番外編 【 ある夫人の結婚生活・前 】
「もし、あの時にそれがあったらわたくしの人生はこんなに不幸ではなかったかもしれないわね」
その夫人が夫を亡くしたのは、先々週の事だった。
出先で、運悪く崖崩れに巻き込まれ、そのまま。
ボランティアとしてよく教会に訪れ、信者さんたちの間でも仲がいいと有名な夫婦だった。
今日は、ようやく落ち着いたと葬儀のお礼に来て、たまたま行われていた結婚式を見て、そう言えば噂を聞いたとパンツの話題になったのだ。
夫人はパンツをはける新婦が羨ましいと、何度も何度も繰り返す。
あまりにしつこく繰り返すので、仲良く見える夫婦が、本当に仲がいいとは限らないと言う格言を思い出し、伴侶の死後の憂いを払うのも 教会の役目と話を促すことにした。
「わたくしね、夫のことが大嫌いで、はっきり言って絶対に結婚したくなかったの」
夫人は、嬉々として話し出す。そこには夫を亡くした憂いなど無く、寒々とした嫌悪だけが見えた。
「二歳年上の夫との話をいただいたのは、わたくしが学園に入学てすぐだった。
その頃の学園は、たった一人の男爵令嬢を巡って男性達が争っていると、社交界でもずいぶん噂になっていて、夫がその男爵令嬢を愛しい人だなんて呼んで側に侍るひとりだと、入学したてのわたくしの耳にも届いてた。
父はそんな男とわたくしを結婚させるなんてあり得ないと言っていたの。
けれども、その話は父の恩人からの紹介で、夫側も不渡りを出しそうな時で必死だったらしく、最終的には寄り親からも圧力をかけられてどうしても断われなかったの。
それでも、噂が噂だし、あちらのごり押しでの婚約でしょう。それにあの頃はどの国でもパーティーや式典で婚約破棄するのが流行していたから、卒業までは婚約は書類上だけで、夫には言わないという事になったの。
おかげで、わたくしもだけど、夫もあの時代で一番有名な婚約破棄騒動に巻き込まれなくて済んだのよ。
卒業式の会場で、あの女の周りで夫の友人たちが婚約破棄だ断罪だと叫んでる時、夫はぼさっとひとり突っ立って、その上、愛した人は目の前で他の方を選んで……なのにあの人ったらそれが信じられないって顔して!!
馬鹿みたいだった。
だけど、そのせいで夫は独身が決定、わたくしとの結婚が決まってしまったの。
それからは違う意味で大変だったわ。
あの人、男爵令嬢が他の人を選んだのは、選ばれた男が身分を使って言わせたんだ、だから断われなかったんだって、いつか彼女は捨てられるからその時こそ俺が助けるとか訳の分からないことを言って、とにかく婚約も結婚も渋りに渋って。
わたくしは、断わってくれて全然かまわなかったのに、親御さんたちはなんとかしたかったのねぇ。
あの人に、婚約がわたくしの我儘で、そのために受け取った融資はもう領地に使ったから、貴族でいたければ義務を果たせとか言ったみたいで……
あの人無駄に顔が良かったから無駄にモテたらしいのよ。そして自分も男爵令嬢に一目ぼれしたらしくて、親の言う馬鹿な話を信じてね。
だから、初めての顔合わせは悲惨の一言。
わたくしが社交辞令で笑ってやっていると言うのに、
『俺を愛さない女はいないが、お前もか。お前は俺の体を金で買ったそうじゃないか。だが俺の愛まで買えると思うな』
とか、
『俺と結婚出来るだけでお前は幸せ者だ。結婚はしてやるが、俺の行動に口出しはするな』
なんて言ったのよ」
最近どこかで聞いたような……相手の言葉をモノマネするところまで似た話だと思いながら頷けば、夫人は死んだ目でふうと息を吐いた。
「口出しするなって言うくらいだから、結婚式も初夜もないのかと思ってたら、どちらもしっかりあってね……信じられないでしょう?
他の女を好きだと言いながら結婚できるなんて、おかしいわよね。
神様、馬鹿にされすぎじゃない?」
聞かなかったことにしますが、出来れば神様に対する不敬は、せめて教会内ではご遠慮ください。
「あの人と男爵令嬢とは、あの人が言い寄っている以外友達以上の関係はなかったそうよ。
親切なあの人の友人が教えてくれたけど、そんなことどうでもいいわよ。
そんなことより、同じ女なのに、男爵令嬢は自由に相手を選べて、わたくしは選ぶことも出来ない上に、そんな我儘で、残酷で、自由な男と、したくもない結婚を義務でしなければならない。わたくしはなんて不幸なんだろうって、しみじみ思ったわ。
そして、そう思うとあの人に触られるのが物凄く気持ち悪くなって、手を取られるのも嫌だった」
夫人と御主人の間には三人のお子さんがいる。
葬式の時に挨拶したが、夫人によく似た双子の男女と、御主人に似た男の子は、夫人のことを気遣う良い子たちだった。
口には出さなかったが、雰囲気を感じ取ったのだろう。
「義務だもの、頑張ったわよ。
少ない回数で確実に……それだけを考えて……先人の知恵のおかげで、一度目で双子を産めたのは僥倖だった。
男二人じゃなかったのは残念だったけど。子供は……かわいいわよ。
でもね、ここだけの話、生まれてすぐは心からの愛情は持てなかった。
子供が悪いわけじゃない。それが分かってるから辛いのよ。
特に主人に似た次男には……気をつけているけど、今でも時々、自己嫌悪するほどに優しくできないときがあるの。
よく婚約者に好きな人がいて、それでも結婚して一緒にいれば、子供が出来ればって恋愛小説があるけど、女の私でもこんなに嫌なのに、何の痛みもない男が好きでもない女に子供が出来たからってその女を見るわけがないってよく分かった。
十ヶ月もお腹の中で嫌な男の子供を育てるのが、本当に苦痛でしかなかった。
……そんな子供たちももうすぐ成人……そしたら離婚を突き付けて路頭に迷わせる予定だったのに、死んじゃうんだから。
それも、あの女に呼ばれたからってのこのこ出て行って痴話喧嘩巻き込まれて……初めて会った時から馬鹿はお前だって、ずーーーーっと思ってたけど、最後まで馬鹿のまま死ぬなんて……本当に馬鹿よねぇ」
あれ、崖崩れじゃなかったんですか?
聞き流せず、不思議そうな顔をしてしまいました。
夫人は、意味ありげにふふふと笑う。
「崖崩れの近くで、運が良かったわ」
そうですか、何か大きな力が働いたんですね。
私も微笑み返します。
「もし、あの時パンツがあったら、今とは違う人生を生きられたのでしょうね」
それはどんな人生だったかしら。
夫人がそう言うので、夫人とよく似た状況の夫婦の話を教えて差し上げた。
「まぁ、そんな方たちが……パンツはお互いに向き合うきっかけにもなるのね」
「そうなることを望んで授けております」
「そう、良いことだわ。それでそのお二人は今、お幸せなの?」
「それは本人に聞かなければ分かりませんが、最近お子さんが生まれたそうです」
「まぁ、なら御主人は奥様のパンツを脱がすことが出来たのね」
「ずいぶん時間はかかったようですが」
「羨ましいわ。愛する人と、その人との愛する子供と……わたくしの失くしてしまったもう一つの未来ね」
あぁ、あの子たちを愛していないわけじゃないのよ、と夫人は笑い、
「どうか、わたくしのような者が一人でも少なくなるように、パンツを広めてくださいませ」
「そうなるよう努めます」
「楽しみだわ。わたくしはもうパンツをはけませんけれど、何かお役に立てるようなことがあればぜひお声掛けくださいね」
「その時は是非よろしくお願いします」
私がそう頭を下げると、夫人は清々しい表情で去って行った。