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銭は使うが兵は遣わぬ

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永禄九年(一五六六年)八月 後瀬山城 武田氏館


 義秋から連絡が届いた。どうやら大典太光世と三日月宗近を俺に譲ってくれるようだ。その代償として合わせて千貫を支払うことにする。これも必要な経費だ。金額の多寡ではない。支払うことに意味がある。


 義秋から睨まれる怖さを、手紙公方から睨まれる怖さを知っている。信長が信長包囲網でどれだけの家臣を、どれだけのお金を失ったのか。仏敵と朝敵、それから幕府の敵にはなってはいけないのである。


 義秋を無能と評す人間が居るかも知れないが、俺はそうは思わない。三好や六角よりも義秋に嫌われないことは大事なのである。何を今更と言うかもしれないが、それはそれ。これはこれである。


 もう一度、将軍位の後継者争いにおける我等の立場を明確化しよう。俺は将軍位の争いに積極的に介入しない。あくまで我等に利がある行動を取る。表立って旗色を鮮明にしないし、片方を貶すようなこともしない。


 大事なのは義栄と義秋が派手に争うこと。そのために勢力が拮抗するよう、資金を提供する。ただ、最終的な勝者は史実通りなのであれば義秋になるだろう。三好も六角も没落し、義栄は死去するはずだ。


 そのときに睨まれるのは避けたい。だから全力で献金する。それで包囲網を敷かれずに済むのなら安いものである。そのために銭をせこせこと貯め込んできたのだ。


 義秋の使者には掻い摘まんで説明すると、義栄とはあくまで播磨と備前に攻め込むために手を結んだこと。あと良かったら織田にも俺のことを売り込んでおいて欲しいと伝えた。織田と仲良くするべきだと。


 今、畿内は割れている。一度は三好長慶が統一しかけたが、三好と松永が争い、六角はお家騒動を起こし、そして義栄と義秋がいがみ合っている。この状況ならばどこの陣営も俺を取り込みたいはずなのだ。


 京に近く、五十万石近くの国力を持ち、国内が乱れていない。どの陣営も喉から手が出るほど欲しいと思うだろう。俺ならばそう思う。


 初め、俺は義秋派だと思われていただろう。何せ叔父と甥の関係である。そう思われるのも無理はない。だから義栄に一度、肩入れして正解なのだ。義秋派ではないよと示すために。


 そう示すと今度は義秋がのこのこと後瀬山城にやって来た。勿論、捕まえて三好に引き渡すという選択肢もある。しかし、それだと俺の評判が下がってしまうのだ。目上、年上の人間に対する孝とでもいうのだろうか。儒学の考えが根強い。


 ただ、懸念としてはどちらの陣営に対しても良い顔をしていると、いわゆる卑怯な蝙蝠になってしまう。それだけは避けたい。だから、これ以上は深く介入しない。そろそろ、衝突するだろう。銭は出しても兵は出さん。


 まずは内政に力を注ぐ。急ぎ、行わなければならないのは硝石の量産化だ。これを隠岐の島で行っているが上手くいっていない。俺が知っている知識は糞尿から硝石が採れるということくらいだ。


 なので、隠岐の島には鶏と牛と馬の繁殖を進めつつ、硝石の研究をしている。西洋の知恵と知識があればもう少し楽に研究を進められるはずなのだが。


 そうそう、西洋と言えば武野新五郎が俺の元を訪ね、南蛮人から買い取ったという洋服、それから武具を持って来た。ビロードの外套を身に着ける。うん、悪くない。


 また、南蛮人が用いていた南蛮鎧を甲冑師に渡そう。それを我等なりに改良し、実戦に投入したい。戦で重要なのは将の装備ではなく、兵の装備なのだ。


 硝石に関しては大量確保が出来なかった。いや、出来るのだが銭の出費が大き過ぎるのだ。流石に看過できない金額を提示されてしまった。となると、やはり量産体制を急ぎ築かねばならない。


「御屋形様は南蛮人にお会いしたいとお考えになられてございますでしょうか」


 そう述べる武野新五郎。興味が無いと言えば嘘になるが、口を開けば布教をさせろと言ってくるだろう。本願寺との関係を拗れさせないためにも、会うべきではないのだ。


 ただ、どうしても欲しいものがある。そう石火矢だ。国崩しとも言う。それが手に入れば戦は大きく変わるだろう。鉄砲の出現によって戦が変わるように、国崩しの量産によって戦は変わると思っている。


 攻城戦になったとき、城門に向かって大量の国崩しを発射させたらどうなるだろうか。城に向かって放ったらどうなるだろうか。城が城として機能しなくなるのかもしれない。怖い未来だ。


「そうだな。正直に申さば会いたいが今ではない、というところだ」

「……左様にございまするか」

「ああ。もし、何か言ってきた場合、フランキ砲なるものを持ってくれば会おうと伝えておいてくれ」

「畏まりました」


 そうは言ったが南蛮の欲しい物、欲しい技術を上げれば枚挙に暇がない。活版印刷に西洋の医学、西洋船に珍しい作物などが欲しいのである。ただ、我慢するしかない。布教の危険が看過できないのだ。


 まずは南蛮鎧が手に入っただけでも良しとしよう。お抱えの甲冑師がどう昇華させるか見ものである。そんな将来の展望を考えながら幾日か経ったある日、黒川衆の与四郎が俺の元を訪ねてきた。


「如何した?」

「三好孫四郎が五千の兵をもって矢島に向かっておりまする」


 矢島とは御所がある場所だ。つまり、足利義秋が居る場所ということである。どうやら義秋を無視できなくなってきているのだろう。義秋は凌ぐことが出来るだろうか。


 もし、史実と同じであれば防ぐことが出来るが、細川藤孝が居なくなっているなど、史実と異なる点も多い。ただ、俺が銭を渡した以上、史実よりは銭が多いはずだ。兵を雇い入れているかもしれない。


 ここで応仁の乱ばりの泥沼の戦を始めてくれれば俺の一人勝ちである。絶対に兵は出さないと固く誓い、俺は目を西、備前へと向けることにしたのであった。


 本多正重と黒田官兵衛の知らせによれば、備前統一までもう少しということらしい。最後まで彼等にやらせるか。それとも最後くらい出陣すべきか悩む。


 出陣した場合、美味しいところだけを持って行ったと思われないだろうか。しかし、出陣しなければ薄情な当主と思われるかもしれない。どうしよう。


 こういう時こそ、素直に尋ねるべきである。俺は二人に同様の手紙を送ることにした。素直にどちらが良いかと。悩んでいると。二人で相談して決めて欲しい。そう書いて文を締め括った。


 美作国も三村家親が統一を進めている。明智十兵衛の籠絡は利いているのだろうか。やはり、自分で確かめる必要はあるのかもしれない。俺は、二人から返事が届くのを今や遅しと待つのであった。

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