毛利戦線異状あり
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永禄九年(一五六六年)九月 安芸国 吉田郡山城
安芸国まで来てしまった。流石に備前からは遠かったぞ。ただ、毛利元就には一度、会っておかなければならない。元就の容態を確認するとともに、今後の盟について話をしなければならないのだ。
俺の要件はこうだ。毛利との同盟を維持するので美作国を俺に割譲しろ。それだけである。そう伝えると確実に三村家親と揉める。必ずだ。
俺が毛利に伝えたいのは我ら若狭武田を取るのか、それとも三村を取るのかを選べと。そう突き付けに来たのだ。ただ、俺としてはどちらでも構わない。
我らを取った場合、三村を潰す。我らを取らなかった場合、三村を潰す。結果は変わらない。過程が異なるだけである。後者の場合は毛利も敵に回ってしまうが、致し方ないことである。
毛利元就ではなく輝元に尋ねても面白いかもしれんが、回答が返ってこない可能性がある。それならば毛利元就に尋ねてしまった方が良い。
そして俺は無下にされないと思っている。我らが敵対するとなったら毛利元就は死んでも死にきれないだろう。それならば同盟を強化しておくに違いない。だから毛利は我らに付く。そう思っている。
暗殺される心配もない。我らは同盟国なのである。織田と徳川。そのような関係だ。その同盟国の盟主を暗殺する。そうなると周囲からの印象はどうなるだろうか。
そこから類推するに毛利は絶対に暗殺はしない。輝元の将来のことを考えているのならば、なおさら同盟国の盟主暗殺などという悪手を元就がとるはずないのだ。
「武田伊豆守である。事前にお伝えした通り、毛利陸奥守様にお目通り願いたい」
城門で下馬し、そう伝える。そして官兵衛と合流する。待たされている間、官兵衛に現況を尋ねた。しかし、官兵衛は首を横に振るばかりである。
「御屋形様がお越しになることをお伝えしましたが、どうにも反応は芳しくなく。いよいよもって陸奥守様は危ないものかと。それを悟られぬよう、必死なのでしょう」
「吉川も小早川も周防の大内太郎左衛門尉のもとへ向かっているのだったな。城には誰が?」
「御当主の少輔太郎様に毛利少輔四郎殿にございます」
毛利輝元と元就の四男である毛利元清か。さしずめ、毛利元就は口が利けず、輝元では判断が出来ぬため、早馬で小早川辺りに判断を仰いでいるのだろう。騒いだところでどうにもならん。大人しく待つか。
いや、大人しく待つのも癪だな。一騒がせしてみようか。事前に伝えていたにもかかわらず、待たせるとは何事か、と。毛利輝元の力量が問われるだろう。その前に官兵衛にこう持ち掛けた。
「官兵衛、俺と賭けをせぬか?」
「賭けにございまするか?」
「そうだ。俺が毛利陸奥守と面会するまで、幾日かかるかという賭けだ」
そういうと官兵衛は少し考え込み、そしてこう述べた。一月以上は掛かるでしょう、と。俺は思わず笑ってしまった。いやいや、一月以上会えないって。それはないだろうと。
俺は一週間ほどで会えると思っていた。既に官兵衛を先触れとして要件を伝えているわけだし、仮にも大名だ。そこまで待たせることはないだろうと。
しかし、どうだろう。一週間待っても二週間待っても毛利元就もしくは輝元から何の音沙汰も無いではないか。このままだと官兵衛の読み通りとなってしまう。
いや、それは構わない。問題はこうして待っている間にも仕事が溜まっていくということである。俺も暇ではないのだ。刻々と情勢は変化している。それに対応しなければ。
「賭けは官兵衛の勝ちだ。本当に一か月以上掛かりそうだな。一度退くとしよう」
「それがよろしいかと。また、その際にきちんと喧伝するべきです」
「何をだ?」
「先触れを出したにもかかわらず、待たされた挙句、会ってすらもらえなかった、と」
このことが広まれば、毛利輝元の優柔不断さが露呈される形となるだろう。また、毛利元就が危篤であることも間違いないと見るはずだ。
もし、毛利元就が危篤でないのならば、この状況が生み出されていなかったからだ。元就ならば何かしらの対策を取るはず。これは、ただ単に刻を消費したのではない。刻を使って毛利の弱体化を世に知らしめたのだ。
「官兵衛、其方に一任す。良きに計らえ。毛利と敵対することになっても構わんぞ。其方に勝機が見えているのならな」
「かしこまりました。その信用に答えて見せましょう」
「信用ではない、信頼だ。裏切ってくれるなよ」
「ははっ、ありがとうございまする」
官兵衛と吉田郡山城を後にする。流石に二週間以上は待っていられない。わかっている。毛利元就が危篤で小早川隆景が留守。そして毛利輝元ではまだ一人で判断することができないということは。
だとしてもである。一国の当主、大名を二週間も留めておくのは如何なものだろうか。それともあるいは、俺のことをそこまで下に見ているのだろうか。それであれば、憤慨ものである。
それでもである。輝元は当主の器にあらず。そう見られても致し方ない。父――今回は祖父だが――が偉大だとこうも大変なのか。甲斐武田しかり、上杉しかり、毛利しかり、尼子しかりである。
早く跡継ぎを授からねば。幸い、子は授かれるのだ。あとは男子を授かるだけである。しかし、こればかりは運なのだ。また、出来るのならば藤との間に男子を授かりたい。
嫡男さえ定まれば側室を増やして一族衆を強固にすることが出来る。今回の安芸遠征は跡継ぎについて考えさせられる良い機会となった。反面教師にしよう。そう思い、撤退するのであった。
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