畿内に乗り込め
永禄九年(一五六六年)十一月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
返書が届いた。それも沢山の返書が。後藤に目賀田、三雲に蒲生、進藤に平井、猪飼、鯰江などからだ。もちろん六角承禎からも返書が届いている。
六角承禎は足利義秋に付くらしい。やはり、三好と相容れないこと。前公方である足利義輝に恩があることを述べていた。さらに何故、同じような文をばら撒くのかと俺に問うて来た。
言いたいことがあるのならば、観音寺城まで来いとまで書かれていた。誰が行くものか。もう、六角に過去の権勢は無い。既に多くが見限っている。それは返書からも理解できる。
後藤と目賀田は既に六角を見限っている。蒲生も離れたいと思っているだろう。三雲はよくわからなかった。平井は浅井が嫌いのようなので、仕方なく六角に従っていると見える。
進藤、猪飼、鯰江の三家は日和見のようだ。しかし、三家からは良い話が聞けた。六角の現当主である義治は三好三人衆と手を組んで足利義栄を支持しているという。
なんでも幕府の管領職を用意されたというのだ。それは義治という俗物であれば誘いに乗りそうなものである。そこで親子の対立が起きているというのだ。
このような状況であれば今の我らであれば六角に勝てるであろう。我らとの戦が長引けば足元が崩れかねない。しかし、我らを一気呵成に落とせる力もない。だから戦えぬのである。
とはいえ、穏便に済ませられるのであれば、それに越したことはない。さて、どうしたものか。細川藤孝に相談してみることにしよう。
俺は気晴らしも兼ねて数人の近習を連れて藤孝のいる熊川城へと馬を走らせた。もちろん、突然の来訪だ。会えなかったら会えなかったで諦めるとしよう。
熊川城へ赴くと、藤孝は留守にしていた。しかし、領内の見回りということだったので待たせてもらうことにする。俺のもとには藤孝の奥方である麝香と嫡男である熊千代が挨拶に訪れていた。
「失礼いたします。妻の麝香にございます」
「失礼いたしまする! 熊千代にございます!」
齢三つか四つだというのに、堂々とした声で俺に挨拶をする熊千代。俺は熊千代に好感を覚えていた。幼子は元気なくらいが丁度良い。
「突然の訪問ですまないな。気遣いは無用ぞ。熊千代、励んでおるか?」
「はいっ! 毎日、懸命に稽古しておりまする!」
屈託のない笑顔で答える熊千代。流石は藤孝。きちんと子の躾、子の教育が行き届いているようだ。傅役は誰なのだろう。
「稽古に励むことも大事だが、それと同じだけ学問を修めることも大事だ。父からしかと学べるものは学んでおいた方が良いぞ。俺のように学びたいときに親は亡くなるからな」
冗談めいてそう述べる。それから気を遣わせぬよう、二人には下がってもらう。そして俺なりに考えを纏める。まず、観音寺城には行かない。ただ、詫びることは視野に入れよう。
六角承禎は大伯父だ。大伯父に窘められて謝罪するくらい、造作もないことである。そして、今後は反六角となった後藤や日和見の進藤から話を聞くことにする。
親の承禎と子の義治、どちらが権力を握っているのだろうか。父のような気もするが、子のような気もする。子の義治は三好と繋がっているのが大きな優位性だ。
更に義治は一色とも繫がっているだろう。織田と繫がりたい俺としては父の承禎に付くのが無難だろうか。俺の子を六角の跡取りとして送り込めないだろうか。女系だが六角宗家の血筋である。
それも捕らぬ狸の皮算用か。俺には未だ女児しか居ない。励んでいるのだが、こればかりは授かりものだ。焦っても仕方がない。
もし、義治が一色と結んでいるのならば、織田と盟を結んでいる俺は六角を攻める大義名分を手にできる。味方の敵の味方は敵ということだ。
「お待たせいたし申した。まさか御屋形様がいらっしゃるとは」
「急に訪ねて済まん。無礼なのは承知なのだが其方の意見を聞きたくなってな」
肩で息をした藤孝が慌てた様子でやってきた。どうやら家臣が気を利かせて藤孝を呼びに行ったようだ。そんな藤孝に対し、俺は掻い摘んで現況を話した。藤孝は静かに聞いているだけであった。
「と言う訳だ。兵部、其方なら如何する?」
「そうですな。御屋形様の考えも悪くはありませんが、更に付け加えるのであれば蒲生か三雲のどちらかとも繋がりたいですな」
「何故そう思う?」
「反六角からの知らせだけでは見識が偏りまする。誤った知識からは誤った答えしか導かれませんぞ」
なるほど、一理ある。六角が憎くて誇張した文を送られても困る。三雲は取り付く島もなさそうだが、蒲生であればやり取りできるかもしれない。
「やはり其方に相談して良かった。畿内も再び荒れてこよう。朝廷は将軍位争いに関してどう思っているのか探れるか?」
「やってみましょう」
信長が畿内に出てくる前に畿内に入り込みたい。ああ、そうだ。信長に陣中見舞いでも贈るとしようか。たかが一度負けたくらいで見限るとは。義秋も見る目が無いというか、堪え性が無い。
弱っている時こそ助けるべきなのだ。弱っている時に見限るのは恨まれるだけである。義秋は人の心というものを理解していないようである。
我らの領地の西、つまり三村との争いは膠着を見せている。十兵衛はじっくりと腰を据えて取り組むようだ。それならば大きく崩れることはないだろう。
俺の目は徐々に西から東へと動き始めたのであった。