急報駆け込む
永禄七年(一五六五年)一月 若狭国 後瀬山城
年が明けた。家臣たちは飲んで食って騒いで新年を祝っている。俺は次々に来る家臣たちからの挨拶を笑顔で受け入れる。
しかし、俺は一向に新年を祝う気にはなれなかった。なにせ男色好き疑惑をかけられているのだ。へこみもするだろう。
そんな皆が浮かれた新年を過ごしてから幾日か経った後、一人の若武者が俺のもとにやってきた。名を武藤喜兵衛と言う。武田信玄の奥近習衆の一人だ。
「武田太郎様、ご謀反にございます」
「なんと!?」
傍に控えていた菊千代が大きな声を上げて驚く。俺は妻の藤姫、それから飯富虎昌、長坂昌国と曽根虎盛の三名を呼び寄せる。最初に到着したのは当然ながら藤姫だ。
「わざわざ呼び出して何の用です?」
相変わらず不遜な態度でやって来る藤姫。苛立つ気持ちを抑えて冷静に座るよう命じる。そして、喜兵衛からの報告を耳にするよう促した。
「武藤とやら、何用で若狭まで参られたのです?」
「……武田太郎様のご謀反の知らせをお届けに」
苦虫を嚙み潰したような顔をした武藤喜兵衛は声を絞り出して報告をする。その報告を聞いた藤姫は喜兵衛の言葉を受け入れられずにいた。
「は? え? 今、なんと?」
「お父上の太郎様が当主の座を奪おうとしていたのが御屋形様に露見いたしまして、それで……」
藤姫の心情を思ってか、段々と言葉尻が弱くなっていく喜兵衛。まだ十代の喜兵衛では泣く子には勝てないようである。
喜兵衛から詳しく情報を聞く。聞くのだが、中々にお粗末な計画だったようだ。飯富昌景が気が付き、看過できずに信玄に密告したと言う。
それもそのはずである。腹心だった飯富、長坂、曽根の悉くを信玄に奪われてしまったのだから。計画という計画ではなかっただろう。
実行の主犯となったのは長坂勝繁であった。昌国の兄である。どうやら俺は勘違いをしていたようだ。昌国ではなく勝繁が協力していたようだ。
それでも彼を君主簒奪に突き動かしたのは何か。今川のためを思ったのか、それともまさか諏訪に肩入れしている者の力が……。そればかりは今となってはもうわからない。
「委細承知した。して、我らのもとを訪ねた理由は何だ。お藤を引き渡せ、ということか」
その言葉を聞いて藤姫の身体に力が入る。どうやら連れて行かれると勘違いしているらしい。いや、俺としては連れて行ってもらっても一向に構わないのだが、ここに残すのとどちらが得か。
長男の義信が処されたとなれば、次男が継ぐのが定石なのだが、この次男は盲目だったはずだ。そして三男は早世している。
なので継ぐのは四男の四郎勝頼なのだが、彼は側室の子だ。さらに既に諏訪家を継いでしまっている。武田家の家臣となっているのだ。
ここで俺が藤姫との間に子を成し、甲斐武田の正当性を主張したらどうなるだろうか。今は力関係が向こうが圧倒的に上だが、此処から甲斐武田が崩れ落ちることが想定される。特に信玄が亡くなったらどうなるか。見物だ。
それであれば、藤姫は絶対に渡してはならない。俺も武田家の端くれだ。甲斐武田家の名跡を狙うことも不可能ではないはず。いや、その前に釘を刺されるか。
「悪いがお藤は渡せんぞ。何せ私の妻だからな。信玄公のご意向でもおいそれとは従えぬ」
「いえいえ、然に非ず。むしろ信玄公は感謝しており申した。これからも昵懇に、とのことにございます」
これは肩透かしを食らった形になった。どうやら若狭と甲斐との間に美濃や飛騨があるため、影響は無いと考えているようだ。そして、俺がそれを超えられないとも思っているようだ。
それよりも我らが若狭武田との関係の維持を考えた、ということになる。これは純粋に嬉しいと思う。顔がにやけそうになるのをしっかりと引き締める。
「そこで、伊豆守様に一つお願いしたき儀がございます」
「なんだ?」
「我が主は本願寺との本格的な盟を考えておりまする。そこで、伊豆守様に我らと本願寺との執り成しをお願いしたく」
執り成すくらいであれば問題ないが、盟に巻き込まれると面倒だ。そこは上手く回避したい。言葉を慎重に選ばなければ。
「もちろんだ。執り成し程度でございましたらお任せ願おう」
いや、待てよ。そもそも信玄と顕如は義兄弟のはず。俺を介する意味がわからない。となると、やはり俺を巻き込みたいのだと見える。巻き込んでどうする。加賀と信濃で越後を挟み撃つ計画なのだろう。
つまり、俺に加賀とことを荒立てるなと暗に忠告しているのだろうか。それとも盟に組み込んで人馬兵糧を船で送れと言ってるのだろうか。読めば読むほどわからなくなってくる。
何はともあれ執り成すと言ってしまった。なので、実悟に話を通しておこう。これで話は終わりにして良いだろうか。いや、まだ疑問が残る。
「加賀の一向門徒と結ぶということは、まだ上杉を攻めるということで?」
武田義信を排斥したということは今川家を攻めるということではないのだろうか。今川家で思い出した。義信の妻である嶺松院を引き取らねば。
「これは某の考えにございますが、加賀の一向門徒の力を借りて上杉を牽制し、その隙に駿河に攻め込むのかと」
成程。加賀の一向門徒が動けば上杉はそちらに兵を割かねばならぬ。そうすると信濃への兵も必然と少なくなるという考えか。確かにその通りだ。つまり、上杉の注意を逸らすことに力を貸せと言ってるのか。
「得心した。流石は真田弾正の子だ。麾下に加えたいくらいである」
「お戯れを」
本気だったのだが、袖にされてしまったようだ。こればかりは仕方がない。ただ、こちらの誠意だけは伝えておきたいところである。
「では、某はこのまま堺へと向かいまする。執り成しの件、良しなに」
畜生。まんまと嵌められてしまった。やはり若年であっても真田は真田であった。流石は武藤喜兵衛、いや真田昌幸よ。やられたというのに心の中に清々しさが残る。
その後、藤姫より遅れてやってきた飯富、長坂、曽根の三人に事の顛末を告げる。しかし、驚いている者は居なかった。どうやらこうなることを理解していたようだ。
「御屋形様、お願いしたきことがございます」
「なんだ?」
「兵の受け入れを御許しいただきたく」
飯富が言うには義信が謀反で失脚した結果、路頭に迷う足軽や雑兵、組頭が出てくるというのだ。彼らを受け入れたいということらしい。
「別に構わん。なんならこの地にて赤備えを再建してくれ」
「承知仕りました」
三人は散り散りになって何処かへと歩いて行った。どうやら呼び出された時点でこうなることを予期していたかのように動く。流石は経験豊富な士である。
「さて、戻るとするか。立てるか?」
俺は藤姫に手を差し伸べる。呆然としているようであった。今まで笠に着ていた総てが音を立てずに一気に崩れ去ったのだから。然もありなん。
俺は藤姫を無理やり立たせて自室まで送る。そして侍女の美代に引き渡す。いや、引き渡そうとしたのだが、藤姫が俺にしがみ付いてきた。
「わ、私を見捨てないでくださいまし!」
泣きながらそう懇願する藤姫。なんというか、俺の中の加虐心がそそられてしまったのだ。しかし、簡単に許すことはできない。ここで甘い顔は出来ないぞ。だが、俺の嗜虐心がそそられる。
「当たり前だろう。先にも申したが其方は私の妻だ。そう簡単に手放すわけがないだろう」
俺はにやりと笑った。切っ掛けは些細なものである。一寸したボタンの掛け違いが直されると夫婦間なぞ、こんなものだ。これで俺も男色の噂を一蹴できるだろう。
とりあえず、藤の曲がった性根を叩き直すことから始めようか。気を利かせた侍女の美代は静かに部屋を後にしたのであった。
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