毛武同盟
永禄七年(一五六五年)九月 出雲国 月山富田城 毛利陣地
月山富田城を囲む毛利軍。その軍内の空気はピリピリとしていた。どうやら尼子を攻めあぐねているらしい。
月山富田城も中々どうして、善戦しているじゃないか。それもこれも兵糧の憂いが無くなったからだろうか。それであれば兵糧を売りつけた甲斐があるというもの。
ひりつく空気の中、俺は明智光秀と本多正信、それから護衛の飯富虎昌を連れて陣の中を闊歩する。高鳴る心臓を抑え、案内する武者の後ろに続く。
大丈夫。事前の打ち合わせは嶋左近と粟屋元通とで繰り返し何度も行われている。今回はその追認に過ぎないのだ。だから大丈夫と自分に言い聞かせる。
陣幕の内側に入る。その時、武器を預けるよう丁重に願い出られた。これに応じるべきか。この行為も毛利は踏み絵として利用するだろう。我らを本当に信じているのか、と。
預ける。俺はそう決断した。足利義輝から賜った修理亮盛光と則重の脇差を預ける。護衛の立場である飯富虎昌は渋っていたが俺が手渡すように促した。
陣幕の中を進んでいく。そして一番奥の陣幕の前で止まる。武者が「武田伊豆守様がご到着なされました」と声を掛けると、「お通しせよ」という声が聞こえた。
武者が横に避けて俺の進む道を空ける。小さく息を吐いてから陣幕の中へと進んだ。中には六十を過ぎた老人。その脇に十五、六の若武者。そして更にその脇に三十代半ばの武者が床几に座っていた。
恐らく両脇の武者が吉川元春と小早川隆景。毛利の両川だろう。片方はしかめっ面で髭を生やしており、いかにも吉川元春という武者だ。
もう片方は気難しそうで生真面目な男のようだ。眉間に皺が寄っており、俺を値踏みしているのが理解できる。抜き身の刀のような怜悧さを持つ武者である。
「お初にお目にかかる。私が武田伊豆守にござる」
頭を下げる。しかし、返答が無い。ちらりと向こうを見る。すると吉川と思しき男が溜め息を吐いていた。老人が若武者の背中を叩く。
「そ、某が毛利家当主、毛利少輔太郎でござる。こちらこそよろしくお頼み申す」
毛利輝元が閊えながら名乗った。まだ、当主業が板についていない様子。どうしても毛利元就を当主として見てしまうのだろうな。気持ちは察する。偉大過ぎるのだ。
「儂が後見の毛利陸奥守にござる。それから倅の吉川少輔次郎と小早川又四郎じゃ」
両脇の武者が揃って頭を下げる。その姿を見て、俺は感動していた。毛利元就と吉川元春、そして小早川隆景が揃っているのだ。興奮せずにいられるだろうか。
武田信玄のときに抱いていた恐怖心は薄らいでいた。それはなにも毛利元就が武田信玄に劣っているという話ではない。俺があの時よりも一回りも二回りも成長したのだろう。
「ご丁寧な挨拶、痛み入る」
「そう畏まるでない。儂も会うてみたかったのじゃ。稀代の麒麟児にの」
「き、稀代の麒麟児とは大層な呼び名でござれば。何方かとお間違えになられているのでは?」
元就が俺の目をまっすぐ見てそう述べる。ヨイショしてそう言ってくれているのか。それとも本当にそう呼ばれているのかは俺も知らない。
ただ、目の前にいる毛利元就然り、武田信玄や上杉謙信、織田信長に徳川家康を差し置いて麒麟児とは過ぎたる評価である。つまり、俺の気を良くしようとしているのだ。
「いやいや、間違えておらん。たった数年で若狭から丹後、但馬に因幡、そして美作まで睨み始めたではないか。これを英雄と呼ばず何と呼ぶ」
「良い家臣を持ちました。彼らには感謝の念が堪えませぬ」
「ほっほっほ。これは謙遜を」
和やかに話し合いは始まる。まだ本題には入らない。しかし、この毛利元就という男はよく俺のことを調べている。俺が何をしたのか、つぶさに把握しているのだ。
本題に入る前に主導権を握ろうという腹だろう。俺はお前のこんなことまで知っているぞ。そうアピールしたいに違いない。
「さて、そんな豆州殿が此処まで参られたのはどう言った訳じゃろうか?」
お前から切り出せ。毛利元就がそう言ってきた。これには応じるしかない。対尼子で譲歩してもらうのだ。それ以外は甘んじて応じよう。
「我らは毛利殿と盟を結びたく存じまする。先の戦に関してはご承知の通り、行き違いであれば尚のこと。我らに毛利殿と争う意思も西進する意思も(今のところは)ございませぬ。何卒、ご考慮の程をば」
そう言って頭を下げる。これ以上、西進する気も無ければ毛利と争う意思も無い。備前国というより、宇喜多に復讐を遂げることができればそれで良いのだ。
「ふむ。その言を信じよと。豆州殿はそう仰られるのかな?」
それだけでは信用に値しない。信用に値する行動、物を見せろと暗に伝えているのだと解釈する。どうしてこうも素直に要望を伝えてくれないのか。まだ試されているのだろうか。
「仰られることは尤もにございまする。そこで如何でしょう。まずは我らと商いを始めませぬか?」
「商いにござるか?」
「石見の銀山から採れる銀鉱石をお譲りいただけまいか?」
石見銀山は毛利領とは言え、幕府に献上しているようだ。しかし、その幕府も将軍位が空位の状態となっている。つまり、銀を持て余しているはずなのだ。
「銀を採掘しているのは我らなれど、銀は公方様の物じゃ。商いに応じることは出来ぬ」
「然に非ず。公方様が欲してるのは銀ではなく銭にございまする。どの商人よりも高く買い取りましょう。買い取った銭をどうするか、公方様にそのままお渡しするかはご随意に。ただ、公方様がいらっしゃらない内は毛利殿がお預かりいただくのが筋かと」
この俺の言葉に「ほう」と声を上げたのは小早川隆景であった。どうやら彼と毛利元就には真意が伝わったようだ。そう。これは遠回しな献金なのだ。
ただ貢ぐ訳にはいかない。我らにも面子がある。あくまで対等な同盟を結びたいのだ。表向きはそうせざるをえない。領民が納得しない。しかし、それでは毛利としては旨味が無い。
なので、銀鉱石を相場よりも高く買い取る。その差分を懐に収めてほしいと伝えているのである。小早川は顎の下に手を当て、考え込んでいる。吉川は微動だにしない。輝元は……理解していないようだ。
「成程の。公方様が定まらねばそれもやむを得ぬか。それは悪くない。悪くないぞ」
俺としては領地を荒らした賠償金という意味合いも込めている。我らが毛利の領地を荒らしたとはいえ、それは敵対してのこと。それを言うなら、そもそも攻め掛からねば良かったのである。
ただ、攻め掛からねば良かったと言うと、尼子勝久を嗾けたのは武田ではないのか、という話になりそうだ。そうなったら知らぬ存ぜぬで水掛け論に持っていくしかない。
毛利元就もそこは承知だろう。だから、これで手を打てと。俺は暗にそう告げているのだ。さて、返答は如何に。
「豆州殿のお気持ちはよう分かった。儂とて盟を結ぶに非はござらぬ」
その一言でホッと胸を撫で下ろす。何とか毛利と盟を結ぶことができそうだ。表向きには対等、内向きには臣従かもしれない。でも、それでも良い。今の内に力を貯めるのだ。
なにも臣従が悪いことではない。困ったことになれば後詰めを頼むことができるのだ。大国の庇護を受けられると思えば安い買い物である。
となれば、まずは灰吹き法だ。既に生野銀山でも使われているからその点に関しては問題視はしていない。重要視しているのは銀の流通量だ。
銀が若狭武田家に集まれば慢性的な銀不足になるだろう。なにせ、石見の銀を買い、生野銀山も占有しているのだ。十分な銀を抑えることができるはず。
そうして銀を抑え、値を吊り上げることができれば最終的に利になるはずだ。それで大国の庇護も受けられるのだから、安い買い物である。そうほくそ笑んでいたところで、毛利元就が穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「では、盟を結んだことである。月山富田城を攻め落とすことに協力願えますかな?」
想定していた質問が飛んできた。ゆっくりと、しかしはっきりとした口調で参戦を要請してきたのである。あれだけ断ると啖呵を切っていたが、いざ、その状況になったら断ることは出来ない。
眼光が鋭い。射貫かれた感覚に陥る。喉がひりつく。俺は何とか声を絞り出した。大丈夫。事前に家臣たちとこの質問に対する答えは考えてきた。
「お待ち下され。尼子右衛門督殿を私が説得して参りましょう。このまま籠城しても結果は火を見るより明らか。であれば、落としどころを見つける方が双方にとって益になりましょう」
そこで口を開いたのはずっと黙っていた吉川元春であった。声を荒げてはいないのに、肚の底を震わせる声をしていた。
「それは豆州様が尼子右衛門督に降伏を勧めていただける、我らの臣になれと仰っていただけると?」
「……左様にございまする」
「尼子右衛門督が降伏せぬ場合は?」
「それは……それは、その時に考えることにいたしましょう」
あっけらかんと言い放つ。皆、拍子抜けした表情をしていた。俺がそんなことを抜かすとは思ってもみなかったのだろう。ただ、伊達や酔狂で言ってる訳ではない。
「それは余りにも無責任過ぎるのでは?」
そう言い返す小早川隆景。至極もっともな意見である。言い放った俺自身もそう思うくらいだ。ただ、考え無しに言い放った訳ではない。本多正信が反論を始めた。家臣が出張ってきたのだ。こちらの家臣が口を挟んでも良いだろう。
「まず相手を知ることから始めたく存ずる。今、打ち手を考えても尼子の反応次第では変えなければならぬと存ずるが如何か。そもそも我らが降伏の使者として赴くことに、何ら不都合は無いかと存ずるが?」
そう。失敗しようが成功しようが毛利にとっては関係無いのである。彼らは包囲を続け、そして攻めかかる。やることに何も変わりはない。
「分かり申した。まずはお手並みを拝見いたしましょうぞ。早速、向かっていただけるのでございましょうな」
毛利元就がそう述べる。俺は「勿論にござる。では、御免」と返した。そして動揺しているのを悟られないよう、足早に陣幕から立ち去るのであった。
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