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美濃の蝮、堕つ

弘治二年(一五五六年)五月 若狭国 後瀬山城 武田氏館


「今日は良い天気ですねぇ、若様」

「そうだな、源太」


 館の縁側で日の光を浴びながら白湯を啜る。段々と暖かくなる今日この頃。春眠暁を覚えずとはまさにこのことである。あれ、意味違ったかな。まあ良いや。そんなことを考えるのも億劫だ。


 そろそろ白湯にも飽きた。麦茶か緑茶を飲みたいところだけど、まだ普及していない。茶葉は高級品だ。そう簡単に手に入るものではない。それならば麦茶かそば茶を用意できないだろうか。


 そんなことを考えながら縁側にて呆けている。


 朽木谷から帰ってきてからというもの、全くといって祖父にも父にも動きは無かった。ただ、水面下で何やら動いているのだろうな、ということだけは伝わってくる。根回しをしたせいか、どうやら父が優勢のようだ。


 その理由というのも、三月に幕臣である青井将監が兵を連れて見舞いにやって来たのだ。この男、中々の策士である。それを見た日和見の国衆達が父に靡いたのだとか。


 ただ、祖父も叔父の武田信由も粟屋、逸見と結託をしている。油断していては足元を掬われよう。まあ、どちらにせよ、俺は最後の美味しい部分だけを掻っ攫っていく予定ではあるがな。


 そんな祖父はと言うと、父を見限って武田信由の居城である新保山城へと向かってしまった。お陰でこの館に居るのは父と母、それから俺と文だ。


 まさか、祖父がこの館から離れるとは。父との確執が深まるばかりである。これで内外に確執が伝わったであろう。

 

「孫犬丸様はいらっしゃいますでしょうか!?」


 ボーっとそんなことを考えていたら、館の遠くで俺を探す男性の声が聞こえる。珍しいな。父ではなく俺を探すのは。俺は此処に居るぞと大きな声を張り上げると、捜し歩いていた男性が俺の前で跪いた。


「斎藤山城守様、長良川にてお討ち死との由。明智十兵衛様とその一族郎党、熊川に逃げ落ちてございまする!」

「なんと!?」


 知らせを聞いて驚く源太。俺としてはとうとうこの時が来たか、という心持ちだ。俺は脇差を下げて源太に馬を牽かせる。


 この男はどうやら上野之助の手の者であったようだ。順調に兵が育っているようで安心したぞ。急ぎ、伝左衛門にも使いを出す。これから熊川に向かうぞ。


 問題は十兵衛をどうやって俺の与力、いや家臣にするかだ。立場としては一門でも構わないと思うのだが、関係としては祖父方に近しいと思われる可能性がある。一時的に上野之助の下に付けるか。それも視野に入れなければ。


「伝左、飛ばせ!」

「承知いたしました!」


 馬の腹を蹴る伝左。嘶いてから駆け出す馬。源太も先程の兵士も俺たちの後を付いてくる。馬を走らせれば熊川まで三時間、いや二時間で到着できるはずだ。


 しかし、とうとう美濃の蝮が落ちたか。ということは信長は帰蝶と結婚して東の今川と北の斎藤に警戒している頃合いのはず。今川、武田、後北条の三国同盟は成されているのだから。


「着きましたぞ!」


 伝左が閃光の如く馬を飛ばし、熊川の上野之助の屋敷へと俺を届けてくれた。伝左はへたった馬の面倒を見ている。十二分に休息を与えてやってくれ。


「十兵衛殿、十兵衛殿は居られまするか!?」

「はっ、此処に」


 無遠慮に沼田の屋敷を探し回る。すると、その声に気が付いた十兵衛が俺の目の前に現れた。その後ろに何人か連れが控えていた。


 いや、あの方は、お会いしたことないがあの方こそが俺の大叔母なのだろう。となれば、この方は十兵衛の妻か。どうやら一族総出で逃げ出してきたようだ。


「ご無事で祝着至極に存じまする。いや、不謹慎でありました。申し訳ございませぬ。斎藤山城守様が討たれたと聞き及んでおりますれば。これは真にござりましょうや?」

「無念ながら真にございまする。某、山城守様にお味方し、恥ずかしながら逃げて参った次第」


 そう言って涙を流す十兵衛。彼と道三の間に何があったのかは分からないが、固い絆で結ばれていたことは十兵衛を見れば分かる。道三の嫡男である義龍とも学友であったはず。その心境たるや、さぞ心残りがあろう。


「何を仰られる。命あっての物種にございますぞ。大叔母上であられますな、よくぞご無事で」


 俺は大叔母上に向き直って頭を垂れる。大叔母上は俺に近寄り頭を撫でながらこう言った。


「孫犬丸。大きくなりましたね。もう五つですか! 立派な男の子だ」

「はい!」


 このような時でも大叔母上は笑みを絶やさなかった。いや、このような時だからこそであろう。俺もそれに倣い、大叔母上に笑顔で頷き返す。それからうら若い女性に向き直り、頭を下げてこう述べる。


「私は武田孫犬丸と申しまする」

「これはご丁寧に。十兵衛の妻、煕にございます」


 互いに深く頭を下げ合う。顔の左半分に火傷のような疱瘡痕が残っていた。ただ、それを踏まえた上でも美人である。


 あまり顔を見られたくないのか、常にやや顔を伏せていた。女性の顔をじろじろ見るのはよろしくない。


「久しいな、伝五と申したか」

「お、お覚えでございますか!?」

「もちろんではないか」


 俺は伝五に向き直り伝五の大きな肩をばんばんと叩く。伝五はどうやら忘れられていると思っていたようだが、そんなことはない。


 俺はお前のことを覚えているぞ。しかし、一人だけ見覚えの無い顔があるのも事実。それを察したのか、頭を下げて自己紹介を始めた。


「孫犬丸様にはお初にお目にかかりまする。某、十兵衛殿の従兄であります明智左馬助秀満と申しまする」

「私は武田孫犬丸です。以後、良しなにお頼み申し上げる」


 これで明智家の無事は確認できた。問題は、この後どうするかである。俺の腹は決まっている。前に伝えられなかった想いを十兵衛に伝えると。


「十兵衛殿。少し歩きませぬか。上野之助、供をしてくれ」

「承知仕りました」

「ははっ」


 伝左と源太には十兵衛の親族の身の回りの世話を申し付けた。疲れが溜まっているに違いない。男手が必要な場面もあろう。なにせ、一族郎党が逃げ延びてきたのだ。その数は数十人を超える。


 俺は上野之助の案内で十兵衛を川辺へと誘い出した。何をするのか、勿論釣りである。この前のリベンジを図りたいと常々思っていたのだ。上野之助なんか、嬉々として釣りの用意をしていた。


「十兵衛殿は釣りは得手かな?」

「人並み、というところでしょう」

「では今日の晩御飯は安泰ですな」


 そう言って竿を振る上野之助と十兵衛。釣りの上手さは上野之助が上手で俺が下手、十兵衛は中間というところか。そして訪れる沈黙。これを破るのはやはり俺からだろう。


「十兵衛殿、今後は如何なされる心積もりでしょうか?」

「恥ずかしながら、未だ何も考えておりませぬ。しかし、家族郎党を抱える身。何とかしなくてはとは思っておるのですが」


 そう言って照れ臭そうに十兵衛は頭を掻く。これは虚勢だろう。家族を抱えているがアテは無い。明日の暮らしをも分からぬ身になってしまったのだ。無理もないだろう。俺は、勇気を出して十兵衛に伝えた。


「では十兵衛殿。私の許に来ませぬか?」

「武田に、でございまするか?」

「いえ、そうではございませぬ。この孫犬丸の許に、でございまする」


 俺は竿を置き、十兵衛に向き直り、彼の目を真っ直ぐ見据えて真摯に伝える。彼に武田に来て欲しいのではない。来て欲しいのは俺の許なのだ。俺と共に若狭統一を目指して欲しいのだ。


 勘違いしないよう、はっきりと伝える。


「お戯れはお止め下さいませ。お父上がお許しにならないでしょう。私の母は現ご当主であらせられます武田治部少輔様の妹ですぞ。孫犬丸様のお父上がお疑われになるは必定かと」

「そのようなものは構わん。言いたい奴には言わせておけ。誰が何と言おうと、俺にはお前が必要なのだ。十兵衛!」


 感情が昂って、意図せずため口になってしまっていた。どうしても俺は十兵衛が欲しい。その思いを今度は正面から伝える。感情は、熱量は人を動かすのだ。


「十兵衛殿、若様にお仕えして間違いはございませんよ。お陰で某なんかは十分に豊かにしていただき申した。若様であれば若狭を、いや畿内をも変えることが出来る器にございまするぞ」


 場を和ませようとしてか、そう述べる上野之助。しかし、その間も俺は十兵衛から視線を逸らさない。俺は視線を逸らさず、その場に胡坐を掻いて座り込むと、頭を下げて願い出た。


「この通りお頼み申し上げる。何卒、この孫犬丸を助けて欲しい」


 それでもだんまりを貫く十兵衛。仕方がない。相手を辱めるようでこの言葉は使いたくなかったが、俺は意を決して十兵衛にこう問いかけた。


「では、何故この熊川の地へ参られたのか。俺はこの間の借りをまだ其方に返せていないぞ」

「……いやはや、お見通しでございましたか。承知いたしました。この明智十兵衛、誠心誠意をもって孫犬丸様にお仕えいたしまする。ですので面をお上げ下され」


 それを聞いて肩の荷が下りた俺。気が抜けてしまった。アテが無いのに熊川にやってきた。俺の居る若狭に。それは、あわよくば俺を頼れないかと思っていたのではないだろうか。


 しかし、今はそのような些事などどうでも良い。これで俺の許に明智十兵衛光秀、沼田上野之助祐光という稀代の軍略家が集まった。


 勿論、十兵衛の従弟である明智左馬助や藤田伝五も十兵衛の家臣として、俺の陪臣として召し抱えるつもりだ。


「そうか、ありがとう。どうか俺を助けて欲しい」

「微力ながら励ませていただきまする」

「うむ。早速だが十兵衛、上野之助。俺は粟屋越中が改修しておる国吉の城が欲しい。あの城を落とすにはどれだけの兵が要る?」


 そう。粟屋越中守は国吉にある城を改修してより強固な城を築いているのだ。この国吉の城は越前から若狭に入る要衝に当たる。さらに敦賀の湊からも近い。歩いて三時間もかからぬのだ。


 敦賀を狙いつつ、越前からの侵攻を防ぐためにも国吉の城は必ず手中に収めておきたいのである。この城を奪えば若狭の東側を押さえたも同然の格好となるのだ。


 できることなら父上ではなく俺が持ちたい。それは現実的ではないが、俺の息の掛かった者が持つことは話の持って行きようでは可能なはずだ。


「もし、国吉の城が奪えたらその城は十兵衛に任す。上野之助、済まぬが今度ばかりは勘弁して欲しい。この通りだ」

「家臣にそう簡単に頭を下げるものではございませぬぞ、若殿。某も重々承知しておりまする。あくまで目立たず銭を稼げということでしょう?」


 上野之助は俺の意図を汲んでくれていたようだ。そう、椎茸栽培の秘を担っている上野之助にはあまり目立った行動を取って欲しくないのである。


 上野之助が栽培した椎茸を敦賀の湊を経由して全国に売り捌く。小浜ではなくあくまで敦賀だ。そして更に銭を増やす。増えた銭で兵を雇い、国を富ませる。若狭は米が取れる平地が少ない故、銭で米を買う他ないのだ。


 もしくは山を切り開いて棚田を作るか。いや、それならば蕎麦を育てた方が効率が良さそうだ。しかし、これも取らぬ狸よ。まずは俺が国主、若狭守護とならなければ。


「十兵衛、済まぬが俺はまだ戦を知らぬ。戦が分からぬのだ。ただ、国吉を落とすための兵馬、兵糧を用意することが出来る。国吉を落とすための策はあるか?」


 そう尋ねると十兵衛は考え込んでしまった。それに合わせて考え込む上野之助。もはや全員が釣りはそっちのけである。


「即答は出来ませぬが、籠城されると落とすのは難しいでしょう。孫犬丸様のお父上にご出陣いただいて粟屋を誘い出す必要がございまする。その隙に空になった国吉を奪うのが常道かと」

「分かった。請わなくても父は出陣するだろう。十兵衛は国吉城の全容と兵数を調べよ」

「かしこまりました」

「上野之助は十兵衛達の住居の手配、それから練兵に励め」

「承知仕りました」

「何としてでも国吉を獲るぞ」

「「ははっ」」


 こうして、俺と十兵衛、上野之助による城盗り、いや国盗りが始まったのであった。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

【現在の状況】


武田孫犬丸 五歳(数え年)


家臣:熊谷直澄(伝左衛門)、沼田祐光(上野之助)、明智光秀(十兵衛)、逸見源太

陪臣:明智秀満(左馬助)、藤田行政(伝五)

装備:越中則重の脇差

地位:若狭武田家嫡男

領地:なし

特産:椎茸(熊川産)

推奨:なし

兵数:100

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