城盗物語
弘治二年(一五五六年)七月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
太陽が照り付ける中、指物を指し、重たい甲冑を身にまとった兵士が館へと駆け込んでくる。汗を滝のように流しながら館に付くや否や、大きな声で叫び始めた。
「御注進! ご注進にござる!!」
「如何したぁっ!」
その声にいち早く反応したのは父である武田義統であった。兵が父の居る館の中庭に入って跪きながら大きな声でこう述べた。
「武田治部少輔、武田宮内少輔、粟屋越中守及び逸見駿河守が挙兵!」
「とうとう兵を起こしたか。兵を集めよ! 彼奴らを成敗す! 各地に兵を走らせぃ! 青井将監殿にも参陣いただくよう、言伝を送るのじゃぁっ!」
「「ははっ」」
父の号令一下、兵達が散り散りに走り去っていく。それから具足を付け、戦に向かう用意をする父。
俺はその父の前に進み出て平伏しながらこう述べた。
「父上、この孫犬丸めも戦に連れてって下さいませ」
「ふっ、何を申すか。この孺子め。其方にはまだ早いわ」
やや口角を上げてそう述べる父。声色から怒っている様子はない。それであればもう少し押してみるのも手である。戦場に出たところで何が出来る訳ではないのだが、嫡男として行くべきだと判断したのだ。
「そこをなんとか、お願いい――」
「なりませぬ! なりませぬぞ、孫犬丸様。其の方は大事な武田家嫡男。いくら麒麟児と噂されているとはいえ、戦の何たるかを知らぬ稚児が踏み入れて良い場所ではござらぬ!」
そう言うは父の傍で控えていた内藤重政。むぅ、やはり戦には出られぬか。それであれば俺の代わりに伝左を行かせることにしよう。それであれば父上も内藤重政も認めてくれるに違いない。
「出過ぎた真似を失礼いたしました。では、孫犬丸の代わりに伝左をお連れ下され」
「えぇっ!」
「某には源太が居りまする。何卒、伝左衛門をば」
後ろに控えていた伝左から驚きの声が上がった。伝左もそろそろ戦で手柄を立ててきても良い頃合いだ。
それに、戦場に俺の旗印が上がらないと俺の名が上がらない。そして十兵衛が俺の家臣だとアピールすることもできないではないか。皆の邪魔にならないように旗印を上げて欲しいのである。
俺は名を上げたいと思わないが家臣のために名が必要ならば喜んであげよう。
「そうじゃな。伝左、お主も支度をせい」
「それは名案じゃて。儂が直々に鍛えてやろうぞ。はっはっは」
「は……ははぁ」
力なく平伏する伝左。心なしか、伝左が恨みがましい目つきで俺を見ているような気がするが、無視だ、無視。
流石に当主と嫡男を戦場に出す訳にはいかないか。どちらも討ち取られてしまってはお家が滅んでしまう。いや、相手に祖父と叔父が居るのだからそれは無いか。
「ということで頼んだぞ、伝左」
「ううう、はいぃ」
父と内藤重政が準備のために立ち去った後、俺は伝左にこう告げた。其方は俺の旗印を持っているだけで良い。父の傍に控えていれば良いのだ、と。
要は向こうから俺の旗印が見えれば良いのである。伝左に危ない場所へと向かって欲しくない。こっそりと父に頼んで雑兵を二十人ほど伝左の下に付けてもらおう。いや、今の内に勝手に付けてしまうか。
「おい、お前!」
「ふぇ? は、ははっ!」
「何処の者だ」
「小浜で漁をしている喜助ですだ」
「よし、喜助。今からお前の知り合いを二十人ばかし連れて参れ。今すぐだ。走れ!」
「へ……へぇ!」
「伝左。具足を身に着け、旗印を持って此処に戻ってこい」
「承知しました」
伝左が具足を身に着けて戻ってきた頃、喜助が親族やら友達やらを搔き集めて二十人揃えて戻ってきていた。
俺は彼らを勝手に部下にする。いや、した。
「伝左、お前が彼らを率いよ。生きて帰って来るのだぞ」
「ははっ。それでは御免。……はぁ」
伝左は喜助達を引き連れて去っていった。俺はただその後姿を眺めることしか出来ん。歯痒いのう。
ただ、ボーっとしている訳にもいかん。そこかしこから聞こえてくる情報を整理するのだ。
父に味方したのは主だったところで内藤重政、熊谷直之、武藤友益、松宮清長それに幕臣の青井将監などである。対して祖父に味方したのは武田信高、武田信孝、武田信由、粟屋勝久、逸見昌経、白井光胤などになる。
誰も彼も殺すには惜しい人物ではあるが、国内の膿は全て出し切らなければならない。それが父上に可能だろうか。出来なければそのまま俺にお鉢が回ってくるのだ。厄介なことこの上ない。
兵力は父が千三百程、祖父が千程だろう。予想よりも多いというのが俺の印象だ。恐らくだが三好から援軍が届いているに違いない。
しかし、そこに俺の兵が奇襲をかけるはずだ。だと思う。いや、実のところ詳しくは知らされていないのだ。今回の戦は全て十兵衛に任せてある。
十兵衛と左馬助、藤田伝五、上野之助が急拵えだが二百を率いている。一人頭、五十と少しの兵を率いているのだろう。あくまでも推測だが。
つまり、実質千五百対千なのだ。兵数差は五百もある。これは祖父も三好も誤算のはずだ。だが正直な話、戦況には全く興味は無い。俺の興味は国吉を落とせるかどうかの、ただ一点のみにあると言っても過言ではない。
そわそわした気持ちで時が過ぎるのを待つ。いかんな、こんな時こそ六根清浄だ。心を鎮めるために書に耽ろう。手習いをする。
最初は全く何が書いてあるか理解できなかった。ミミズの這ったような字だとしか思えなかったが、中々どうして慣れてくると読めるように成るものだ。
武経七書を使って文字の練習とする。内容も覚えることが出来て一石二鳥だ。と言っても俺が参考にしているのは現代の考え方だ。マイケル・ポーターにピーター・ドラッカー、そして何と言ってもランチェスターである。
とは言え、当時の考え方を理解し、周囲と話を合わせることも大事なのだ。
そんなことをしながら数日を過ごす。すると、俺の許に一人の兵士がやって来てこう述べた。
「御注進申し上げます。明智十兵衛様、国吉城を奪いましてございます」
「やったか! そのまま城を守れと伝えよ。俺もすぐに向かおうぞ」
「ははっ」
どうやったか知らぬが十兵衛は有言を実行に移したらしい。詳しい話を聞きに行くため、国吉城へと向かう準備をする。
「伝左、供を――」
「伝左衛門殿はいらっしゃいませんよ」
そこで気が付いた。俺を守る者が居ないということに。勿論、館には母や俺を守る兵は居る。山県源内と宇野勘解由が守ってくれているのだ。しかし、それはあくまで館を守る兵であって俺を守る兵ではない。
それでは源太と二人で向かうか。いや、周囲には粟屋の兵が居るに違いない。俺が捕まってしまっては元も子もないのだ。それだけは避けたい。だが、直ぐにでも飛んでいきたい。
「では俺と源太の二人で――」
「なりませぬ」
此処は大人しく、戦が終わりほとぼりが冷めるのを指を咥えて待つ他なかった。
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