城盗物語~熊谷伝左衛門直澄の話~
弘治二年(一五五六年)七月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
「いやぁ、お味方の大勝利にございましたぞ! 某もですな、御屋形様に続いて敵陣に切り込み、敵方の兵を千切っては投げ、千切っては投げ。獅子奮迅の活躍ぶり、八幡太郎もあわやという活躍ぶりでございましてな」
戦から戻ってきた伝左が俺にそう伝える。その熱気、未だ冷めやらずといった雰囲気だ。危ない橋は渡るなと申したのに、すっかり忘れておったようだ。
しかしながら、俺は「ようやった!」と伝左に合わせるよう、やや大げさに喜んだ。彼もどうやら満更ではないらしい。
さて、彼らの話を詳しく聞かせてもらうとしようか。
◇ ◇ ◇
~熊谷伝左衛門直澄の話~
「伝左、震えておるのか?」
「ふ、震えてなど居りませぬ!」
某は若殿様に命じられた通り、御屋形様の御傍にて馬廻りとして控えていた。そんな某の許に御屋形様がやってきた。どうやら激励に来てくれたようであった。
今、某達は兵を千二百ほど引き連れて新保山城の麓に来ている。此処は御屋形様の伯父上に当たる武田宮内少輔が立て籠もる城。恐れ多くも御屋形様に楯突いた謀反人である。
新保山城は緩やかな丘の上にあり、北東、西、南、南西方向に延びた稜線に展開された城である。北西と南東に開けた平地部があり、某達はその南東部に展開していた。
「そうか、儂は震えておるぞ。武者震いよ。これで儂が父上に代わり名実共に若狭の国主となるのだからのう。このような小城、一思いに踏み潰してくれるわ。そちも励め」
「ははっ」
御屋形様の戦ぶりには目を見張るものがある。この戦も苛烈なものとなるであろう。そう思うと某も身体の震えが止まらなくなってしもうた。
「伝左、其の方は大膳亮の陣に居らんで良いのか?」
「はっ。某は若殿様に命じられて参陣しております故。親父殿とは別に武功を上げたく存じまする」
「それでその珍妙な旗を上げておるのか。これは孫犬丸の旗印か」
「はっ。左様にございまする」
「其方もあまり孫犬丸を甘やかしてくれるな。一体、どこでこのような知恵をつけてきたのか。我ながらおかしな子を産んだことよ。ま、儂は産んだ訳ではないが。ただ仕込んだだけよ。がっはっは!」
そう言って某の背中を強く叩いてから立ち去って行った。場の雰囲気が浮足立ってくるのが分かる。どうやら、そろそろ総攻めが始まるようだ。
新保山城に籠もる兵は二百程。落とすことは出来るだろう。しかし、此処で粘られては武田治部少輔や粟屋越中守が追いついて横槍を突かれかねん。手早く落とし、返す刀にて彼等を叩かねば。
御屋形様は如何される心積もりなのか。その下知を某は待った。そして考える。某ならばどうするであろうか。大義名分は公方様より頂戴している。兵の士気も高い。だが、正面からぶつかると損耗が激しい。
であれば、まずは降伏勧告の使者を送るべきではなかろうか。相手は御屋形様にとって叔父に当たる。言うなれば身内だ。それを攻めるなど、忍びないことこの上ない。
その間に兵を分け、武田治部少輔や粟屋越中守に片方を向ける。兵数差では此方が勝っているのだ。兵を二分させても痛くは無いはず。そう考えていると、御屋形様の大声が耳に響いてきた。
「全軍、突撃せよぉっ! 容赦は要らぬ! 遠慮も無用! 全て撫で斬りにせぃ! 我に続けぇっ!!」
「なっ、き、喜助! 某達も突っ込むぞ! 進めぇー!」
「へぇっ!」
そう言って御屋形様が馬を駆けさせたではないか。これには某も驚いた。慌てて某達も御屋形様に続く。
御屋形様、某、松宮殿が南東から、内藤殿、親父殿、青井殿等が北西から続々と新保山城に突き進む。
待て待て、落ち着け。この熱気に充てられてはならぬ。六根清浄だ。某の役目は何だ。馬廻りとして御屋形様を守ることだ。功を逸ってはならない。御屋形様の御命を守ることこそ肝要ぞ。
「喜助、我に続け! 御屋形様の許へ向かうぞ」
「へぇ!」
喜助達手勢二十名ばかりを引き連れて最前線に居るであろう御屋形様の許へと急ぐ。御屋形様は最前線で大声を出しながら兵を激励していた。
「御屋形様、此処は危のうございます。お下がり下され」
「何を申すか、伝左。これが戦の醍醐味ではないか! すわ掛かれぃ!」
聞く耳を持たない御屋形様。どんどん敵方の攻撃が苛烈になっていく。それもそのはず。ここで御屋形様を討つことが出来れば武田宮内少輔の勝ちになるのだから。
「拙者は塩津甚三郎と申す。武田伊豆守とお見受けした。いざ、尋常に勝負致せぃ!」
一人の武者が槍を振るって御屋形様目掛けて突進してきた。これこそ某の出番である。長らく、若様を守るためと傅役になってから磨いてきた槍術を披露する良い機会である。
「某は熊谷伝左衛門と申す。御屋形様が出る必要のない小者は某が相手しようぞ」
槍を振るう。これまで鍛えてきたのは良いものの、長らく実戦からは離れていた。と言うより離れざるを得なかった。傅役が槍を振るう機会が多ければ、若様が危ない目に多く遭っているというもの。それは傅役失格である。
しかし、実戦から離れていたという経験不足は否めない。感覚が中々戻らず、徐々に劣勢に追い込まれてしまう。だが、致命傷だけは与えない。
「ほぅれ! どうした? その首、削ぎ落してくれる!」
塩津何某が槍で某の胴を突いてきた。そこに隙が生じる。馬鹿め、槍は突くものに非ず。叩きつけるものなり。
突かれた槍を軽くいなし、槍を相手の胴目掛けて思い切り叩きつける。鉄が割れる音がした。
「かはっ」
どうやら絶命してはおらぬようだが、もう立てまい。呼吸も浅いのが分かる。戦に情けは無用。いや、止めを刺すことが情けなのかもしれぬ。脇差を抜いて塩津何某の首を獲った。
「ほう、侍首を獲ったか。やるではないか。褒めて遣わすぞ。お主を孫犬丸の傅役にして正解だったわ。がっはっは!」
「恐悦至極にございます」
「戦はまだ始まったばかりじゃ。者共! 伝左に後れを取るではないぞっ!」
此処から更に苛烈さを増す御屋形様の軍勢。しかし、敵も然る者ながら必死の抵抗を見せてくる。しかし、その終焉はすぐそこまで忍び寄っていた。
「御注進にござる! 青井将監様、北郭を落としましてございまする!」
「左様か! でかしたぞっ! 皆の者、叫べぃ! 北の郭を落としたぞぉっ!」
方々から北の郭が陥落したとの叫び声が上がる。明らかに敵方に動揺が走っていた。今、某達が攻めているのは南の郭。つまり、南の郭を死守できても北の郭が落ちてしまえば主郭に攻め込めるのだ。
主郭が落ちれば新保山の城は陥落である。これで動揺しない訳が無い。しかし、いつの間に青井将監様が北の郭を。呆けている某の許に御屋形様がやってくる。
「伝左、儂達は下がるぞ。供をせい」
「ははっ」
どうやら御屋形様は前線を離れるようである。某も一安心した。やはり総大将が前線に居るのは気が気でならない。陣に戻るや否や、御屋形様は暑いと仰せになり鎧兜を脱いでしまった。
「御屋形様、危のうございます」
「構わん。もう城は落城寸前じゃ。何故に儂が前線にて声を上げたか分かるか?」
鎧兜を小姓に預け、某に扇子で仰げと指示を出す。小姓から扇子を受け取り御屋形様を仰ぎながら問いの答えを考えた。がしかし、全く思い浮かばぬ。そこで素直に頭を下げて教えを乞うた。
「……いえ、分かりませぬ」
「敵の目を引き付けるためよ。さすれば敵は儂を狙ってそこかしこから駆けつけよう。しかし、敵の兵数は此方より少数。すれば北が薄くなるという算段よ。そこを青井将監殿が落とせば儂の勝ちじゃ。それに」
その時であった。一人の遣い番がこちらに走り込んできて、大きな声でこう告げた。
「ご注進にございます!白井石見守殿、約定により我らにお味方するとの由!」
成程。これで全て合点がいった。御屋形様が前線に出ていたのは兵を鼓舞するためだけではなく、敵の目を欺くためにあったのだと。
これには唖然とする他なかった。新保山城に籠もっていた白井殿が反旗を翻したのだ。これで城門は無用の長物になってしまった。
青井将監様も兵が少なくなった白井石見守殿と共謀し郭を落としたに違いない。これでは新保山城を守り切ることは出来ない。兵も足りなくなっているはずだ。我らの勝利は揺るぎないだろう。
「いつの間に青井将監様と斯様な謀を」
「『謀は密なるを良しとす』と申すであろう。これでなければ戦は勝てん。よう覚えておけ」
「ははっ」
程なくして新保山城は落ちたという。城主であった武田宮内少輔は縛に就いた。こうして、早朝に始まった戦は昼過ぎには決着を見ていたのであった。
某は首級を挙げた褒美として銭を十貫と感状を貰い受けたのであった。
◇ ◇ ◇
「という次第にございます」
まさか父が斯様に戦上手であったとは露程にも思わなんだ。伝左は父に心酔しきった様子である。
貰った銭で太刀を買うらしい。拙いな。俺よりも父に心酔されると裏切りが怖くなってしまう。これは何か対策を練らなければ。
「そうか。しかし、戦はそれで終わりなのか? 御祖父様も粟屋越中も出て来ては居らぬではないか」
「はっ、そのことなのですが新保山城の直ぐ傍まで来ていたらしいのですが、急に粟屋越中守が身を翻して国吉の城に引き連れていた兵三百と共に戻るとごね始めたのだとか。恐らくは十兵衛様が攻め掛かった知らせが届いたのでしょう。それで兵を引くと揉めている最中、御屋形様の追撃を受け、被害が甚大とのこと。武田治部少輔殿は近江へ逃げ遂せたとの由」
何ともまあ呆気の無い終わりだ。まあ、戦とはこのようなものなのであろう。一つが崩れると全てが瓦解する。ああ、そう言えば関ヶ原も小早川の裏切りで西軍の全てが崩れ去ったのであったな。肝に銘じなければ。
「して、御祖父様や逸見、粟屋は討ち取れたのか?」
この言葉に身体を固くしたのは源太である。父である昌経が討ち取られたのではないかと考えているようだ。
「逃げ延びたとのことにございます。おそらくは砕導山城に向かったものと」
「……そうか。伝左、国吉城に向かうぞ。供をせい」
「ははっ」
源太はホッと安堵をする。俺はというと、厄介ごとが残ってしまったと唇を嚙んだ。何はともあれ十兵衛を労わなければ。俺は一路、国吉城を目指すのであった。
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