第9話 華麗なる戦場 その4
「いや~、それにしても凄かったねぇ」
夜会を辞し、迎賓館に戻る馬車の中でほろ酔いテニアが調子っぱずれに笑う。
クロはオレの膝の上でパンパンになった腹を苦しそうに撫でまわしている。
「考えてみればオレも初参加だけど、なんか圧倒されたわ」
帝国貴族の家に生まれたとはいえ、齢十で国を出た身としては、
あの手の夜会なんぞに顔を出したこともなく。
両親がしばしば出席していたのは知っていたが、
まさかあんなド派手な会合だったとは思いもしなかった。
貴族ってスゲ~!
「そうそう、もう何から何までお金メッチャかかってそうで……じゃなくって、ステラがだよ」
「オレ?」
声に驚いて聞き返す。
するとテニアはうんと頷き、
「だってそうじゃん。あんな場でいきなり喧嘩売るとか」
オレはもう少し場の空気を読むタイプだと思っていたと、
テニアは上気した頬に手で風を送りながら続ける。
「喧嘩売ってきたのは向こうなんだが?」
「喧嘩売らせたのはステラじゃん?」
「今日が初対面だったっつーの!」
そもそもあの女が何でこちらに怨みや憎しみと言った感情を持つのか、
そのあたりからして判然としない。
「え……ステラ、分かってないの?」
「なんだよ、お前はわかるのかよ?」
う~ん、この悪意の空回り感。
テニアは暫し虚空に憐れみの視線を向けていたが、
「ステラとあのマリエルってのは生まれつきの召喚術士という点は共通してる」
ここまではいい?
テニアの確認に頷く。
「でも、ステラは同時に生まれついての公爵令嬢であるのに対して」
マリエルの出自は恐らく平民階級。
普通嫉妬するでしょ。
それがまるで当然であるかのようにテニアは続ける。
「いや、でもマリエルもスィールハーツが認めた公爵令嬢だぜ」
生まれがどこかなんて大した問題でもない。
帝国の中では、彼女はまごう事なき公爵令嬢なのだ。
「そりゃ理屈の上ではそうだろうけど、感情はついてこないと思うよ」
しかも比較対象のオレがすでに帝国から姿を消していたとくれば、
「いなくなった人間ってのは忘れ去られるか美化されるかのどっちかだからね」
たいていの場合は、だけど。
テニアの推測によると、オレの場合は後者に当たるという。
「ステラの幻影とずっと比較されて苦しめられてきたんでしょうよ」
ご苦労様なことじゃないの。
「お前、やけにマリエルに同情的だな」
「そうかな? 普通だと思うけど」
酔いが回ってきたか、視線が怪しくなってきたテニアは置いといて、
胸のあたりをトントンと叩いてもう一人の目撃者の意見を伺う。
――お前はどう思うよ?
『……そのようなことを我に聞くか、普通……』
戸惑い半分、呆れ半分のエオルディアだったが、
『概ねその栗色娘の言葉どおりであるように思うが』
などと、テニアに同調してくる。
「そっか……」
「ん? 竜の人は何て言ってるの?」
顔を赤らめたテニアが距離を詰めてくる。
う~ん、酒臭い。
「お前の言うとおりだってさ」
「ほれ見なさい」
思わぬ援軍を得て胸を張るテニア。
ただでさえデカい胸が強調されてエライことになっている。
でも――その得意げな顔は一瞬で掻き消えて、
「あの手の人間は、多分どこかで何か仕掛けてくるよ」
冷静な、あるいはどこか醒めた表情でそう続けてくる。
「なんで?」
「ステラがどう思ってるかはともかく、周りからは落ち目の皇子様……ちょっと睨まないで」
ゴホン、と咳をして、
「弟皇子優勢のところに、兄皇子の元婚約者にして召喚術士のステラが帰ってきたわけで」
ヴァイスハイトとマリエルの未来が盤石なものではなくなった。
権力に固執する人間は、自らの立場を揺るがすものには容赦がない。
「賭けてもいい。絶対何かろくでもないことが起こる」
頭をふらつかせながらの台詞は、否定できない説得力を持ってオレの胸に突き刺さった。
☆
迎賓館に帰還し、窮屈なドレスを脱ぐ。
用意されていた風呂でくつろいで、凝り固まった身体をほぐしてから、
一筋の皺もなく整えられたベッドにダイブ。
「ふぃ~、しんど……」
ふかふかのベッドに沈みこむ身体。
深々と妄想に沈みこむ思考。
――五年……五年かぁ。
帝都に帰還してからの出来事を思い出す。
怒髪天を突く親父(を投げ飛ばした)のこと。
久々に会った(ほとんど記憶から飛んでいた)旧友のこと。
元婚約者レオンハルトのこと。
そして、レオのライバルとなるヴァイスハイトとマリエルのこと。
「五年もたてば、色々変わるもんだなぁ」
かつてのオレは、召喚術を持って生まれたことで有頂天になり、
自由と刺激を求めて帝国を後にしたわけだが、
幼い自分には見えていなかった現実があったってことだ。
時を経て、かつての自分のしでかしたことが、
どれだけ多くに人間の進むべき道を歪めてしまったのか、
想像するだけでも頭がクラクラする。
――とは言え、あの時逃げないって選択肢はなかったしなぁ。
ある日突然にレオンハルトと婚約を結ばされ、
未来の帝国を担う礎となれと頭越しに命令されたあの日、
親父をはじめとした家族の連中とは会話が通じないと、
決定的に理解させられたオレは、その日のうちに帝都から逃亡を図った。
他の連中からすれば、何の話し合いもなく即座に家出なんて極端すぎると思われるかもしれないが、
即決即実行に移したからこそ、オレは自由の身を手にすることができたのだ実感している。
もし決行を先延ばしにしていれば、オレの周囲はどんどん窮屈なものになっていき、
息継ぎもろくにできないままに、皇家に出荷されていたという確信がある。
その後の自分の人生を思えば、想像するだけでも背筋が寒くなる。
「反省する点はあるかもしれないが、後悔はしてないぜ」
月明かりのもと、独り言ちる。
「大体、こちとら『帝国の危機』とやらのために帰ってきただけなんだからよ」
『帝国の危機』などというものが大げさな言い回しでないのだとしたら、
その解決には途方もない労苦が伴うと予想できる。
オレ達はその危機に全力をもってあたるべきであろう。
よって帝国の権力機構にあまり関わるべきではなく、
逆にこちらの仕事に口を挟まれるべきでもない。
オレはオレ、召喚術士ステラとして帝国から依頼を受け、任務を遂行。
そして報酬が貰えればそれでよいのだ。
「あんなとこに顔を出したせいか、余計なことを考えすぎてるな」
元婚約者のレオンハルトが主催する煌びやかな夜会。
贅をつくした輝きに目が眩んだか、
ここ最近考えもしなくなった己の問題ことが急激に思い出され、
脳内の中心近くに陣取ってぐるぐると回っていやがる。
「らしくねぇな」
目蓋を閉じて意識を闇に解放しようとしたけれど、
こんな日に限って睡魔の奴はなかなか訪れてくれない。
――そういえば、陛下の具合がどうとか言ってやがったが……
あの場では雰囲気に流されて聞きそびれてしまった。
仕事人としてはあるまじき失態と言えよう。
失態の記憶は沈殿し、さらに心をかき混ぜてくる。
「落ち着かねぇ」
オレの傍にあるべきものがいない。
枕が変わると眠れなくなるという話は聞くけれども、
いつも枕元で丸まっている黒い毛玉がなくなっても眠れなくなるらしい。
アールスの街でクロと出会ってから、いつもオレ達は一緒だった。
こうしてほんのわずかとはいえ壁に隔てられてしまい、
この小さな身体にこんなに大きなベッドを与えられると、どうにも空間を持て余す。
あるべきものがあるべき場所に収まっていない、
何とも言いようのない気持ち悪さ、あるいは違和感。
どれだけ上質の寝床とはいえ、心が収まってくれないと眠りにつくことができない。
「こんなに繊細な奴だっけ、オレ?」
我ながら、己の不甲斐なさにあきれてしまう。
胸の奥からの返答はない。
高価なガラス越しに見える月は優しい光で地上を照らすが、
今この時にあっては、その輝きすら忌々しく感じられる。
「これから忙しくなるんだから、早く寝ないと……」
身体を横にしてシーツを抱きかかえるように掴む。
寝よう寝ようと考えれば考えるほどドツボにハマるのが不眠。
その悪循環に陥ったことを自覚してはいるものの、
これといった妙案もなく、ベッドの上で悶々としながら時は過ぎていく。
次回『月明かりのもとで』(単話)になります。




