第3話 日高誠と未来改変
昔から他人に関わるとロクな事しか起きなかった。
迷子の子供を助けたら誘拐犯と疑われ、人に頼まれて入った部活では意味不明な人間関係に巻き込まれ、金を貸したら借りた事になっていた。
他にもこんな事は山程ある。それはきっと、誰にでもある「些細な事」なのかもしれない。
でも俺は我慢が出来なかった。
なので、面倒臭い事を徹底して避ける事にした。勉強と人付き合いをそこそこに、平穏な日々を過ごす。いい事も無ければ悪い事も無い、そんな「変わらない日常」が俺の理想だ。
なのに、何だよこの状況は。
魔法使いが部屋に侵入してと思ったら、俺が魔法を使って他人から奪い取った物を本人達に返せと言う。無茶苦茶だよ! 俺は誰とも関わりたく無いんだ!
「日高!」
朝六時半。校門に到着すると、いきなり呼び止められた。
現れたのは吉田玲二だ。
あの魔法使いが呼んだのか!? 余計な事をしてくれたな……。手伝いなんて必要無いのに。
仕方が無い。一応説明しておくか。折角来てくれた訳だし。
「もう一つあったんだ。部屋に出て来た物が」
そう言ってテニスラケットが入った袋を渡す。吉田はその袋の口から中を覗き込んだ。
確認すると、表情が一変する。
「あ!? これ、岸本のじゃねーか? 昨日、探してたぞ」
「知ってるのか!?」
「いや、知ってるも何も、俺もテニス部だからな」
そう言って背負っている自分のラケットを指差す。岸本紗英と吉田は同じテニス部だったらしい。
知らないのは当然だ。帰宅部の俺は、全く他人の部活に興味が無かったからだ。
「日高……。お前、まさか岸本のストーカーなのか?」
「そんな訳ないだろ」
吉田の言葉を冷静に返す。いきなりとんでもない事を聞いて来たな。そんな冗談に付き合っている時間は無い。
「だよな。悪い。岸本が最近ストーカー被害に遭ってるって話を聞いていたからさ」
「そうなのか!?」
最悪だ。そんな状況でテニスラケットを持って現れたら、俺がストーカー犯だと疑われる。早く教室へ行かないと……。
「吉田?」
聞き覚えの無い声に振り返る。
そこには見覚えのある女子生徒が立っていた。
身長は俺と同じ百七十センチ近くあり、スラリと長い手足。
腰まで伸ばした長い髪、整った顔立ち。特に意思の強そうな目が印象的だ。
テニスラケットの持ち主。岸本紗英。
こうして正面から会うのは初めてだ。
最悪だよ……。本人が来ちゃったよ!
「よ……よお、岸本。早いな」
吉田は明らかに動揺している。
「時間通りでしょ。今日は」
岸本が表情一つ変えずに答える。凛とした声で、どこか冷たい。
そして吉田の手元を指差す。
「そんな事よりも、それ。私のラケットじゃない?」
何でバレた? 外から見えない様に袋に入っていたはず……。
吉田に視線を向けると、剥き出し状態のラケットを手に持っている。
嘘だろ!? 何で袋から出しちゃったの!? こっそり返す作戦だったのに!
こうなったら正直に言うしかない。
「俺が拾ったんだ。それで吉田から持ち主に返してもらおうと思ってた所なんだよ」
実際の所は俺の部屋にあった訳だが、嘘じゃない。
「拾った……?」
そう呟くと、岸本は表情一つ変えずに声を捻り出す。
「落ちていたんだ。私のラケット……」
そして下から上まで舐める様に視線を突き刺して来た。
ヤバイ。やはり怪しまれているのか? いや、そりゃそうだよ。
もし、これで俺が泥棒かストーカー扱いされたらどうなる? 世界は無事かもしれないが、始まったばかりの俺の高校生活が崩壊する。平穏な日常には戻らないだろう。
岸本紗英が俺の目を見つめる。長い髪が風で揺らめく。危機的状況だというのに、思わず見惚れてしまった。いかんいかん。何を考えているんだ俺は……。
長い時間が過ぎた様な、一瞬だった様な不思議な感覚が襲った。
「ありがとう」
岸本はそれだけ言うと、吉田からラケットを受け取る。そして部室棟の方向へ歩いて行った。
後ろ姿が見えなくなると、二人共に膝から崩れ落ちた。
「完全に怪しまれてたろ……あの反応……」
俺の言葉を聞いて吉田は首を横に振る。
「大丈夫だ。岸本はいつもあんな感じだから」
え? そうなの!? いつもあんなギラギラしてる訳? それならいいんだけど。
どうにかミッションはクリアした様だ。吉田と自然に視線が合う。そして握手を交わした。
「日高……!」
「吉田……!」
俺達はやり切ったんだ。
謎の一体感が二人を包み込む。
「とりあえず吉田。ありがとうな」
「いいって事よ」
よく考えたら全然役に立っていなかったし、こいつのせいで大ピンチになった様な気がするが……。まあいいか。何かいい笑顔してるし。結果オーライだ。
「魔法使いに会ったらよろしくな」
「魔法使い?」
「ん?」
「んん??」
「協力者なんだろ? 魔法使いの」
「何の話だ?」
吉田はとぼけた顔で返す。
何だ? 認めちゃいけないルールでもあるのか?
「スマホを見てただろ? 俺を手伝う様に言われてなかったのか?」
「ああ。昨日の事な」
ようやく理解したらしい。吉田はそう答えると、スマホのアプリを開き、見せて来た。
「占いに出てたんだよ。『不思議な状況に困っている人に出会います。落ち着いて助けましょう』……ってな」
「占い!?」
「スッゲェ良く当たるんだよ。もしかしてと思ったワケよ」
俺の身に起きた魔法現象の話を「不思議な状況」で処理しちゃったの!? 落ち着きも度を超えちゃってるよ!
ちょっとアホっぽいな、とは思っていたが、予想以上だったらしい。
つまり、吉田は魔法使いの協力者では無かったって事だ。
思い返せば会話とか、おかしい所が色々あったな……そういう事かよ……。
突然、耳鳴りがした。
それは次第に大きくなって来る。我慢出来ずに耳を抑えた。
気が付くと、目の前には紺色の服を着た少女が立っていた。
「魔法使い!?」
その声に答える様に、魔法使いは猫の様な目を光らせる。
「未来改変は修正された。それを伝えに来た」
周囲から切り取られた様な空間になっている様だ。人の気配を感じない。
「何だ!? 何だよこれ?」
吉田は驚きを隠せない様だ。うん。それが普通の反応だよ。
吉田を見て、固まる魔法使い。
「誰?」
そう言って指差す。
「同じクラスの吉田だよ。俺が協力者と勘違いして巻き込んだ」
「あ! ヤッベ」
無表情だが、そのセリフが全てを物語っている。さてはコイツ……自分から言っておきながら、協力者を手配するのを忘れていたな?
なんて言いたげな表情で少女を見ていると、魔法使いは、その視線を避ける様にクルリと吉田の方を向いた。
一息吐くと、右手を握り締め、振り被る。
「魔法パ──ンチ!」
「ゲフ──ッ!?」
魔法使いの一撃が吉田の顔面にクリーンヒットした。その場にドサリと崩れ落ちる吉田。
その様子を見て拳を高々と挙げる魔法使い。
「魔法パンチは数秒前の記憶を消す事が出来るのだ」
そして自分に言い聞かせる様に呟く。倒れ込んだ吉田は、気を失って動けない。
もう、色々酷過ぎるだろ……。
「じゃ、お疲れ様。アンタの記憶も消えるから。これでサヨナラだよ」
そう言って猫目の少女は長い髪を翻し、立ち去ろうとする。ちょ、もうちょっと説明してくれよ……。俺の記憶も消える?
呼び止めようと慌てて駆け寄る。だが瞬きをした瞬間に、魔法使いの姿は消え、景色は全て元通りになっていた。
「何なんだよ……これは……」
これで本当に全てが終わったのだろうか。実感がまったく無い。
いや、全てが謎のままだから、当たり前の話だ。
考えても無駄だ。
また何かあったら、またあの魔法使いが飛び込んで来るに違いない。今は、そうならない様に願うのみだ。
朝日が登り、校舎を眩しく照らす。
世界のどうでもいい秘密を知ってしまった……。そんな事を考えながら佇む俺。
「…………あれ?」
俺の記憶、消えてないんですけど……。
また忘れてない?