正室の性質
永禄五年(一五六二年)十一月 若狭国 後瀬山城 武田氏館
「改めて。俺が武田孫八郎輝信だ。これからよろしく頼む」
京での祝言を終えて後瀬山にある武田氏館に帰り、一段落しているときに妻となった藤姫に改めて自己紹介した。しかし、その反応は芳しいものではなかった。
「そう」
藤姫は所謂お姫様カットの髪の毛を弄りながら興味無さげにそう述べる。名家の子だからだろうか。彼女から気位の高さが漂ってきた。どことなく俺を下に見ているのだろう。
それもそのはず。彼女の後ろには甲斐の武田家と今川家があるのだ。甲斐武田家は言わずもがな、今川家も落ち目とは言え未だ駿河と遠江、東三河を統べる大大名だ。
彼女もそれを理解しているのだろう。蝶よ花よと育てられてきたのだ。鼻持ちならない女である。これには流石の俺もカチンと来た。
今の自分の立場をまるで理解していない。自分の行動が家族、ひいては領民にどういう影響を及ぼすのかわかっていないのだ。これはそれを教えぬ両親の責だな。
「美代よ」
「は、はいっ」
藤姫の侍女である美代に声をかける。彼女に直接話しかけても埒が明かないと判断したからだ。美代は頭を下げて返事をした。
「藤姫は普段からこうなのか?」
「い。いえ。御屋……信玄公や御父上、お方様の御前ですと、それはもう可愛らしい顔でお笑いになります」
「ほう」
「美代。余計なことを言わないで頂戴っ!」
つまりこれは俺が彼女に舐められている証拠でしかない。そう思うと、なんだか彼女に付き合うのが馬鹿らしくなってきた。
そもそもである。俺はまだ結婚などしたくは無かったのだ。今はこの若狭武田家がどうなるか、大大名の仲間入りを果たせるかの大事な局面なのである。このようなことに現を抜かしている場合ではない。一気に冷めてしまった。読めない馬鹿は嫌いだ。
「そうか、分かった。では、これにて失礼する。欲しいものがあれば何なりと申せ。用意しよう」
「お、お待ちを!」
俺は藤姫の元を後にする。俺が彼女の元へ行くことはそうないだろう。必要なものも与えるし、欲しいと言うものも与える。これで厚遇しているという噂を流させよう。それで解決だ。
美代が俺を制止しようとするも止まらない。俺も大人げないかもしれないが、向こうから歩み寄る気が無いのであればそこまでよ。
「飯富兵部よ。俺の藤姫に対する態度は不満か」
「いえ、その……」
「いや、格下の家に嫁がされたと姫が不満なのだろうな」
「決して! 決してそのような――」
部屋の外で控えていた飯富虎昌に尋ねる。虎昌は鬼のように厳つい顔を困らせ、言葉の歯切れも悪くなる。仕方がない。それもこれも当家に力が無いのがいかんのだ。虎昌と共に歩く。
「大事するな。無下にはせん。今は、な」
まずは因幡を押さえる。今はそこが重要だ。祝言で京に上ったとき、俺は公方から若狭守護、丹後守護、但馬守護に任じてもらった。更に国持衆にも正式に任じてもらうことになった。ちなみに甲斐武田は礼式奉行だ。
三か国の守護と聞けばなりは良いかもしれないが、石高に換算すればせいぜい三十万石にも満たないのである。領内には国衆も居るのだ。多くて二十五万石。所詮はお飾りの守護よ。
次に狙うは因幡守護である。因幡は未だ毛利と武田高信、それから山名豊数の対立が続いている。西因幡が山名。東因幡が武田である。ただ、実際は毛利と武田の代理争いだが。
因幡の戦線を誰に任せてみようか。明智十兵衛、細川兵部、沼田上野之助、彼等の誰かに任せたら安心だが下が育たない。ここは失敗しても取り返しがつく場面だ。もっと思い切った人選をしてみよう。
前田又左、山内一豊、嶋左近、この辺りを候補に入れてみるか。それとも山県源内や宇野勘解由に任せるか。これは悩みどころである。
いや、一度保留にしておこう。まずは領内の仕置きが先だ。但馬国を安定させ、若狭武田の仕様に馴染ませなければ。開墾と金銀の採掘を進めていこう。
「どうぞ」
「すまぬな」
文が俺にそば湯を運んできてくれた。そうだ、俺には文が居る。別に藤が居ようが居まいが関係ない。要は世継ぎが産まれさえすれば良いのだ。そっちがその気ならこっちも好きにさせてもらおう。
なんなら文を側室にしてしまおう。そうすれば丸く収まる気がする。俺が言うのもなんだが文は気立ての良い娘だ。かれこれ、もう五年以上の付き合いになる。
俺は田公、田結庄、塩冶の治める七美郡、二方郡、城崎郡の領地を大幅に召し上げた。彼らに残されたのは二千石程である。しかし、反発はなかった。何故ならその前に八木を潰して養父郡を武田の直轄地としたからである。
田結庄の治める城崎郡はその半分を垣屋に礼として渡した。これで垣屋は気多郡、三含郡、そして朝来郡の上部を治め四万石を治める国衆となった。もちろん田結庄は垣屋の配下だ。若狭武田家の中では筆頭国衆だな。
それから俺は藤姫のことを忘れるかのように部屋に籠もった。届く陳情書を処理し、手にした武田と今川の分国法を読み込む。この若狭武田領でも分国法の制定を進めなければ。
雛型を俺が作り、それを明智十兵衛と細川兵部、沼田上野之助の三人で揉んでもらおう。彼等の意見も伺いたい。しかし、今川と甲斐武田のどちらも良い分国法だ。
武田の分国法は財産について細かく記載があるし、今川の分国法は土地や訴訟に関して詳しく定められている。この良いところを俺が制定する分国法に用いよう。
この時代、揉めるのは税と土地の境界、それから借銭のことである。これについてはしっかりと法体系を整えねばならない。だが、この法律を発布する前に若狭と丹後、但馬の土地を買い漁らねば。
特に若狭の土地が安く出回っている。これは由々しき問題だ。つまり、若狭の徒歩武者は暮らしていけてないということなのだ。それならば、土地をこちらで買い漁り、職業軍人にして扶持米制に移行した方が良いだろう。
「御屋形様」
俺が部屋に籠もって分国法の制定に没頭していると外から声が掛けられた。部屋の外に出向いてみるとそこにいたのは伝左であった。
「伝左か。どうした?」
「いえ、あのー、その、もし、よろしければ遠乗りでも如何かと」
「は?」
正直、なぜ今に遠乗りを提案してくるのか。ちょっと何言ってるか分からなかったのだが承諾することにする。この際だ。遠乗りと言わずに信濃まで足を延ばして信玄公に年始の挨拶をしても良いかもしれない。一度、見てみたいのだ。信玄公という人物を。
当主がみずから会いに行くのは異例と言えば異例だろう。しかし、ただ義祖父に会いに行くのだ。そんなに変なことでもないか。信長も良く美濃の道三に会いに行ってたし。ん、会いに行ってたか?
まあいい。そうと決まれば善は急げだ。各所に遣いを送る。甲斐武田と美濃の一色、それから北近江の浅井だ。領内を通過させてもらう許可を取らなければ。
そう思うと少し興奮してきたな。あの甲斐の虎と呼ばれる信玄公に会えるのだ。これほど嬉しいことはない。手土産には何を持っていこうか。
そんな俺を見ている伝左。こちらを親のような、兄のような目でじっと見つめているのだ。何だか少し気色が悪い。問い質してみる。
「何だ?」
「いや、少しご機嫌が斜めのままずっと部屋に籠もっておりましたので、心配しておりましたが今のご様子を見て安堵いたしました」
「むぅ、そうか。それはすまなんだ」
どうやら周囲に相当な迷惑をかけていたらしい。自身の一時の感情で周囲を振り回してしまうとは。何たる醜態か、恥ずべきばかりである。
周囲に振り回される必要はない。他所は他所、当家は当家である。最後に笑うのはこの俺達だ。何事も最後に勝てば良いのである。
戦記物です。
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餓える紫狼の征服譚 ~ただの傭兵に過ぎない青年が持ち前の武力ひとつで成り上がって大陸に覇を唱えるに至るまでのお話~
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