東から西へ
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永禄六年(一五六三年)三月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
駿府からの道中は至って安全、快適な旅であった。荷も少ないので行軍も速い。あっと言う間に若狭に到着することができた。勿論、帰り道も駿河から信濃を通ったぞ。三河なんて通ってられるか。
年明け早々から若狭を二か月も離れてしまった。ここから政に精を出して挽回しなければ。もうすぐ田植えの時期だ。今回は何処を開墾していこうか。棚田をどんどん増やしていきたい。
今年のうちに石高を正確に測り直そう。改良の甲斐あって若狭は八万石、丹後は九万石、但馬は九万石くらいだろうか。それくらいあって欲しい。そうすれば二十六万石、兵は五千以上動員できるだろう。
うーん、東の朝倉と浅井の備えに二千は欲しいな。それから南だ。表立って敵対している勢力はないが国境が長いので千は置いとかねばならんだろう。そして西にも千は欲しい。武田高信の後詰め用だ。
これで四千は常に駐在させることになる。自由に動かせるのは多くても二千だろう。北に兵を割かなくて良いだけマシというものだ。
今行わなければならないのは二つ。因幡の割譲についてだ。
因幡の東側、八東郡と岩井郡、法美郡と邑美郡と智頭郡南部の四郡と半分を割譲してもらおう。その代わりに因幡の東側である八上郡と気多郡、高草郡と智頭郡北部の三郡と半分を高信に渡す。
石高も俺がおよそ六万石で高信が七万石だ。嫌とは言わないだろう。本当は智頭郡を丸っと上げても良かったんだが、それだと美作に進むことが出来なくなってしまう。悪いが南部は譲ってもらおう。
まあ、まだ因幡の地に足を踏み入れていない。取らぬ狸の何とやらだ。だが、想定しておいて損は無いだろう。
そして、もう一つの問題は因幡国への侵攻を誰に任せるかだが、今しがた打って付けの人材が俺の前に姿を現した。
「本当に来てくれるとは思わなんだぞ」
「我等は父祖伝来の井伊谷を追われ流浪の身。当てもございませぬ。そして若狭、丹後、但馬守護の武田伊豆守様からお誘いを受けたとあらば伺わない手はございますまい。是非とも我等を末席にお加え下され」
「勿論だ。これからよろしく頼むぞ」
やって来たのは井伊直親と妻のひよ。それから娘と息子が一人ずつ。これが後の井伊直政か。それから家臣で親族の中野直由と奥山朝忠の二人も彼らに同道した。他にも親族が何名かいるようだ。
「この後瀬山城下に屋敷を用意しよう。妻子はそこで暮らすが良い。して、早速で悪いのだが、槍働きをお願いしたい。頼めるか?」
妻子は体の良い人質でもある。彼ら彼女らを預かることで安心して大軍を任せることができるというものである。
「お任せ下さいませ。して、何をすればよろしいでしょうか」
「うむ。武田又五郎と連携して因幡を攻め落とすのだ。ただ、あくまで主攻は又五郎である。我等はその手伝いよ」
まずは叔父御を武田高信の元へと派遣し、さっき考えていた因幡国分割の話を纏める。それから高信が主導で因幡を落とすのだ。あくまで我々は補佐、要請があって後詰めに向かっただけに過ぎない。
そのことを丁寧に直親に説明した。こちらが目立ってはいけないと。もし、我らが目立つと因幡の国衆達から目を付けられるし、それこそ毛利に敵愾心を抱かれても困る。あくまでやったのは高信という形を守らねばならない。
「もし、上手く因幡の東を制圧できれば当家での立場も相応なものになる。励んでくれ」
「ははっ!」
因幡国の毛利派を一掃するには我等だけで攻めても埒が明かない。ここは尼子の力も借りねば。となるとやはり孫四郎の力を借りねばならぬ状況ではあるが、果たしてどこまで改心してくれたことやら。
直親には二百の兵の指揮権を与え、指示を記した書状と路銀を手渡す。最後に俺の名前と花押が入った書状だ。これで周囲の家臣達も直親に協力してくれるだろう。松宮清長あたりが察して手伝ってくれるはずだ。さて、誰を目付にしようか。
だが、まずは直親と手勢のみで因幡へと送り込む。因幡の現状をその肌で、その足で感じてほしいのだ。そこから勝機が見えてくると思っている。それが終わったら領内を歩いて覚えてもらおう。
自領を覚えることは武士にとって必須事項だ。攻められたとき、地形を把握しているかどうかが勝敗を分けると言っても過言ではない。
直親たちを因幡へと送り出し、俺自身は菊千代と共に十兵衛の元へと向かった。もちろん尼子孫四郎の様子を伺うためである。十兵衛が赦すのなら赦そう。俺は口を挟むつもりはない。
「十兵衛、久しいな。息災にしていたか?」
「勿論にございまする。まだまだやるべきことは多うございます故」
まだまだ世は平らかになったとは言い難い。せめて自領だけでもと思うが、それも中々思うようにいかない。俺と十兵衛は二人してそれを痛感していた。
「して、本日のご用向きは?」
「それなんだが、孫四郎は如何しておる?」
俺は十兵衛に因幡国の平定を考えている旨を告げた。少しでも強くなっておかねば食われるのは自分達である。それを告げれば十兵衛は俺の考えを理解してくれるだろう。
「成る程。尼子の調略でございますね」
流石は十兵衛。一を伝えて十を理解する男である。因幡国と孫四郎から尼子の調略に思考を飛ばしたのだろう。全く持ってその通りである。
「孫四郎も戦に出たがっておったし、この際だ。尼子との外交を丸っと任せてみようと思っている。外交こそが戦だと理解してくれれば良いのだが。十兵衛が赦すなら俺は何も言わん。孫四郎の蟄居はどうする?」
俺は十兵衛に問いかける。すると十兵衛はじっと目を閉じて考え込んでしまった。任せられるかどうかを考えているのだろう。俺は十兵衛が答えるまで大人しく待つ。
いや、十兵衛のことだ。もしかしたら俺が許しを請うまで待っていたのかもしれない。主君が言うのであれば、として許すつもりだったのだろう。十兵衛がゆっくりと頷いた。
「良いでしょう。心配もないではありませんが、任せてみようではありませんか」
孫四郎は諸刃の剣だ。尼子の一門であるという利点はあるものの、勝手に寺を抜け出し他国に仕えているという負い目がある。
だが、そこは心配していない。尼子が俺達を敵に回す訳がないのだ。そうしてしまったら東西から挟撃される形になる。そうなれば終わりよ。
「では、孫四郎への指示は十兵衛に一任す。くれぐれも我等は武田又五郎の要請で後詰めに向かっている体で頼むぞ」
「はっ。恐れながら御屋形様」
「なんだ?」
「孫四郎を元服なされませ。他国への使者に元服前の子をお送りするのは如何なものかと」
「あ」
こうして尼子孫四郎は元服し、名を勝久と改めた。そして西へと旅立ったのであった。
【後書き】
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