兵が集まらぬ
弘治二年(一五五六年)五月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
周囲が騒々しくなってきた。父も母も空気がぴりついている。どうやら祖父と父の戦が近いようだ。
幸いなことに今は農繁期。農閑期となる六月、七月までは戦は起きないだろう。となれば、俺に残された時間もそう多くはない。源太が近づいて耳打ちする。
「若様。十兵衛殿からの使いの者が」
「直ぐに会おう」
どうやら十兵衛も国吉攻略に本腰を入れてくれているようだ。頼もしい限りである。
使いの者と言うのは従弟の明智左馬助であった。部屋に招き入れ、人払いを済ませる。源太には周囲に誰も近付かせるなと命じた。
「左馬助、十兵衛は何と申しておる」
「はっ。国吉城の兵はその数、五百であると」
五百か。集めたな、というのが率直な意見だ。五百の兵を動かすとなると少なく見積もっても一万石は必要になってくる。つまり、粟屋にはそれだけの力があるということだ。
四百で打って出て百を城番とするか。いや、それは希望だな。恐らくは三百で出陣して二百で城を守るだろう。対して此方――と言うか俺――は全軍併せて頑張っても二百。このままだと城は落とせそうもない。
「また、国吉城ですが曲輪、石垣、土塁、堀切を拵えているようにございます。また、山城の中腹には出丸が、本丸には虎口も見受けられるとの由」
これは粟屋が本腰を入れて城を築いているようだ。こちらの労も無く強固な山城を奪えるのは大きいが、そう上手くはいかぬだろう。今回は成らずとみるのが賢明だろうか。そう溜息を吐いたところ、左馬助がこう述べた。
「十兵衛様はこの御城を奪えるとお考えにございます。就きましては兵を百程都合いただきたいとのことにございまする」
どうやら十兵衛はこれを抜くことが出来ると考えているようだ。これには俺も度肝を抜かされた。となれば俺も十兵衛の期待に応えねばなるまい。兵を百も都合するには如何な算段を整えようか。
出来れば熊川の兵は動かしたくない。勿論、出し渋って失敗するのは避けたいが手の内を曝け出すような真似はしたくない。
少し頭を捻って閃く。なに、簡単なことよ。自前で兵を用意できぬのなら他所から兵を持ってくれば良いのだ。
では、どうやって他所から兵を持って来るか。それは無論、銭の力で持って来るのである。
「相わかった。兵を百、都合しようではないか。十兵衛にそう伝えよ」
「あ、あの……何故兵が必要なのか委細をお伺いせぬので?」
「何故聞く必要がある。俺は十兵衛に任せた。その十兵衛が兵を百欲しいと言っておる。だから俺が兵を都合する。おかしなところはあるか?」
「い、いえ……何でもございませぬ。某は熊川に戻り、このことを十兵衛様に知らせて参りまする」
「うむ、よろしく頼むぞ」
どうやら左馬助は真っ当な感性を持っているようだ。普通であれば都合した兵をどう使うのか、気になって尋ねてしまうというもの。そして尋ねたら口を挟みたくなってしまうものである。
それであれば俺は聞かん。十兵衛が落とせると申したのだ。それであれば俺はその言葉を信じ、兵を都合するだけである。それが良い上司、良い大将というものではないのだろうか。
「源太、組屋の源四郎を呼んで参れ」
「ははっ」
あとは源四郎との交渉次第だ。俺が用意できるのは銭が百貫である。これは椎茸を売り捌いて上野之助と分けた銭だ。この額で兵を百人雇うのは難しいだろう。一人頭、一貫の報酬しか渡せないのである。
さて、困った。どうやって銭を稼ごうか。父に強請るか。いや、難しいだろう。父も戦の支度で何かと銭が入り用だ。将軍にも兵を用立ててもらった。これ以上の頼みごとは出来ない。
となれば、だ。持ち物を抵当に入れて兵を借りる他ないだろう。俺が出せるのは貰った越中則重くらいである。しかし、これでは絶対的に足りない。では、どうするか。取れる手は一つしかない。館にある物を勝手に質に入れるのである。
後日、源四郎が俺の許へとやって来た。相変わらず飄々とした表情を浮かべて俺の前に座っている。腹の読めん男だ。間違えるなよ、相手は商人。利になるのであれば肩入れしてくれるはず。その利を粛々と説けば良いのだ。
「よく来てくれた、源四郎」
「武田の若殿様に呼ばれましたら火の中でも水の中でも飛んで参りましょうとも。して、如何なされましたか?」
「ふむ、そのことなんだがな。兵を都合してもらいたい。その数は百名。熊川の沼田上野之助の許に運んでいただきたいのだ。何とか借り入れることできぬものでしょうや。例えば……六角とか」
六角氏は大大名である。彼らから借り受けるのはまずもって無理だろう。しかし、六角の子飼いである後藤、平井、蒲生、三雲、進藤、目賀田辺りではいかがだろうか。
「そうですなぁ。出来ぬこともないかと存じまするが、それにはこれが……」
そう言って申し訳なさそうに親指と人差し指で輪っかを作る源四郎。どの時代でも通貨を現すハンドサインは変わらないものだと苦笑が漏れた。此処で見栄を張っても仕方がない。素直に手持ちの銭を述べる。
「百貫にござる。これで足りぬのなら用立てる必要があるのだが、逆に尋ねましょう。いくら必要か?」
「最低でも二百貫は見ていただきませんと。ご工面いただけますか?」
「ふむ、では今からするとしましょう。ついて参られよ」
そう言って俺は源四郎を従えて館の中を巡る。少しでも銭になりそうな掛け軸や器など調度品を見かけるや否や源四郎に「これはおいくらかな?」と尋ねながら歩き回った。
「では、これらをお預けさせていただく。私に銭額が工面でき次第、順次返してもらうことにしましょう。早く返してもらわなければ父上に見つかって怒られてしまう」
そう言って笑顔で対応する。本当は内心、冷や汗を垂らしながら対応しているが、そんな様子は微塵も感じさせない。いや、感じさせたくない。大丈夫だ。調度品の一つや二つ……どころではないが、そうばれるはずがない。
「いやぁ、驚きましたな。かような方法で銭を工面するとは。承知いたしました。私も全力で兵を都合させていただきましょう。ですが、こちらの品々は必要ありません。借銭としておきましょう」
これには驚いた。源四郎は担保も無しに銭を貸してくれるというのだ。これは俺が国主の息子であるという地位に銭を貸してくれているのだろう。こればかりは産まれに感謝だ。
「ちなみにお父上ですが、我々にこれだけの借銭をしておりまする。孫犬丸様は……お踏み倒しなどされませぬよね?」
そう言って算盤を弾いて俺に見せてくる源四郎。その額を見て目玉が飛び出そうになった。俺は平静を装って首肯して返答する。
「う、うむ。色を付けて返してやるとしよう」
これで兵の工面は大丈夫だろう。問題はどこから借りてくるかである。出来れば六角と敵対関係にある浅井は避けておきたい。俺が浅井と近付けば六角は良い顔をしないだろう。しかし、そうも言ってはいられない。
「源四郎殿、いつまでに兵を?」
「そうですな。一月の間には熊川にお送りいたしましょう」
源四郎もその肌で感じているであろう。戦が間近まで迫っていることを。その証拠に源四郎の許へ武具や米の注文がひっきりなしに届いているというのだ。彼ならば戦の始まる前に兵を送ってくれるはず。
この時、俺は兵は大して集まらないと考えていた。が、その予想に反して兵は直ぐに熊川へと送られてくることとなった。しかも、その数は百二十。何故このようなことになったのか。
それは俺が考えていたよりも深刻な問題であった。どうやら畿内で俺の名前が売れ始めているというのだ。その元凶は伯父であり将軍でもある足利義輝だそうな。
俺のことを『稚児らしからぬ賢さ』だとか『親想いの孝行者』と謳って、訪ねてきた客人に誰彼構わず言い触らしているのだとか。
どうもこの時代の国主は血の気が多くて困る。余裕のある大名や国衆は俺に兵を貸し与えて、その為人を諮ろうとしているのだ。ここではうつけを演じるべきか。
いや、逆に人目に一切触れないことにしよう。俺が行うのは十兵衛のために兵を用意することだけである。彼の軍略に挟む口はない。彼のために強いて何かするということがあるのなら、旗を貸し与えることぐらいだ。
若狭武田の旗は貸し与えることが出来るが、両方とも若狭武田の旗を使っている。なので祖父も父も旗印を少し変えていた。そこで、俺の旗印を造らなければならなくなった。さて、どのような旗にしようか。
風林火山は甲斐武田の晴信公が使用しているはず。俺もなんか長ったらしい旗印にしたい。天地人だと上杉か長尾みたいになってしまう。
それから隣は加賀だ。出来るだけ一向宗を刺激したくない。そうと決まれば。
『天清浄 地清浄 内外清浄 六根清浄』
これを旗印にしよう。これは祝詞だったか、それとも仏語だったかは定かではないが、良い言葉なのは間違いない。あ、仏語はフランス語ではないぞ。この時代にフランスはまだ日ノ本に来ていないからな。
六根清浄とは、まあ平たく言えば心を鎮めて清らかな心で物事に当たれということだ。当たり前だが冷静さを欠いた状態で戦っては勝てる戦も負けるというもの。曇りなき眼で見定めねばならぬ。
この旗を源四郎に発注する。さて、これで準備は整った。あとは上手く事が運ぶことを願うのみである。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
【現在の状況】
武田孫犬丸 五歳(数え年)
家臣:熊谷直澄(伝左衛門)、沼田祐光(上野之助)、明智光秀(十兵衛)
陪臣:明智秀満(左馬助)、藤田行政(伝五)
装備:越中則重の脇差
地位:若狭武田家嫡男
領地:なし
特産:椎茸(熊川産)
推奨:なし
兵数:220
金銭:-100貫
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