狐に抓まれる思い
「お初にお目にかかりまする。黒田官兵衛と申しまする」
「黒田……貴殿は小寺ではなかったかな?」
「元々は黒田にございますれば、復姓いたしましてございまする」
「そうか。して、今日はどういう了見だ?」
俺は姫路城代である黒田家――と言い張っている――の嫡男である官兵衛と波賀城で相対していた。いや、家督を継いで参ったと申しておるから、黒田家の当主と言うべきか。彼が供を一人、吉田長利を連れて参ったのだ。
戦をしている相手の本拠に丸腰で乗り込むのだ。しかも、俺は官兵衛の主君である小寺政職を討ち取っている。復讐に燃えこそすれ、俺に迎合することはしないはずだ。考えが読めない。
「はっ。我ら黒田家は伊豆守様に降伏いたしたく存じ上げまする」
「主君を討ち取られて降伏か。劣勢になってからの降伏など許されると思うのか?」
わざと圧をかけていく。俺は前々から降伏の勧告は出していた。無視していたのは播磨の国人衆達である。官兵衛もその一人だ。いや、もちろん主君や父を説得できなかったという事情もあるだろうが、それでもである。
「言い訳は致しませぬ。しかし、伊豆守様はそうはなさらぬでしょう」
「いや、するぞ。我らは舐められ過ぎた。ここで諸国を脅さなければならないのだ。我ら武田を怒らすと怖いぞ、とな」
そう言うと官兵衛は声を押し殺してくっくっくと笑い始めた。一体、何がおかしいというのだろうか。
「失礼。いやしかし、これで合点がいき申した。伊豆守様からの調略が弱かったのはそういった事情がございましたか。ではなおのこと、我らの恭順をお認めくださいませ。必ずやお役に立ちましょう」
「どう役に立つというのか?」
そう言うと官兵衛は地図を所望した。菊千代に用意させる。どうやら地図を見て話を進めるようだ。そしてこう話す。
「我らを味方にすることで明石と櫛橋も引き入れて御覧に入れましょう。また、浦上とも縁を繋いでおりますれば」
姫路城の他、志方城も労せず開城できるのは魅力的である。だがしかし、播磨の明石氏は落ちぶれており、備前の明石氏でなければ旨味は無い。
「今、我らは宍粟郡を押さえんとしている。此度の戦で飾磨郡、揖保郡、赤穂郡そして佐用郡を攻め獲りたい。つまり、赤松を消し飛ばしたいのよ。どうだ、能うか?」
それでも播磨五十万石のたった十五万石である。いや、たったというのは失礼だ。十五万石もである。地図を見てもらっても分かる通り、山野が広がり、平地は数える程しか無いのだ。しかし、これで瀬戸内に通じることが出来る。
更にこれが成れば我ら武田領で山陽から山陰を治めることが出来る。武田領で壁を作ることが出来るのだ。それが何よりも大きい。毛利の東征を防ぐことが出来る。
「能いまする。今であれば能いましょう。天運がそう申しておりまする」
そう言ってつらつらと言葉を紡ぐ官兵衛。曰く、宇喜多直家の家臣を討ち取り、赤松義祐を壊滅させた今ならば靡くと言うのだ。そして、その調略を官兵衛がやると。
言い分は分かる。強きに靡けというのだ。そして我らは播磨攻めで強さを示した。だから我らに靡くべきである。そういう論理だ。このまま備前も手中に収めるつもりである。全くもって正しい。
浦上宗景と毛利は決別している。その流れで三村とも決別しているのだ。敵は多い。そして叔父と甥の争い。そういえば俺は甥に加担しているのであった。
そして何より浦上と眼前の黒田の婚姻だ。そしてそれを襲撃した赤松。漁夫の利を狙う格好の土壌が形成されていたのだ。
しかし、事がそう簡単に運ぶとは考えられない。いや、待て待て。官兵衛にやらせるだけならば我らに危険は無い。それで駄目だったらば処せば良いのだ。黒田官兵衛と宇喜多直家は危な過ぎる。
そう命を下そうとしたときである。菊千代がつかつかと歩み寄り、俺にこう耳打ちをしたのだ。
「宇喜多和泉守様がまかり越してございまする」
え、なんで。なんで今このときに宇喜多直家が俺を尋ねてくるというのだろうか。今更何の用だ。家臣を軒並み討ち取られているというのに。復讐に来たとでもいうのだろうか。
会うべきだろうか。全く意図が読めない。丸腰ならば会うべきである。わざわざ此処まで来たと言うことは、向こうから擦り寄ってきたと考えるべきだ。不躾すぎる気もあるが、訪問という行為に嫌悪は感じられない。
「次に会う。ひとまず何処か部屋に通しておけ」
「ははっ」
そう思ったのだが、このままだと俺が官兵衛との話に集中できない。そこで、俺は官兵衛にこのまま待つよう伝えてから宇喜多直家と面会することにした。
「待たせたな。して、何用だ」
「突然のご訪問、誠に申し訳ございませぬ。此度は伊豆守様にお願いがあって参上仕った次第にございまする」
宇喜多直家が恭しく頭を垂れる。お願いだと。一体、何の願いをしに来たというのだろうか。まずは直家の要件を聞くことにしよう。
「この八郎、伊豆守様に臣従いたしたく存じ奉りまする。何卒、お認め下さるよう、平にお願い申し上げまする」
まさかの内容だった。宇喜多直家が浦上宗景を裏切って我らに付くと言い始めたのだ。成る程、宇喜多直家が直々に参った理由が分かった。文や使者だと内容が漏れる恐れがある。さらに時間もかかる。
俺と直家が顔を突き合わせた方が早いし確実なのである。確実なのだが、これは困った。この宇喜多直家という男をどこまで信用して良いのか皆目見当もつかん。
あの宇喜多直家である。更に言うと、俺は宇喜多直家の家臣である三家老の岡家利と長船貞親、そして戸川秀安を討ち取っているのだ。
毛利と武田が戦う切っ掛けも宇喜多直家が毛利に誤報――真実だったのだが――を流したのが事の発端である。だというのに、よくもまあのうのうと臣従を願い出られたものだ。
だが、この狼を野に放って良いものだろうか。それであれば自ら囲って牙を抜いてしまった方が良いような気もする。直家はずっと頭を下げたままだ。
俺は困り果てて呆けてしまうのであった。
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