第7話 日高誠と水鞠コトリ
世の中にあんな不気味なモノがあったのか。なんて考えていると、その日もなかなか寝付けずにいた。
「影」……。人の欲望や恨みが形になったモノ……とか言っていたな。放って置くと未来改変が起きるらしい。でも、魔法使いには感知が出来ない……。厄介過ぎるでしょ。
目を閉じると、あの金属音の様な叫び声が聴こえて来る。その度に身体が震え、冷や汗が首を伝う。
早く記憶を消して貰いたい。でないと平穏な日常に戻れる気がしない。
あれから二日が過ぎている。
その間、水鞠コトリに出会えていない。
教室へ行ってもいつも居ないし、放課後の科学室は鍵が掛かったままなのだ。
意図的に避けられているとしか思えない。いや、避けてるだろ絶対!
今は夜中の三時。
ここに来て、ようやくあの違和感だ。この感じはそう。あの感じだ。
ゆっくりと目を開けてみる。……俺の思った通りだった。
俺が寝ているベッドの横には水鞠コトリが立っていた。そしてまたガラス戸が粉々に破壊され、風が吹き抜けている。
俺は起き上がり、目を擦りながら呟く。
「ああ。明日も科学室へ行こうと思っていたんだ。探す手間が省けたわ……」
この状況で俺は何を言っているのかと我を疑った。相当にヤバい所まで来ていると実感する。
そして何故だが困った様な表情の水鞠に自分の願いを伝える。
「水鞠。出来るなら今すぐ俺の記憶を消してくれ」
「無理」
「え!?」
水鞠の短い答えに対し、心の底から出た「え!?」だった。
「座って。用があって来たのはアタシの方だ」
水鞠はそう言って部屋の中央を指差す。俺は渋々床に正座すると、当たり前の様に水鞠はベッドに腰を掛けた。
今まで散々避けて来た癖にこれだよ。本当に酷い。
「大変な事が起きた」
水鞠がいきなりガクガクと震え出す。
今の状況よりも大変な事が起きるなんてありえるのかよ……。部屋の惨状を見ながらそう思う。
「魔法士協会からメールが来ていた」
「何なんだその……魔法士協会って」
何となく想像は着いたが、一応訊いてみる事にした。
「魔法使いは魔法を使って未来を変える事を禁止しているって言ったでしょ? それを監視しているのが魔法士協会」
「面倒臭そうな組織だな……。で、何て?」
「日高に未来改変の容疑がかけられている」
「未来改変!?」
何だよそれ!? 容疑とか……思った以上に物騒な事になってる!?
「修正は完了したって言ってなかったか?」
ラケットを返し終わった時だ。わざわざそれを伝えに校門まで来ていただろ。
「確かに修正は完了していた。でも、魔法士協会は別の何かを感知したのかも知れない。確かに、岸本紗英のラケットの残留魔力には違和感があった。それかも」
落ち着かない様子だ。そういやあの時、水鞠もラケットの匂いを嗅いではハテナマークを生やしていたな。
俺が岸本の未来を変えている可能性が出て来ちゃったよ……。面倒臭いじゃ済まない話になって来たぞ。
「日高の使った魔法データを調査して報告する様に言われている。この地域を管理をしている水鞠家の役目として。でも、提出期限まで時間が無い」
「いつまで?」
「今日中」
「今日中!? また魔法士協会とやらは非常識だな」
「メールは一週間前に来ていた。でも詐欺メールかと思って放置していた」
「自業自得じゃねーか! 最近の詐欺メールも手が込んでるらしいが、魔法士協会を名乗る奴なんて居る訳ねーだろ!」
「不覚……」
水鞠はガックリと肩を落とす。一応反省しているらしい。
「とにかく、明日朝一で科学室へ来て。それまでに準備しておくから」
「待て。何で俺が?」
「証拠データの収集には魔法を使った本人の協力が必要」
水鞠が俺の記憶を消すのを「無理」と言った理由がこれか。
水鞠は立ち上がり、右手でスカートを摘んでたくし上げた。
「協力するならパンツ位は見せてもいい」
そう言って左手で逆ピースサインを目元で作り、ロボットの様にウインクをした。
「いや、もう見ちゃったし」
前に水鞠が影に攻撃した時に、丸見えになっていたからな。
「じゃ、協力するしかない。断れば死、あるのみ」
……罠だった。俺に見られていた事、初めから気付いてただろ……。
水鞠はフフンと満足そうな顔になる。
いやいや、そんなやり方をしなくても協力したよ! 何か変態みたいな扱いされてるのが凄く気になるな。
「じゃ。明日。化学室で」
そしてガラス戸まで移動し、外へ勢い良く飛び出した。
直りかけの窓は再度破壊され、部屋中に破片が飛び散る。
……ああ、これが夢ならいいのに。
次の日の朝、教室の自分の机でうつ伏せになって寝ていると、体を誰かに揺すられた。
まだ授業開始まで時間はあるはずだ。
俺はギリギリまで寝てやるぞ。あんな事があったので、眠くて仕方が無い。
「痛ッ!?」
すると脇腹に衝撃と激痛が走る。ちょ、誰だよ思い切りパンチ入れた奴は! 吉田か!?
目を開けると、高崎花奈の顔がドアップで現れる。
「うお……!?」
思わず声を上げる。
「ごめんなさい。なかなか起きなかったから揺らしちゃったよぉ」
鼻にかかったアニメ声で無理矢理起こした事を謝る。息がかかる程顔を近づけていたならもっと早く起きて寝たフリしてれば良かったよ。
脇腹は誰が殴ったんだ? 他には誰も居ない。まあ、いいか。
「今、時間大丈夫?」
高崎は両手の指同士を付け合わせて三角形を作ると、口元に寄せる。可愛いな高崎は……。
高崎花奈は俺のタイプの女の子だ。小柄でスタイルも良い。性格も良い。朝から話しかけられるなんてラッキー過ぎる。眠気が吹き飛んだぞ。
「で、何の用?」
考えている事を悟られない様に振る舞いつつ、高崎に尋ねる。
「水鞠さんが呼んでるよぉ?」
「は?」
高崎が指差す教室の入り口を見ると、扉の影に水鞠が見える。
そういや、科学室に行く様に言われていたんだった。すっかり忘れていた。
やれやれと重い体を動かして近づくと、水鞠はもっと早く来いとジェスチャーしてくる。
「悪い。寝てた」
「アホなの? 時間無いって言ってたはず」
いきなり怒られた。俺も悪いが、そもそも時間が無くなったのは魔法士協会からのメールを無視して来た自分のせいだろ……。
「で、俺は具体的に何をすればいいんだ?」
そう言った瞬間、ホームルーム開始のチャイムが鳴り出した。猫目の少女が焦り出す。
「時間が無いから、今から始めるから! これを受け取って!」
ノート位の大きさの封筒だ。
「後ですぐ見て!書いてある事を実行して!」
マジかよ。説明無しに謎ミッションかよ。覚悟はしていたがナナメ上に行くな。
教室へ戻るとホームルームが始まっていた。急いで自分の席に座る。
……封筒を開けてみるか。
猫のキャラクターシールが十枚。
指令書が一冊。
指令書? 遠足のしおり位の厚さだ。とりあえず読んでみる。
どれどれ? 「魔法陣の作り方」。
いきなりファンタジーになって来たぞ。何だこりゃ。
「指定の時間、指定の場所にシールを貼る事」どうやら、これはデータ収集に使用する魔法陣を作る為の材料の様だ。
シールを貼る事で、魔力を結ぶ楔になる。時間と場所が重要……と書いてある。良く分からないがそういうものらしい。
それにしても、このシールの柄……どうにかならなかったのか? 貼ってる所を誰かに見られてどう思われるかは想像に容易い。子供向けの猫キャラクターじゃなくて、もっと他に無かったのだろうか。
えーと、なになに? 指令は全部で十か。多いな!
指令一
八時五十五分 一階正面玄関 用具入れの扉にシールを貼る
え……っと今の時間は……八時五十三分か。
慌てて手を挙げる。
「すみません。具合が悪いのでトイレへ行きます」
担任に許可が降りるよりも前にダッシュで教室を出る。
休み時間以外にトイレへ行くのは小学一年生以来だ。しかし実際行くのはトイレでは無い。
階段を駆け下り、一階正面玄関へ。用具入れを見付けると、震える手でシールを貼り付けた。
八時五十五分。セーフ。ギリギリだった。
他人から見たらホームルーム中、全力ダッシュで飛び出し、キャラクターシールを用具入れに貼っている謎の人だ。バレたら指導室行きか病院送りになりそうだ。大丈夫かなこれ。
シールを貼ったがいいが、誰かに剥がされたりしないのか? なんて心配していると、シールは発光し、うっすらと消えて行った。すげーな魔法。
一時間目終了。
休み時間に四組へ向かい、水鞠を呼んでもらう。すると教室の奥から面倒臭そうにやって来た。何でお前がそんな感じなんだよ。
「あの……気安く呼ばないでくれる? クラスではミステリアスな美少女で通してるのに」
頬をプーっと膨らませている。
「好きなのか? 『白ねこムヒョー』」
「何? 文句あるの? シールが必要だったから仕方なく家にあるやつを使っただけ。こんな事に使いたく無かったのに」
あー。これ相当好きなやつだな。
「白ねこムヒョー」は昔からある「懐かしキャラクター」の一つだ。父親の子供の時には既にアニメが放映されていたらしい。基本は無表情な不気味な白猫が勝手に居候するコメディ……だった気がする。
何年かに一度、思い出したかの様にアニメ化され、グッズ展開などをするが売上は良く無いらしく、すぐにワゴンセール行きになる悲しいコンテンツだ。
水鞠コトリの弱味として覚えておこう。何かに利用出来るかもしれないし。
「別の新しいシールを買えば良かっただろ」
「渡したシールは昨日の夜からアタシの魔力を注入した特別製。おかげで徹夜になって一睡もしてない。この顔見て分からない?」
そう言って顔を近付けて来る。
うーむ。分からん! ちょっと目の下にクマが見える様な見えないような……。それ仮面とかボディスーツかそうゆうオチじゃ無いよな。ちょ、距離近いよ!
近付く水鞠と距離を離すと、手に持った封筒を取り出す。
「この指令書を見るに、あと二回は授業中にトイレへ行かなくちゃならんのだが」
このままだと保健室行きか、早退させられてしまう。優しい高崎でもドン引きするレベルだろ。心配すらしてくれなくなる。
水鞠は欠伸をすると、気怠そうな目を向ける。
「代わるのは無理だから頑張って。過去の魔法使用履歴を調査する魔法陣は、起点であるアンタが作るしか方法が無いから」
「どうにかして提出期限を伸ばせないのかよ」
「それだと水鞠家が信用を失う。今後の予算に影響が出るから無理」
そう言って水鞠は口を尖らせ、モゴモゴと言葉を濁らせた。
何か急に生々しくなったな。ファンタジーさの欠片も無い。
どうすればいいんだよこれ。頭が痛い……。
改めて指令書を読み返す。
「んん!?」
指令九
十七時十六分 女子陸上部 部室 奥の壁
指導室や保健室や病院行きどころじゃない……。見つかったら人生終わるやつだこれ。
何も起きなきゃいいんだけど……。嫌な予感がする……。