私はあの頃の「あなた」を待つ
私は、この場所で「あなた」を待つ。私がどんな事になろうと「あなた」を待ち続ける。私の心が無くなっても、愛を感じることが出来なくなっても私に会いに来る時にいつも笑っている「あなた」を待ち続ける。私の全てを捧げてでも「あなた」という存在にまた会いたい。「あなた」が私の前に現れてくれたなら、望むモノを与えてあげたい。ある日、私は「あなた」にとあるバス停で拾われた。その時、私の身体は活動していた。目はハッキリとキレイな「あなた」と様々な広告が掲示されている古いバス停が見え、「あなた」が私を抱きしめてくれた時に、鼻は「あなた」の服から柔軟剤の香りと全てが木で出来ているはずのバス停から鉄のニオイが感じられた。身体全体で、「あなた」のぬくもりと自分が氷のような冷たさを持っていることを感じられた。心は、「あなた」の優しさと寂しさが感じられた。私が「あなた」から得られたモノは多く、「あなた」が嬉しい気持ちになる事や悲しい気持ちになる事の全てが私には生きるために必要な情報源だった。「あなた」は時に笑ったり、怒ったり、泣いたりすることもあったけれど、私は表情を読み取るのが苦手だから。「あなた」の感情を共感することが出来なかった。私が知る「あなた」は、どんな状況でも私に会いに来てくれた。ある夏の晴れた日には、近くの川を往復して、私の為にプールを作ってくれた。又、豪雨に見舞われた時には、わざわざ傘を持ってきてくれた。又、雪がしんしんと降る冬には、マフラーと手袋を持ってきてくれた。「あなた」は私が思うよりずっと私を思ってくれていたみたい。でも、私は「あなた」の思いやりや私に与えてくれる行動力が理解出来ない。
だって、私はどんな猛暑になろうが、豪雨が襲い掛かって来ようが、雪に埋まろうと、私にはそれらを感じ取ることが出来ない。私は私に備わる脳に従い、毎度「あなた」に愛想笑いをする。
でも、「あなた」は私の愛想笑いを簡単に見抜き、私に飽きさせないようにいろんな光景を見させてくれた。私は心無しだが、温かな違和感があった。
「あなた」は私と出会って、何年か経った頃、私にオレンジ色の小さなカバンをプレゼントしてくれた。不器用だった「あなた」の手には、所々に絆創膏が貼っていた。どうやら、手作りだったようだ。その時にまた、胸の奥のほうから温かい違和感があった。私は今でもそのカバンを大切に使っている。ただ、何も入れるものがないので、縫い目の糸が解れることは無いが、色や臭いだけが古臭くなっている。それでも、私は「あなた」から貰ったカバンを大切にする。
「あなた」と私が出会って、何年たったのだろうか、時が流れていくにつれて、「あなた」は私に会いに来る回数が減っていった。それでも、私は「あなた」を待ち続けた。「あなた」と話す時間が心地良いから。「あなた」の顔を見ただけで私は解析不明の温かみを感じられたから。私は待ち続ける。だけど、「あなた」は私に会いに来る度に、背が伸びていたり、頭に包帯を付けたり、最後に会った日には髪の毛がほとんど白く染まり、顔に皺が増えたりと変化が多くなっていた。私には感じ取れるようなことでは無いから。「あなた」の悩みも感情も分からないけど、私に対して好意を向けていたことだけは、私に備わっている脳が解析できた。私は「あなた」と過ごした日々で成長できたと思う。私には、まだ人間の心理は解析できないけれども、「あなた」が私に向けた好意だけはやっと解った気がする。「あなた」は私に特別な感情を抱いていたのだと思う。ただ、その特別な感情というモノは私には理解が出来ない。だから、その好意を無下にしないように私は何十年、何百年経とうと、「あなた」を待ち続ける。
もう「あなた」をずっと見られていないから顔も声も忘れてしまったけど、「あなた」の好意と笑顔を覚えている限り、私は動かない。私が待つバス停が機能を停止しようと、「あなた」とよく似た顔と一緒に【行方不明者 探しています】という貼り紙が貼られようと、私を見つけた近辺の住民が私の近くに【不法投棄 厳禁】という貼り紙を貼ろうと、私の身体が故障しようと私は待ち続ける。「あなた」から学びたい感情がまだ沢山あるから。
私の見える世界は小さく、狭いけれど「あなた」という世界が私の全てだから。
私は「あなた」の好意に報いるために笑顔を絶やさず、「あなた」を待ち続ける。
いつか、また会えた時に「あなた」が望むモノを与えられるために…。
絵・榛葉