番外編 【 ある夫人の結婚生活・後 】
「あと半年だったの」
夫人の乗った馬車が門を離れるのを見ていると、背後から聞きなれた声がかかった。
振り返れば案の定、お忍び姿の教皇が立っている。
「何がですか?」
「あの夫人の長男が成人するまでよ。離婚の準備も万端だったのに残念だわ」
「教皇様は、ご夫人の味方……」
そこまで言ってから、当たり前だったと口を閉じた。
鋼鉄のパンツは女性を守るパンツだ。
それを作った教皇がどちらを味方するかなど分かり切っている。
「味方ってわけじゃないわよ。正しい理由があれば情状酌量の余地はあるわよ。ただ彼はねぇ……夫人は絶対自分で“ざまあ”したかったと思うわ」
教皇はそう眉を寄せて、夫人の事情を話しだした。
結構長い間ここに立っているから、そろそろ室内に入りたいのに……と思ったが、こうなった教皇は止められない。井戸端会議、お付き合いしましょう。
卒業してから二年の間、諦めきれなかった夫は男爵令嬢の周りをうろついていたが、それを嫌がった男爵令嬢の夫によって容赦ない制裁を加えらた。
余程の恐怖だったのだろう、彼は大人しく夫人と結婚し夫の方は落ち着いた。
それから数年後、今度は二男一女を産んだ夫人が、義務を果たしたと離婚を試みたが、それも男爵令嬢の夫によって阻止された。
離婚によって夫人の夫がまた男爵令嬢の周りをうろつくのはたまらないと、夫人を脅したのだ。
子どもと親を盾にとられて、夫人は離婚を諦めた。
「それからずっと、夫人は努力し続けた。反省したフリ、男爵令嬢を忘れたフリ、仕事をしているフリ、良い父親のフリ、良い夫のフリ……愛し合っている、フリをする夫と向き合い、戦い、折り合いをつけて……牽制しながら」
「振りですか。そうは見えませんでしたが」
ボランティアに訪れていた夫を思い出しながらそう言えば、教皇は嫌そうな顔をした。
「夫人も夫もそうしないと殺されるって思っていたらしいわよ。まぁ、夫の方は結婚した後からずいぶん外面が良くなったみたいだけど、家の中では横暴なのに軟弱者のクズそのもので、夫人は夫がそんな男だったから最後まで頑張れたと言ってた。そうして何年も我慢して、ようやく離婚のめどが付いたのに、また男爵令嬢の夫に離婚を知られてしまった」
男爵令嬢の夫は、夫人をさらに脅そうとしたが、今の夫人には後ろ盾があった。
そのため夫人には手が出せなくて、ならばまた夫の方を脅せばいいと、男爵令嬢の名前で夫人の夫を呼び出した。
けれども、呼び出したその日、いくつかの不幸が重なった。
男爵令嬢は妻の座についてもその性質は変わらなかった。次々に新しい男性を侍らせては別れるを繰り返して、かなりの恨みをかっていた。
夫人の夫が呼び出された日、その中の一人が強行におよんだ。
完全なる痴情のもつれ。
実際の現場がどうだったのかは分からないが、男爵令嬢とその夫、男爵令嬢の愛人、そして夫人の夫が刃に倒れた。
その第一報が夫人にもたらされた時には、夫人の支援者たちによってすべて終わっていた。
「支援者……まさか教皇様も……」
嫌な予感がしてそう言えば、教皇は首を振った。
「話はずっと聞いていたけれど、手は出していないわ」
男爵令嬢とその取り巻きたちの婚約破棄騒動で、巻き添えになった女性はかなり多かった。
卒業後、巻き込まれたほとんどの女性は醜聞を恐れた男性陣の親たちによって、破棄された婚約よりもずっとよい条件で、彼女らの望む家に嫁に行っていた。
元婚約者との結婚よりも幸せな生活を手に入れた彼女たちだったが、卒業式の恨みは忘れていなかった。
いつか男爵令嬢とその夫に復讐しようとずっと機会をうかがっていたのだ。
しかし、卒業してしまえば彼らと接点を持つことはなかなかない。
そこに現れたのが夫人だった。
夫人は運よくと言ったが、婚約破棄騒動に巻き込まれた女性の中では一番の貧乏くじだった。
何故なら、夫人が夫の婚約者となったのは、男爵令嬢の夫の仕業だった。
男爵令嬢が声をかけた男にはみな婚約者がいた。
男爵令嬢の夫以外で、唯一婚約者がいなかったのが夫人の夫だった。
卒業式での婚約破棄は貴族世界から追放されるほどの失態だ。
後継ぎでもなければそのまま平民落ちで、二度と社交界に現れることはない。
ゆえに、男爵令嬢の夫は親の力で夫人と夫の家を窮地に追いやり、夫人を婚約者に仕立てた。男爵令嬢に近付けないためだけに。
誤算は夫人が婚約を夫に隠し、卒業式で婚約破棄しなかったことだった。
支援者たちはそれを知ってさらに怒り、夫人を支援するために結束した。
その力はそれまでの卒業生―――公爵・侯爵令嬢たちをも動かし、男爵令嬢の夫の家よりも強力な権力を得た。
そして今回、その力は惜しみなく使われた。
「夫人にも、子供たちにも、なんの影響もないなんて素晴らしい働きだったわ」
夫人は何も失くさず、夫が残すすべてを手に入れ、あの婚約破棄騒動で煮え湯を飲んだ支援者たちは復讐をはたした。
「そう言えば、ありましたね。崖崩れの近くで、侯爵令息とその妻が殺されたって記事が……あれですか……怖ぇ」
思わずそうもらせば、教皇はけらけらと笑った。
「そうよ、女が本気になれば怖いのよ」
教皇が変わってまだ十年もたっていない。
政略結婚は少なくなりつつあるが、少なくなった分闇が深いものが増えた。
特に高位の貴族たちの間の結婚はよろしくない。
愛は永遠ではないが、神の前で誓うのだから、その時ばかりは愛があって欲しいと思うのは、教会職員だからだろうか。
あぁ、早く、パンツが世界を救えるようになればいいのに。
「鋼鉄のパンツと真実の愛」番外編は終わりです。
一応完結ですが、続くかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。