいないのが原因かと」
公方ではないが公方と呼ぶ。それはあくまでもご機嫌取りだろう。しかし、やはり機嫌は良くないという。無理難題を押し付けてきそうで辟易しそうだ。
場所は一乗谷の北部に流れる足羽川。そこに紅葉の美しい場所があるとのこと。どうやら景鏡は川の上に床をつくっているようだ。なんとも味な真似をしてくる。
天候の良い日、俺は義秋から呼び出され、景鏡が整えた床へと向かった。紅葉がなんとも美しい。その中を俺を先頭に十数人がぞろぞろと向かっていく。
「伊豆守様、この先に公方様がお待ちでございまする」
「そうか。兵部と久太郎は付いて参れ。上野之助と宗勝はこの場にて待機」
「承知仕りました」
上野之助をじっと見る。彼は不健康そうな顔で小さく頷いていた。何かあれば踏み込んで俺を助けるつもりだ。俺もそれを期待している。
刀を上野之助に預け、景鏡の後を付いて歩く。その先には足利義秋の他、三淵藤英、和田惟政、松井康之、柳沢元政の四人に朝倉義景と案内をしてくれた朝倉景鏡がこの場にいた。
「久しいな、豆州」
「伯父上も息災で何よりでございまする」
「あがられよ」
「はっ」
義秋の正面に座り、頭を下げる。侍女が次々と入って来て我らの前に膳を置く。もちろん義秋や幕臣、俺の家臣の前にも膳が置かれた。
「数の子と言う。美味だぞ。其方も食せ」
「はっ。いただきまする」
これは罠だろうか。食べて良いのだろうか。数の子は好物だが、食べるべきか、食べないべきか。まさか毒は入っていないだろうが頭の中をぐるぐると思考が巡る。
「どうした。食わんのか?」
「いえ、いただきまする」
恐る恐る手を伸ばして箸を手に取る。そして数の子をゆっくりと口に運んだ。義秋は視線を反らさず、ずっと俺を見ていた。
「全く、どこも頼りにならんの。織田も儂を上洛させると息巻いておきながら一色に嘲笑される程の大敗を喫しおったわ」
これに関しては擁護のしようがない。ただ、一度の敗戦で見限るのはどうかとは思う。それを告げるべきか。それとも同意するべきか。考えた挙句、俺は無言を貫いた。沈黙は金だ。
「其方は聡いな。兄上が贔屓にするのも頷ける。其方の心は細川兵部から伺っておる。今後は二心を抱くことなく、励め」
「は、ははっ」
許された。どうやら細川藤孝が上手く根回しをしてくれていたようだ。今回は少し調子に乗り過ぎた。俺にとって良い薬になった。許されたのは親族だからだろう。これ以上、俺の母を悲しませたくないという義秋の配慮だ。
「其方には期待しておる。どうやら兵も動かせそうだのぅ。見たところ、将兵も揃ってそうではないか。上洛が待ち遠しいわ」
主に銭の面でだろう。いや、口ぶりからすると兵も当てにしているかもしれない。確かに五千程であれば兵を率いて上洛可能だが、果たして三好がそれを許すか。
少し、大人しく従っておこう。知識を持っているだけで、俺は特別な能力があるわけではないのだ。大いに反省した夜を過ごすのであった。