蝙蝠の末路
またしてもじりじりとした時間が続く。ただ、戦なんて八割がそんなものである。川中島だの桶狭間だの関ケ原だのは例外中の例外だ。
流れとしては我らがやや優勢といったところだろう。しかし、ここで毛利本隊に登場されると一気に流れを持っていかれる。いや、本隊じゃなくても吉川隊もしくは小早川隊あるいは穂井田隊が来るだけで終わりかもしれない。
そんな恐怖を胸中に抱えながら対峙すること丸一日。中々どうして意外と動きが無い。考えられるとするならば夜陰に乗じて撤収をする線だろうか。これをされては敵わない。
ならば打って出るべきか。かの北条早雲なんかは鎧と兜を身につけさせずに夜襲をかけさせたらしい。音を嫌ったためだ。しかし、そんな勇気、俺には無い。だが、機を逃すのは惜しい。
「又次郎、頼みがある」
「何なりと」
「日が落ちたら種子島隊を連れて一発だけぶち込んできてくれ。良いか、くれぐれも一発だけだぞ。当てんでも良いから一発だけ放ってきてくれ」
俺は遠藤秀清に策の詳細を伝えた。簡単に説明するなら北条早雲の真似である。鎧兜を身につけさせずに敵の陣まで近付き、一度だけ斉射して兵を引かせるのだ。
勿論、両脇には保険として伝左と景継の二人に兵を与えて伏せておく。追ってくるなら挟み撃ちにし、逃げるなら追い首を狙う。ここまで考えてふと思った。これは、釣り野伏だろうか。
まあ、どちらでも構わない。重要なのは敵に精神的な恐怖を与えることなのだ。なので、鉄砲の弾を当てることを目的としていない。その音を響かせるのが目的だ。
「だので、あまり近付きすぎなくても良いぞ」
「承知仕りました。早速隊を編成いたしまする」
慌ただしく準備に移る遠藤秀清。それから伝左と景継の二人にも同様の策を伝えた。見落としはないだろうか。もし、毛利も夜襲を狙っていたとしたら。
此方は城に兵を残している。警備も抜かりない。そう簡単に落ちることはないだろう。うん、大丈夫だ。何処かで攻勢に出なくてはいけないのだから。
「誰かある!」
「はっ」
やってきたのは鉢屋の者であった。もう完全に我らの手先だな。仕える主君に値するということだろうか。それであればこの上ない誉よ。
「粟屋軍の内情を探ってきて欲しい。今は昼前だから夕方までに戻れるか。士気だけでも構わん。深入りせず、夕方までに拾える情報だけを探って参れ」
「承知」
言葉短く、それだけを述べると風のように去って行った。出来る手は打っておくのが将たるものの務めだ。将兵は畑で穫れる訳ではないのだから。
◇ ◇ ◇
宣言通り、弥之五郎は日暮れ前に城内へと戻ってきた。すぐさま俺の元に進み出でて跪き、報告を始める。
「御屋形様にご報告いたしまする。毛利勢と宇喜多勢に溝が生まれている様子にございまする」
「ほう。溝とな?」
「どうやら毛利勢は撤退したいと考えている様子。対して宇喜多勢は徹底抗戦を望んでおりまする」
これは望外の軋轢だ。宇喜多も此処が正念場と捉えているのだろう。我らと毛利が手を組んだらば、宇喜多はおろか、その主家の浦上まで一吹きで滅ぼせるだろう。
「……待つか。門を開けて睨みを利かせよ。攻め込んできたら門をすぐ閉められるよう、用意だけは怠るな」
「ははっ」
ここに来てもう一度、根競べである。焦った方が負けなのだ。悩んでいるのは確実に向こうなのである。焦れる心を落ち着かせて、床几にどっしりと座り直した。
俺としても、華やかな戦をしてみたい。川中島のような、関ヶ原のような戦を。こうも複雑な戦ばかりだと戦が嫌いになりそうだ。
その夜、又二郎が種子島隊を率いて、夜襲をかける。当然のことながら毛利と宇喜多の陣営は右往左往、狼狽していたのだが、そこは名将粟屋。どっしりと構えて隙を見せてくれなんだ。
一日経って二日経った。それでも敵方に動きはない。そして三日目の朝。満を持して宇喜多軍が城に攻め掛かってきた。俗にいう朝駆けである。案の定、俺は寝ていた。
「御屋形様、敵襲にございまする!」
「毛利が動いたか! 鎧を持てぃ!! 寄せ手は!?」
「宇喜多にございまする!」
「戦況は!?」
「はっ! 遠藤様が大手門にて迎撃中とのことにございます! 熊谷様も駆けつけているとのこと!」
「分かった。義兄殿には大手門に行かず、周囲の警護をとお伝えしてくれ」
「ははっ」
鎧を身に着け、霞が運んできた湯漬けを掻き込んで馬廻りを率いて裏手に回る。表門は遠藤秀清に任せておけば問題ない。こと鉄砲に関しては優秀な男である。
「大丈夫にございますか?」
霞が心配そうな目でこちらを見る。それもそうだ。一か月以上も籠城しているのだ。心も疲弊してきているのだろう。俺は努めて明るく返答する。
「大丈夫だ。我らの優勢は変わっておらん。帰ったら盛大な祝勝会を催すぞ。期待しとけ」
にっかと笑って霞に伝える。霞も何か感じたのか笑顔で「はいっ」と答えてくれた。さぁ、ここで終わりにしよう。
問題は搦め手を使われた場合だ。表門に急襲したと見せかけて背後からズドンは宇喜多の常套手段である。しかし、今のところ目立った動きは無い。俺は馬廻りを連れて城内を歩いた。
「適当に矢を射よ。怪しそうなところ目掛けてな」
なので、炙り出すことにする。城の周囲の怪しいところ目掛けて適当に弓矢をぶっ放すのだ。当たれば儲けもの。当たらなくてもバレていると感じてくれたら御の字だ。
鉄砲の音が遠くから響き渡る。流石にこの城の虎口を抜くのは難しいだろう。となれば、俺が次に行うことは一つ。敵の分断を一層深いものにするのだ。
「其方達は此処で備えよ。裏から攻め手が寄せてきた場合、早急に知らせるのだ」
「ははっ」
それから黒川衆か鉢屋衆を探し出す。彼らに俺と毛利の粟屋元通との仲裁を頼もうと考えているからである。狙いは宇喜多を孤立させることだ。
「誰ぞある!」
「此処に」
現れたのは鉢屋弥之五郎であった。どうやら黒川衆は後詰め側の支援に向かったようだ。今回は鉢屋衆と蜜月だな。弥之五郎に指示を出す。
「毛利の粟屋元通宛に接触してほしい。もうこの戦を終いにしようと。我らは元より毛利殿と争うつもりはござらんと。全ては唆した宇喜多のせいであるとな」
「承知仕った」
鉢屋弥之五郎は静かに俺の目の前から消え去った。何と言うか、鉢屋弥之五郎は忍びらしい忍びである。何処にでも居そうな普通の容姿。しかし寡黙。ただ寡黙なのである。
必要以上のことは話さない。しかし、一度町人に化けるとスラスラ出てくるというのだから不思議でしょうがない。何とも掴めぬ男である。
さて、これで毛利との和睦の使者は送った。あとはこの城を死守するだけである。此方の誘いに乗ってくれるかどうかは運次第だ。
この返答はその日の夜、すぐに返ってきた。どうやら此方の誘いに乗ってくれるようだ。毛利の忍び――世鬼衆だったか――が鉢屋弥之五郎に返書を手渡したようである。
どちらにも良い顔をした宇喜多は蝙蝠の如く、両陣営から目の敵にされるのである。我らを裏切ったことは決して許さんぞ。決してだ。黒い笑みが零れる。
ただ一つ、困った点がある。それは会談の場所だ。粟屋もあからさまに動けば宇喜多に怪しまれる。当然、この城に招き入れることも出来なければ俺が出向くことも出来ん。
悩んだ挙句、俺は今回の一切の交渉を嶋左近にお願いすることにした。その旨を認めた書を鉢屋弥之五郎に届けてもらう。要求は一つ、宇喜多の首と所領だ。後は嶋左近に任せる。左近であれば交渉を上手くまとめてくれるはずだ。
「よろしく頼むぞ」
「承知」
段々と馴染んできたのか、鉢屋弥之五郎も言葉短く立ち去って行った。慇懃な言葉よりも迅速な行動が我が家の信念である。これで俺の役目は終わった。残っているのは宇喜多をいなすだけの作業である。
この城があるならば、それも造作もないことだろう。慌てふためく宇喜多の顔が目に浮かぶ。俺は鎧を着込んだまま床に着くのであった。
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