騒がしい波風
安芸から若狭へと戻っている最中、俺のもとに一人の男がやって来た。黒川与左衛門である。火急の知らせだろうか。馬を止め、下馬して報告を聞く。
「毛利陸奥守、遠行されたとの由」
「なんと!?」
どうやら、話を聞くに俺が安芸に着いたその二日後に亡くなっていたらしい。それをひた隠していたというのだ。
さぞや上を下へと慌てていたのだろう。与左衛門からの知らせがなければ、俺ものこのこと引き下がっただけの男になってしまう。
ならば、俺を二週間も放置していたのも頷ける。家中と領内の安定を図ろうとしていたのだろう。だろうが、やはり悪手であったことは否めない。せめて、俺を生きて帰さぬくらいはせぬとな。
「官兵衛、聞いたか?」
「はっ。しかと」
「与左衛門、其方は十兵衛にその旨を伝えよ。ああ、それから我らが吉田郡山城で受けた仕打ちもな。そしてその上で対毛利、対三村を十兵衛に一任すると伝えてくれ。ああ、毛利陸奥守が死去したことをそこかしこで吹聴しながらな」
「かしこまった」
「さっきの今で申し訳ないが、官兵衛は十兵衛の補佐を頼む」
「承知仕った」
与左衛門が音もなく立ち去っていく。これで西は荒れるだろう。まずは尼子を動かす。そのためには勝久に頑張って貰わねばならん。
我らの最終着地は美作国を奪えれば、三村家親の領地を奪えればそれで良い。過ぎたるは身を亡ぼす。毛利は尼子、大内、大友と争えば良いのだ。逆を申せば、我らは毛利と争う気はない。三村の地を割譲さえしてくれればな。
しかしだ。申し訳ないのだが正攻法で三村に勝つ道筋が見えなかった。三村家親はそれほどの人物である。これが子の元親であれば付け入る隙があるのだがな。
勝ち筋が見えなかったは言い過ぎた。その勝ちに見合うだけの犠牲を支払う価値があるかどうか。俺には無いように思えたのだ。
なので、十兵衛に一任する。ここが俺の限界だと思っている。所詮は格下の相手にしか勝てぬのだ。ただ、それを情けないとは思わない。むしろ誇りに思っている。
俺は分を弁えているのだ。そして勝てそうな人物に任せる。大事なことは矜持を保つことではない。勝つことだ。それが揺らぐことはないだろう。
では、俺が出来ることとは何だろうか。それは後方からの支援である。十兵衛が美作国を制圧できるよう、人材や物資で支援するのが俺の役目だ。
官兵衛と別れる。官兵衛にはしっかりと吹聴してもらわなければならない。毛利の結束を瓦解させ、国力を低下させるのが目下の課題なのだ。
「岡和泉守を呼べ」
俺は後瀬山城に着くなり岡盛俊を呼び出した。そして彼にこう命ずる。十兵衛のために五百貫を工面致せ、と。正直、工面しなくても蓄えはあるのだが、出来るのならば工面するべきである。
「承知いたしました。何とか工面して見せましょう。ただし、飯の量が減ったと文句をこぼすのだけはご遠慮願いたい」
「構わん。それくらい何とかして見せよう」
そう言うとニヤリと笑って俺の前を後にする岡盛俊。当主が率先して倹約に努めよという諫言だろう。元よりそのつもりである。足りなければ釣りにでも出かけ、自分の手で何とかして見せよう。
のうのうと後ろで待っているだけに負い目を感じていないと言えば嘘になる。なので銭や鉄砲、人員など送れるものを後方から送るのだ。
「孫四郎は?」
嶋新吉に尋ねる。すると新吉が俺にこう告げた。
「御屋形様のお言葉を受け、既に松江に向かっておりまする」
「ならば良し」
満足そうに頷く。どうやら尼子勝久も自分で考え、何をしなければならないのかを判断できるようになってきたようだ。これまでの辛酸が彼をそうさせたのだろう。
さて、毛利に対して何かできることはないか。思いを馳せる。今思えば、毛利輝元も運が無い。俺と元就とが会談した後に死去すればまだ時間的猶予があったものを。タイミングとしては最悪の部類だろう。
そんなことを考え、思い至る。毛利を南から攻めることは出来ないのかと。四国の河野を動かせないかということだ。
いや、河野でなくても良い。宇都宮でも構わない。河野では毛利に近過ぎる。敵対行動はとれないだろう。ここで俺はあることを閃く。
河野を攻めるべきだと。と言っても俺が攻めるわけではない。周囲の大名に攻めてもらうよう、懇願するのである。宇都宮や一条、大友と既に争っているのだ。少し唆せば河野に攻め込むだろう。
ではなぜ河野を攻めさせるのか。それは河野を攻めれば、河野が毛利に後詰めを乞うからだ。河野家当主である通宣の妻は毛利元就の孫娘だ。しかも、継室である。
継室ということは正室が居たということだ。それは誰か。大友義鑑の娘だ。大友から毛利に乗り換えたということなのだ。だんだんと想像するのが楽しくなってきた。
河野を攻めれば通宣は必ず毛利に後詰めを願うだろう。そのとき、毛利は後詰めを出すことは出来るだろうか。出さなければ求心力は一気に低下するぞ。しかし、その余裕があるだろうか。その判断ができるだろうか。
「誰かある!」
「はっ」
やってきたのは近習の南条元清であった。丁度良い、達筆な彼に祐筆をさせる。宛先は平島公方、足利義栄である。彼に足利義秋の現状を伝える。
義秋は方々に手紙を送り、助力を乞おうとしている。義栄もやった方が良いのではないかと。で、周囲の宇都宮、長曾我部、一条に送るべきだと、地盤を固めるべきだと記す。
どうやって地盤を固めるか。それは河野通宣を攻めることで結束を固めさせるのだ。河野通宣は足利義輝と昵懇の仲。つまり、彼は弟の義秋を支持するだろう。
ここからが肝である。煽って、義栄に正常な判断をできなくさせる。既に畿内周辺の有力な大名は義秋派であること。その証拠が左馬頭の任命だと記す。
このままでは危ないぞ。早く四国を固めるべき。そのために足利義輝派の河野通宣を攻めるべきだ。もし、河野通宣を攻めるのならば支援を惜しまないと記した。
さて、これが吉と出るか凶と出るか。正直、矢島公方も平島公方も四国など眼中にないだろう。だから、足利義栄は乗る。俺は確信していた。そうすれば毛利の足を引っ張ることが出来るだろう。最後に俺が花押を記す。
「では、この文を平島公方様にお渡ししてくれ」
「かしこまりました」
「先に十河隼人佑に会って取り次いでもらうと良い。しかと頼むぞ」
「ははっ」
南条元清が退出する。入れ違いに入ってきたのは堀久太郎であった。どうやら俺が戻ってきたのを聞いて報告に来たのだろう。さて、尾張はどうだったのか聞かせてもらうとするか。
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尾羽内 鴉





