永禄
永禄八年(一五六五年)五月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
若狭に戻り、政に精を出す。どうやら尼子勝久が上手く毛利の背後を荒らしているらしい。月山富田城にも兵糧は十分に蓄えられている。直ぐに落ちることはないだろう。
毛利は厄介な爆弾を抱えてしまったのだ。勝久が後ろを荒らせば荒らすほど国衆達の気持ちが離れていく。しかし、対処するのは難しいのだ。それはゲリラ戦の歴史が証明している。
対ゲリラ戦と包囲戦の二方面作戦が果たしてできるだろうか。毛利家の人材であれば出来るかもしれないが難しいのは必定だろう。特に出雲や石見は尼子のお膝元だ。勝久の協力者も大勢居る。
西は尼子を盾にしておけば大丈夫だ。問題は南、三村である。どうにかして宇喜多と連携したいところだが、彼らをどこまで信用できるか。
全く持って信用できないな。それならば独力をもって当たる方がマシかもしれない。信用できない味方は敵よりも厄介である。そんなことを考えていると扉が開いた。堀菊千代が開けたようだ。
「御屋形様、黒川玄蕃佐がお見えにございます。なにやら火急のお知らせとのことにございますが」
「通せ」
「もう居るよ」
「のわっ!」
さすが忍者。いつの間にか俺の真横に座って寛いでいた。どうやら、俺が拒まないと判断して入ってきたのだろう。いや、問答する手間も惜しい程に急ぎの知らせなのかもしれない。
「吃驚した。次からは普通に入ってきてくれ」
「公方さまが三好に弑されましたぞ」
「は?」
俺と菊千代が固まる。正直、黒川玄蕃佐が何を言ってるのか全く理解できなかった。落ち着け。俺は将軍が殺されることを知っていただろ。もっと冷静になるんだ。
「それは真か?」
「真にございまする。松永殿と内藤殿が懸命にお止めしたとのことですが、三好孫四郎殿や岩成主税助殿が三好の御当主を唆し、御所巻を行おうとしたところ、制止が効かず、行き過ぎたみたいにございますな」
黒川玄蕃佐が菊千代の持ってきたそば茶を啜る。やはり公方は殺される運命なのだろう。公方も煽り過ぎたし、三好の新当主も若過ぎた。しかし、馬鹿なことをしてくれたものよ。
幸いなのは松永と内藤が諫め、反対してくれていたことだ。どうやら俺との約束を守ってくれようとしたらしい。それだけでも信ずるに値するというものである。少なくとも宇喜多よりはマシだ。
「御所巻の要求は?」
「公方様の退任にございまする。なんでも平島公方に将軍職を譲るよう、強く迫ったのだとか」
平島公方と言えば足利義維いや、足利義栄か。成る程、足利義維は将軍職まであと一歩のところまで迫った。自身は無理でも息子を将軍にさせたいと強く願っていたに違いない。
そこに四国を拠点とする三好が擦り寄ってきた。二者が反足利義輝で結託するのは火を見るよりも明らかだ。しかし、将軍を弑すなど周囲に敵を作るばかりではないか。
「六角や畠山に動きは?」
「まだ情報が伝わってますまい。なにせ昨日の今日ですからな」
逆にそんな情報をどうやって手に入れたのか気になってしまうが、蛇の道は蛇ということなのだろう。聞いても教えてくれなさそうな気がする。
それよりも、だ。これからどう動くかが重要である。三好は足利義栄を擁立してくるだろう。対する義輝の遺臣達は弟で出家した覚慶を立ててくるに違いない。ここまでは史実通りだ。
他の選択肢としては義栄の弟である義助、義輝の弟である覚慶と出家した周暠が候補に挙がる。周暠も俺の叔父でもあるのだ。そして、俺は足利の後継者争いに巻き込まれたくはない。
「叔父の周暠を此処へ連れてくることは可能か?」
「相国寺の周暠さまにございますな? お安い御用で」
「良し。ならば頼む」
俺は足利周暠を擁立することにしよう。勿論、彼が将軍に成れるとは思っていない。ただ、義栄と覚慶の争いに関わりたくないだけである。
あくまでも周暠を推す。しかし、何の活動もしない。ただ、周暠を推すだけなのだ。それでこの争いからは逃れることができるはずだ。
そして若狭の政にも口を出させない。小浜に屋敷を建てて少し裕福に過ごさせてやろう。禄は五十石もあれば十分のはずだ。
「御屋形様、御母堂様にも……」
「ああ」
また嫌な役回りが回ってきた。父が亡くなった時も俺が母に告げた。そして伯父、つまり母の兄が亡くなった今も俺が告げろと菊千代は言ってるのだ。だが、それが道理でもある。
「はぁ。致し方ない。菊千代、着いて参れ」
「ははっ」
足取り重く、母の元へ向かう。母はというと、父――母からすると旦那だ――の仏壇に対して必死に念仏を唱えていた。この場に侍女の八重、それから俺の側用人である文も同席していた。
何と言うか、場が悪い。父の死に被せて叔父の死を俺が伝えろというのか。卒倒するぞ、母は。
「御屋形様、御屋形様」
菊千代が後ろからせっついてくる。後ろでこそこそ動いていたからか、母が念仏を唱えるのを止めてこちらに向き直ってしまった。
「孫犬丸、どうかしたのですか。いや、もう孫犬丸ではありませんね。伊豆守殿、どうかなされたのですか?」
「あ、いや、その……」
思わず言い淀んでしまう。言わなきゃ駄目だと頭では理解しているのに、母と正対した途端、言葉が出なくなってしまったのだ。
「何か用があったから参ったのでしょう。早く申しなさい」
「あー、そのですね。公方さまが、あのー」
「兄上がどうされたのです?」
「三好の者に、その……弑されたようにございます」
「……あぁっ」
全身の力が抜けて倒れ込む母。それを侍女の八重と文の二人が慌てて受け止めた。気の弱い母のことだ。こうなることは予測できていた。しかし、言わざるを得ない。
「このままでは叔父の周暠殿も危のうございます。今、若狭に呼び寄せる手はずを整えましたので、今しばらくお待ち下さりますよう」
「うううぅっ。何故、私だけこのような目に」
旦那を殺され、兄を殺され、踏んだり蹴ったりというのはこのことだろう。史実であれば弟まで殺されるのだ。心を病んでも致し方ない。
俺は声を掛けることも出来ず、ただただ立ち尽くした。そして菊千代に促されるままに母の前を辞したのであった。だから母は苦手なのだ。
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