第31話 反撃、サザナ島攻略作戦! その1
「忌々しい」
南海諸島の中心たるサザナ島にひと際大きくそびえ立つ王城。
武骨な石造りの城塞にそぐわない豪奢な家具が揃えられた一室で、
精緻な調度が施された椅子に腰かけて酒杯をあおり、愚痴をこぼす男がひとり。
頑強な肉体を高価な絹衣で包み、豊かに蓄えられた口ひげを指で梳く大男こそ、
南海王国の海王その人である。
雨の降りしきる夜の城下町を見つめる視線は険しく、
盃を握る手はかすかに震えている。
男が海王位を得て三十年近い月日が流れたが、
これほどに自分の気分が害されたことはなかった。
まず、娘であるファナ。
海王代理に任命し、瑣事を任せてはみたものの、
一体どこで吹き込まれたのやら、代々の海王が定めたしきたりに異を唱え始め、
改革と称して長きにわたる南海諸島の秩序を破壊しようと試みている。
今はまだ娘の賛同者すなわち王の批判者を見定めるために泳がせてはいるが、
何かにつけて癇に障ることには変わりない。
頻繁に市井に降りては王族たるものが身にまとう神秘性を蔑ろにし、
平民や海の魔物どものご機嫌取りに走り、彼奴等の支持を得てさらに調子に乗る。
己の権威権能の根源を見誤った愚か者。
海王である自分の後ろ盾がなければ何もできない小娘風情が、
いったい何様のつもりでいるというのか。
そして、大陸から現れた召喚術士。
未だ年端もいかぬ小娘が、聖王国から『宝』の奪還に成功して調子に乗っている。
とはいえ独力で状況を左右するほどの力はなく、
やむなくこの南海諸島に逃げ込んできた分際で、
今度は『海の悪魔』と称され畏れられるクラーケンまで手中に収めたとか。
ただ幸運に恵まれたというだけで図に乗るさまが苛立ちを募らせる。
しかもせっかく捕縛したにも拘らず、
日を置くことなくあっさり脱獄したうえに、
よりにもよってファナとともに逃走。
危険分子同士さぞや気が合うのだろう。
聞けば聞くほどに腹立たしい。
「まあ、それももうおしまいだがな」
行方をくらましてから、もう一月近くが経過する。
これほどの期間姿を見せないということは、
まさか無人島暮らしとは考えられない。
必ず協力者のもとに保護されているに違いない。
人を頼っているのなら、必ず情報は漏れる。
この南海諸島という檻から逃れる術はない。
一行を捕縛すべく捜査の網を広げたところ、
案の定、遠く離れたニブル島からそれらしい連中を見たと奏上があった。
その報を耳にしたとき、愚かな連中だと鼻で笑ったものだ。
もしこの状況から奴らが逆転を狙うのであれば、
その方法は海王である自分の首を取るほかない。
なれば、このサザナ島の近場に潜伏し機会をうかがうが定石。
人里から離れれば離れるほど安全というのは陸の上の話。
移動手段が限られる海上にあっては、船舶の往来さえ確認すれば、
それぞれの島から出入りする人間を把握することは難しくない。
ニブル島のような僻地では、ここに手を伸ばすには距離が遠すぎる。
「所詮は子供の浅知恵にすぎん」
笑い、酒精を喉に流し込み腹に落ちる熱さに酔いしれる。
と、廊下を慌ただしくこちらに向かってくる足音が聞こえた。
海王である自分の城にあって許しがたい蛮行であるが――
「海王様、ご注進!」
「何事だ、騒々しい!」
扉を乱暴に叩くのでさぞ急を要する案件かと判断し入室を許可するも、
真っ先に文字どおり頭を床にこすりつける兵士の、
機転の利かなさと矮小さに苛立ちを押さえつつ続きを促す。
「クラーケンが、あの『海の悪魔』が港に現れました!」
現地で兵士が応戦しておりますが、全く歯が立ちません。至急増援を!
伝令兵の声は最後まで聞こえなかった。
「な、なんだと!」
知らず右手に力が籠り、注がれた酒ごと高価な盃が粉砕され、
紫色の液体と、己の血が入り混じり床にまき散らされる。
平伏していた兵士が声を上げ、隣室に控えていた侍女を呼び込み、
女が慌てて右手の治療にあたる姿をぼんやりと眺めつつ、
酒精に曇った頭で状況を整理する。
サザナ島の戦力の大半は、ファナたちを捕えるべくニブル島に向かったばかり。
今この島に残っているのは全体の三分の一にも満たない。
出撃した部隊を反転させるには時間がかかりすぎる。
――何故だ、奴らはまだニブル島にいるのではないのか?
「陛下!」
「ええい、わかっておる。近衛を向かわせる!」
何もかもが癇に障る。
全て、あの悪戯好きの小娘どもが原因だ。
――そうだ、奴らの狙いが儂ならば……
☆
「こんな単純な策が通用するのかしら?」
オレの作戦を披露したときのファナの第一声が、これ。
あとの二人も似たり寄ったりの訝しげな表情でこちらの説明を求めてきた。
どいつもこいつも、何もアイディアないくせに言ってくれるねぇ。
「あのなあ、作戦ってのは複雑に考えてもしょうがねーの」
小難しい作戦なんて、どこかでひとつ歯車が狂ったらそれでオシマイ。
特に今回なんて、たった四人しか戦力がいないんだから。
どこぞの将軍が軍隊を動かすのとはワケが違うのだよ。
というこちらの戦力事情を鑑み、今回提案した作戦は実に単純なモノ。
まず、あらかじめオレ達四人が海王に察知されないようにサザナ島を目指す。
ファナが言うには、海王には特別な探知能力の類はないとのこと。
いくら王とはいえ結局のところ人間だからな。当たり前といえば当たり前。
海王たちはオレ達が海を移動するならば船を使うか、
あるいはクラーケンに乗って移動すると考えているだろうから、
今回は海王が軽んじているという『海の人々』の協力を仰ぐ。
南海諸島の人間は海に精通していると言っても、
所詮は人間であることに変わりはない。
基本的に人間という奴は陸地で生活しやすいようにできているわけで、
海での活動においては専門家である『海の人々』に比べれば足元にも及ばない。
ほとんど個人的な感情で戦端を開いてしまったファナは、
戦力として彼らを加えることに強い反対の意思を見せたが、
『ファナのためならばぜひ協力させてほしい』と言ってくれた、
『海の人々』を含むニブル島の住民たちの意思を汲むことに。
最終的には、渋々ではあるがファナ自身も首を縦に振った。
次に、こちらの準備が整ったらニブル島の住民からサザナ島に連絡を入れてもらう。
内容は、手配中の召喚術士一行が島を訪れて、
海賊よろしく狼藉放題で困っているので助けてほしいというもの。
後の半分はデタラメだが、島に滞在していたのは事実。
ほんのちょっとサザナ島の連中を喜ばせるための嘘と、
真実を織り交ぜた情報を流して相手を動かす。
向こうにしてみれば散々焦らされていたところに、
信憑性が高い情報がやってくれば飛びついてくるだろう。
というか、ニブル島で破壊と略奪の限りが尽くされていると言われれば、
真偽はともかく海王は統治者として動かざるを得ない。
自ら任命した海王代理が不在である今は特に。
そしてサザナ島の戦力がニブル島に出払ったタイミングに合わせて、
オレがクラーケンでサザナ島の港を襲撃、
海王が残り少ない戦力を港に差し向けた隙を狙って、
ファナたちが海王のもとに赴き、対話あるいは力づくで『海神の標』を手に入れる。
『海神の書』と『海神の標』の二つを手に入れたファナが新たな海王として即位すれば、
この作戦は完了となり、晴れてオレ達は南海諸島からおさらばというワケだ。
まあ……自分で提案しといてちょっと運任せかなとは思わなくもなかったが……
「まさかこうも上手く行くとは……」
ファナたちと別れ一人クラーケンの上で港に臨み、つい言葉を漏らす。
今回の作戦のキモは『海神の標』の奪取。
そのためファナとテニアだけではなく、
普段は大体オレとともにいるクロも、海王襲撃チームに加わってもらっている。
「大丈夫かニャ? ご主人ひとりで大丈夫かニャ?」
何度も何度もそう不安げに振り向いてきたクロ。
心配してくれるのはありがたいが、
あまり行き過ぎると信用されてないのかと腹が立たなくもない。
たとえ悪気はないのはわかっていても。
眼前でにわかに動き出した港、そして軍船。
決戦の気配を感じ、心が震える。
――これは武者震いだ。
杖を脇で支え、左右の頬を軽く張って身構える。
「さて、こっちはせいぜい派手に暴れますか」
オレの仕事は陽動と時間稼ぎ。
できるだけ多くの兵を港に釘付けにして、
ファナたち別動隊の負担を軽減するのが主な任務。
別に無理して港を制圧する必要はないし、
いざとなればグリフォンを召喚してトンズラこけばいいだけ。
まぁ、この大ダコを擁する水上戦で、
簡単に負けてやるのは苦労して勝利を収めるより難しかろうが。
ごく自然に、無意識に口角が吊り上がり、
今は雲に隠れて見えない月のように、
笑み曲ぐ表情が水面に映る。
――いかんな、戦う前からこの調子では。
杖を脇で支え、左右の頬を軽く張って気を引き締める。
これは勝って当然の戦いではない。
勝たなくてはならない戦いだ。
「行くぞ、クラーケン」
声に応じて八本の触手が不気味に踊る。
サザナ島攻略作戦の幕は、こうして切って落とされた。




