愛と家と銭と
永禄九年(一五六六年)十月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
一気に忙しくなってきた我ら武田家。主だった要因は二つ。将軍位の争いと毛利元就の死去だ。しかし、そのどちらもが我らに追い風となっているのは間違いない。
そのためにも今、行わなくてはならないのは家中を割るような真似はせず、力を蓄えるのが最良なのである。どうやって力を蓄えるのか。それは開墾である。第一次産業こそが力なのだ。
稲の収穫も終わり、村々は祭りに興じている。ここから積雪までに二、三か月は開墾に力を注ぎたいのだ。問題は水田を増やすか、畑を増やすかである。
もちろん、水田の方が見返りは大きい。だが、水田は畑よりも用意するのに手間が掛かる。ならば畑の方が良いだろうか。その方が手軽だ。
そうなると何を育てるか。やはり豆と大根と南瓜になるだろう。どちらも長期保存が可能だ。南瓜など味噌漬けなどにすると一年は持つ。この時代、長期保存できるだけで正義なのだ。
いや、栽培の難易度から最初は南瓜を育てるべきだろう。粘土質の硬い土でも南瓜であればある程度は育つ。今までの畑を大根や豆に使い、新たに開墾した土地を南瓜にするのだ。
南瓜と味噌と水があれば、ある程度は籠城できる。南瓜の味噌漬けで味噌汁を作れば栄養価も十全ではないが、最低限は摂れるはず。籠城など、しないことに越したことはないが、当主としては万一を想定するべきである。
何よりも南瓜は平地ではなくても栽培できるし、少し肌寒い山の中腹でも十分に育つ。さて、これで税制を見直さなければならなくなった。
年貢の基本は米だ。これは変わりない。ただし、南瓜や豆を二石で米一石と同等の扱いにすることにしよう。利率としては悪いかもしれぬが、使う使わないは領民の自由だ。
こう考えていると、どうしても冷凍庫が欲しくなってくる。だが、数千人の籠城に耐え得る冷凍庫とはどんな冷凍庫だろうか。そう思った俺の脳裏には豪華客船に積んである冷凍庫が思い浮かんだ。だが、それでも無理だろう。
もちろん戦が無いことが一番である。しかし、そうも言ってられない。要衝である対朝倉戦線の最前線である国吉城と、対毛利戦線および対三村戦線の最前線になる津山城の籠城機能を強化することを考える。
領内の整備も進んでおり、主要な街道は開通し始めている。商いも盛んになり始めた。それは我らが武田領の税が低く、他国よりも稼ぎやすいのが要因の一つだろう。
また、他国よりも領民が富んでいることも理由の一つだ。流石に気軽に唐物を購入するまでには至っていないが、食うに困る者はそう居ない。食い詰め者でも雇い兵になれば食と住は保障される。
ただ、その分のしわ寄せが俺のところにきているのだ。銭が貯まらん。貯まったと思ったら出ていく。下手をしたら数千石の領主よりも寂しい生活をしているのではないだろうか。
いや、豪華な生活が良いとは思わない。健康的なのが何よりだ。しかし、貯めた砂金は国外に流出できないために使えない。領内の整備や軍備の拡張、外交の費用によって銭は消えていく。何が楽しくて領主をしているのだろうと、ときどき思う。
だが、税収は確実に増加しているし、人口も増えている。それは国が強くなっている証拠だ。戦も最低限しかしていない、と思っている。なにより、負け戦が少ないのが強みだ。
俺が負けたと思うのは山県孫三郎を失ったあの戦くらいである。それ以外は負けたとは思っておらん。負けはつらい。失うものばかりが多く、得るものは何一つない。この負けを如何に少なくできるかが手腕だろう。
そう考えると織田信長の凄さを実感できる。いくら負けても立ち上がれる体力、金銭的体力もそうだし、人材的体力もそうだ。今の当家にそれは無い。大敗したら仕舞いだ。
だからコツコツと地力を高めていくのである。小浜と敦賀を繋げるための太い街道整備にも着手した。鯖街道と言われる道の整備もである。京に海産物を素早く運べるようになれば需要は高まるはずだ。
問題は公家どもである。ことあるごとに銭を要求してくる。見返りに官位を用意しているらしいが、そのようなものに興味は無い。銭は無い。当家に余剰の銭は無いのだ。その奇手として鯖街道の封鎖も考える。
鯖街道を太くし、公家どもが喚き始めたら鯖街道を封鎖する。お前たちの好きな昆布などの北から運ばれる俵物、海産物は我らが握っているのだ。
「ふぅ」
目頭を摘まんで寝そべる。そこに控えていたのは侍女の文であった。その文に太ももを貸すよう伝える。彼女の太ももの感触が心地良い。
「お疲れでございますか?」
「やることが多くてな。俺がもう一人二人欲しいくらいだ」
「それは御屋形様が根を詰めすぎなのでございます」
「しかしだな。やらずに後悔するよりもやって後悔したいのだ。手を抜けば抜いた分だけ他国が強くなる。そうなると、食われるぞ。こんなようにな!」
そう言って俺は文に襲い掛かった。文も満更ではない様子。しかし、思えば文も最初は戦に負けて捉えられ、小浜にて売られていたのだ。そんな彼女が戦の凄惨さを知らぬわけがない。
「そう言えば、文の父は河野藤兵衛であったな」
「そうでございます」
河野藤兵衛続秀。畠山義続の家臣で、羽咋郡にある堀松城の城主を勤めていた男だ。一宮の合戦では遊佐続光側に属したが、討ち死にしたと言う。ここまでしか調べられんかった。
「能登が恋しいか?」
「もう未練はございませぬ。私はずっと御屋形様の御傍に」
「愛い奴だ」
乳繰り合いながら思う。文を使えば能登に一石を投じることが出来るのではないかと。俺と文との間に男児が生まれたらば、能登に弔い合戦を仕掛けても面白いかもしれない。
しかも聞いたところによると遊佐続光が能登国主である畠山義続・義綱の両親子を国外に追放したらしい。これを好機と見るべきか。
「誰かある!」
「はっ」
黒川衆の一人である上村一徳である。黒川衆の重臣の一人だ。俺は彼にこう伝える。能登を探れと。上村一徳は俺の意図など聞かずに「承知」と手短に答えて消えた。
俺はそれを聞いて文を押し倒す。能登を手中に収めることが出来れば朝倉を挟撃できる。越前は喉から手が出るほど欲しい土地なのだ。北に大きな平地が広がっているのである。朝倉の強みはそれだ。
愛と家と銭と。様々なことを考えながら情事に耽る。それがイヤになりつつも、性分なのだと自分を騙すように納得させるのであった。