美作国争奪戦
「お呼びでございますか?」
本多正信が平服で俺の元に会いに来た。正信も段々と俺のことが理解できてきたようである。畏まって来られるよりも、急いで駆けつけて欲しいのだ。その方が価値が高いと俺は見ている。
「ああ、急に呼び付けて済まんな。魚が餌に掛かったものでな」
「ほう。詳しくお伺いいたしましょう」
宇山久兼との話し合いの内容を本多正信に詳らかに説明した。勝山城が三村氏に奪われたこと。三村氏が毛利氏の援助を受けていること。尼子氏が我等に助力を請うてきたことを。
「俺が考えるに、美作国は勝山城を三村に奪われはしたが、美作全体が三村、引いては毛利の傘下に入った訳ではない。今であればまだ手の打ちようがあると考えている」
俺は地図を広げる。美作国の地図だ。美作商人の中尾四郎兵衛から貰った地図である。そこに駒を置いていく。赤が敵方。青が味方の駒だ。
「三村紀伊守が南から北上して勝山城を落とした。もう尼子は風前の灯火だな」
尼子の尼子十旗と呼ばれる月山富田城を守る城の大半は毛利に奪われている。一昨年に白鹿城を奪われたのが痛かった。残されたのは牛尾城、高瀬城、神西城、熊野城、大西城の半分しか残っていない。
先見の明が無いな。あのときに我等と盟を結んでいれば助けることが出来たものを。今となっては後悔先に立たずと言ったところだろうか。
「しかし、ここで我等が圧を掛ければ国衆が親三村になるのを防げるだろう。また、勝山城を守っていた三浦遠江守は切腹し、その妻と子が宇喜多和泉守の元へ向かったらしいではないか」
「お詳しいですな」
「なに。弥八郎が来るまでに黒川衆から伺ったまでよ」
「これはこれは。遅参を謝罪するべきですかな?」
にやりと笑う弥八郎。別に弥八郎を責めるわけではない。俺のもとに急いで欲しかったのは事実だが、彼としても何用で呼ばれたのか、どんな献策をすれば良いかの時間が欲しかったのも事実。こればかりは致し方ない。
だが、俺はそれよりも早く駆けつけて欲しかったので少しだけ皮肉を述べたまでである。それを読み取るあたり、流石は本多正信と言ったところだろう。
「いや、俺が悪かった。忘れてくれ。話を元に戻すぞ。三浦遠江守の妻子が宇喜多和泉守の許へ向かったのであれば、どうなるか。妻子を受け入れた場合、宇喜多は三村の敵に回ると思っている」
「仰る通り、宇喜多は三村の敵に回りましょうな。宇喜多にとって三村は目の上のたん瘤。攻め込む口実を見つけたとでも思っておりましょう。であるならば、宇喜多に共闘の話を持ち掛けても良いかと。そうしなければなりませぬ。さらに申さば御屋形様が思っているより、美作は尼子の物ではございませぬぞ」
そう言って美作国の三星城主である後藤勝基が早くに尼子を切り捨て、備前国の浦上宗景と組んで尼子配下の江見久盛の居城である倉敷城を攻めていると言う。
これは失敗に終わっているが、三村家親の侵攻も跳ね返しているというのだ。これは一筋縄ではいかない予感がしている。
しかしなるほど。その発想は俺には無かった。宇喜多も梟雄として名高いが、相手が梟雄だと理解しているうちは問題ない。要は心を許さなければ良いのだ。
「南から三村紀伊守を攻めてもらうのか。西から尼子、東から我らが攻め、尼子は後顧の憂いが無くなる。我らは美作の半国を割譲してもらう。宇喜多は三村の力を削いで旧領を回復できる。悪くはない、か」
そうなると、美作国の半国の割譲がそこまで美味しい話では無い気がしてきた。浦上や宇喜多の勢力下であるならば、さらなる厄介ごとが舞い込んでくるだけである。
いや、しかし浦上を弱らせる好機でもある。兄弟喧嘩と赤松との争いで疲弊しているはず。ゆくゆくは因幡、美作、備前を対毛利の戦線にしたいと考えている。それであるならば、備前のために早めに動くべきか。
「何はともあれ、まずは宇喜多が我らと足並みを揃えてくれるか、であるな。弥八郎、俺の代わりに宇喜多和泉守の許へ向かってくれぬか?」
「お任せくださいませ」
となると、親書を持たせねばならない。親書の内容を如何するか。これが問題だ。正信と一緒に内容を詰めていく。迂闊なことを書くことはできない。
落としどころとしては尼子と宇喜多、そして我ら若狭武田の三者での会談の場を設けるところだろうか。そこで対三村について話すのである。
我らとしては東美作を押さえ、鶴山城を奪取したい。そして津山の平山城を対毛利の最前線の城に改修するのだ。そのためにも後藤勝基の居城である三星城も手に入れなければならない。
つまるところ、我らの要求は東美作の割譲これ一つに尽きる。問題はどこまで強硬な姿勢を貫くか、だ。一番困るのは我らと毛利を比較されることである。六国以上押さえている毛利には敵わない。
そして宇喜多は毛利と領地を接している。三村は毛利と組んでいる。三村を攻めることは毛利を敵に回すことと同義になるだろう。宇喜多はそこをどう捉えるか、だ。
「話し合いの方向性は見えましたな。では、尼子と宇喜多に書状をお認めくださいませ」
「わかった」
宇喜多は場の空気でゴリ押すことにする。もし、宇喜多が同意しないのであれば三村に話を持ち掛けるまでよ。
我らとしては尼子、宇喜多と組んで三村と毛利に対するか、それとも三村、毛利と組んで尼子と宇喜多と対するかの違いである。
毛利とは一度、敵対してしまっているが謀神と言われる男だ。理と利が見えているのであれば、それを取るはずである。だからこそ、一代であそこまで築けたのだ。
さらにいうのであれば、直接対峙しているわけではない。毛利は南条、我らは武田高信という緩衝材を挟んで敵対しているに過ぎないのだ。まあ、敵対しているに変わりはないが。
京の三好と足利の動きも気になる中、今まさに美作を巡った攻防戦の火蓋が切られようとしていたのであった。
1560年代後半の毛利が一番脂が乗っていると思っています。
毛利元就の全盛ですね。70年代からは元就が亡くなって落ち目になっていると思ってます。
やはり隆元が亡くなったのが痛かった。弟たちが優秀なだけに凡庸で悲観的と捉えられがちですが、内政面では弟たちよりも優秀だったと考えてます。そういう人たちの気持ちがわかるからでしょうか。
父の広げた領土を固める才能を持っていたと思います。
家臣の結束を固める能力もあったでしょう。あまりにも惜しい。
そう思うと、織田信忠、毛利隆元、徳川秀忠。二代目は堅実で内政面に秀でた人物が多いなと。
親が偉大過ぎたからでしょうか。苦労したのでしょう。だというのに、武田の二代目はどうして……。
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