第1話 蠢く闇
4月8日投稿分その1です。
月の光も星の輝きも、分厚い雲に覆われて地上を照らすことのない重苦しい漆黒の夜。
大陸南東部のとある森に、闇に融け込むようなひとつの影。
明かりのない森の奥にあって全身を黒いマントで覆いつくし、
顔を隠す白い仮面だけが不気味に浮かび上がり、
その身体はもはや闇と同化しているようにしか見えない。
立ち昇る熱気を振り払うように、ふらりと影が揺らめいた。
浅黒い腕がマントの中から取り出したるは、掌の内に収まりそうな銀色の小さな箱。
何か幾何学的な飾り物にも見えるその立方体を地面に置いた影は、
全身を震わせ、やがて周囲で煩いほどの輪唱を繰り広げる虫たちに負けないほどの哄笑に身を委ねた。
「くくく……くかかかっ、く―――――はっはっはっ!」
甲高い声はまださほど年を経ていない若い男のもの。
両手を広げたまま天に突きあげ、まるで戦いに勝利したかのように笑い続ける。
聴衆はおらず、賛同も反駁もない男のひとり舞台。
「大陸に蔓延る愚かな人間どもよ、恐怖に打ち震えるがいい!」
ひとしきり笑いつくした影は、屈み込んで箱を開ける。
箱の中に転がっていたのは、小さな小さな橙色の球体。
表面は粘り気を帯びた輝きを放ち、外気に触れたせいか脈動している。
「おお、おお! これが――」
男の興奮を余所に、何も起こらないまま時が過ぎる。
しばらくして、異変は森の中から始まった。
夜闇を埋め尽くしていた虫の鳴き声が消えた。
鳥の鳴き声も消え、バサバサとどこかに飛んでいく音が続く。
箱の中、震える球体からにじみ出た闇――月のない夜よりもなお暗い何か――が溢れ、
次第に勢いを増して箱から噴き出し、そして湿り気を帯びた森の土の上をもぞもぞと蠢く。
「来たぞ、来たぞ来たぞ来たぞ!」
ボコリ、ボコリと『何か』が歪に形を変えて膨張するたびに、
男は握りしめた手を何度も上下させ、ひとりで興奮を高めてゆく。
「フフ……ファ――――ッハッハッ! すべてはアズラリエルさまの思し召しのままに!」
その表情は仮面に隠れ、たとえそこに誰かがいたとしても外から垣間見ることはできないが、
声色から察するに恍惚に満ちたものであることは疑いようはない。
「今から始まる。ここから始まる。さあ、終わりの始まりだ―――ん?」
ボコリ、ボコリと箱に閉じ込められていたものが成長するたびに、
男の歓喜の度合いは増し、今にも踊り出しそうな様子であったが、
ここにきて予定が狂ったか、急に態度を一変させる。
全身をこわばらせて何かに怯えるように後ずさり、箱から距離を取る。
「なッ、何をする、お前が喰らうのは私ではない!」
その声は先ほどまでの歓喜に満ちたものではなく、
困惑し、恐怖し、そして怒りを孕んでいる。
なぜか?
おそらく、足元に広がる黒い『何か』が、男の思いどおりにならなかったのだろう。
その証拠に――それは瞬く間に大きく膨らんで、先ほどまで歓声を上げていた男自身に襲いかかったのだから。
「や、止めんか、この……うぎゃぁ~~~~~~」
自らが解き放った闇より暗い何物かに全身を飲み込まれた男。
目、口、鼻、穴という穴から入り込むどす黒い存在は、
男の姿を覆っていたマントを、仮面を、その下に隠れた身体を焼き、溶かし、そして喰らう。
「た、助け……こんなはずでは……アズラリぇ」
抵抗もむなしく男は蠢く闇に飲み込まれていく。
浅黒い肌も、男の顔からずれた仮面の下から覗く尖った耳も、
仮面と同じく白い骨さえも瞬く間にそのカタチは崩れ、
何もかも――色とりどりの肺腑まで――融け落ちて、飲み込まれる。
「が……ぎ……」
男を体内に取り込んだ闇は丸く大きく膨らみ、そして破裂するように周囲に広がっていく。
何度も何度も収縮を繰り返し、男の身体ははもはや原形をとどめていない。
森は再び沈黙を取りもどす。
しかし、それは異変の始まりにすぎず。
生い茂る木々が、草花が、そして悠長にも逃げ遅れた動物や魔物までが、
次々と這いずる闇に飲み込まれて消えてゆく。
森が消え、闇が育つ。
それは――帝国と人間たちが呼ぶ国を襲う、危機の始まり。
と言うわけで、ワケあり第3章『帝国の召喚術士』始まります。
本日は第1話、第2話の同時投稿となります。
第3話以降は隔日更新の予定です。
みなさま、よろしくお願いいたします。




