幼子の思い
週末のデパートのおもちゃ売り場というと、幼児の泣き声はつきものである。
しかし、その日の泣き声は少しニュアンスが違っていた。
「今のお姉さん、ママに似ていたよ。」
泣きじゃくりながらそう叫んだ。頑是ない男の子の声に、私はその場に立ちつくしてしまった。
そばで、父親らしき男性も声を詰まらせる。
「ママに似ているかもしれないけど、ママじゃない!」
今にも泣きそうで、消え入りそうな声だった。
最初にママに似ていると言われた店員は、悲痛な表情で年上の店員と接客をチェンジした。
「どの玩具にしようか? これ? あれ?」
そのセールスに子供は全く反応を示さなかった。
「ママ、ママ、ママに会いたい!」
と言って、泣きじゃくり続けた。
これはどういうことだ。 と、私は立ち止まったまま、釘付けになった。
それは、父親と母親が離婚したという事か?
それとも、母親と死別したのか?
後者は不可抗力だが、前者としたなら、私は許せないと思った。
産んだ限りは、子供に対して責任があると、私は考える。
それが、母親となった女性の使命と責任だと思う。
特に、幼い子供にとって、母親の無償の愛こそ、不可欠のはずだと思う。
鳥さえも、自分で自立できるまで、小鳥に餌を与え続ける。
ましては、人間である。
幼い子にとって、母親の愛情は子供の情緒の安静に必要なものだと思う。
けれども、私の幼い頃の記憶が、走馬灯のように脳裏をかすめる。
母は軽トラックの助手席に私を乗せて、よく曾祖母の実家へ出かけた。
赤い鳥小鳥を唄った。
「今度、何色の鳥?」
母が私にそう尋ねる。
私は青、金色などというリクエストをして母が唄う。
「青い鳥、小鳥なぜなぜ青い、青い実を食べた。」
母はずっと唄ってくれた。
そして、カラスの赤ちゃんも唄ってくれた。
「コケコッコのおばさんに、赤いお帽子も欲しいよ。黄色いお靴も欲しいよ。とカーカー鳴くのね。」
今でも忘れられない。
軽トラックの後ろの荷台には、私の好きだった乗用フォークリフトと、ユンボが載っていた。
曾祖母の実家に行くと、庭でそれに乗って遊んだ。
母は病の曾祖母の看病に来ていたのだ。
末っ子の私は、常に母と一緒だった。
「あんたは、大事、大事。いい子だよ。」
といって、いつでもどこでも一緒だった。
ガンダムの玩具屋や、好きな団子もよく買ってくれた。
我ながら、父母の愛情には恵まれていたと思っている。
高校の時、泥棒と間違えられ、ポケットなどを調べられ、反抗的になった時、
母は「世界中の人があんたを悪人と言ってかかってきても、私はあんたを守ってやる。世界中が悪
いと言っても、あんたは良い子だと言って戦ってやる。」と言ってくれた。母はそんな人だ。
だから、母親は幼い頃から、子供を守る責任と覚悟が不可欠だと思う。
私は母親が普通な母親で仕合せだったと痛感している。