第29話 南海の少女たち その3
ニブル島での日々は奇妙なほどに穏やかに過ぎた。
朝起きて女将さんに飯をいただき、
オレはギルマンの旦那と一緒に海釣りへ。
クロとテニアは交代でファナに貼り付き、
空いた日はそれぞれ自由行動。
クロはオレとともに釣りに赴く日が多く、
テニアはサザナ島の情報を探っている様子。
……成果は無いようだけれども。
「平和だねぇ」
「まったくだにゃ」
水面に糸を垂れながらクロとのんびりしてみれば、
「お嬢さんらがクラーケンを追い返してくれたお陰だなぁ」
赤い鱗のギルマンはとなりで満面の笑顔を浮かべる。
「ファナ様が海王代理になられてから随分暮らしやすくなったし、最近はいいことづくめだったわな」
「そうなん?」
ファナの政治手腕に関する話を耳にするのは初めての気がする。
「ああ。つってもまだここ二、三年の話だが」
そう言いながらギルマンが話してくれたのは、
海王が直接統治を行っていた時代の話。
まあ大雑把に言えば人間中心の統治形態で、
いわゆる『海の人々』は迫害されていた、というもの。
海王が一線を退き、ファナが海王代理に就任した際に、
『他種族であっても、同じ海に住まう者同士、ともに手を取り合いましょう』
と宣言し、南海諸島各地を積極的に視察し法整備を行って、
わずかな期間で劇的に生活環境が改善されたとのこと。
ニブル島にしても、元は老人中心の寂れた島だったのが、
『海の人々』が接触するようになってだいぶん状況が変わったのだとか。
「平民風情にはよくわからんけど、何かファナ様落ち込んでるみたいだしなあ」
俺らが釣った魚を食って元気出してもらいたいねぇ。
ギルマンはそう言って少し悲しげに顔を歪めた。
「ふ~ん」
ファナは配下に裏切られてかなり衝撃を受けていたが、
一般臣民からは十分慕われている様子。
それを説明しても、本人が信じるかどうかは別とは言え、
せめてその声だけでも聞いてほしいと思うのだ。
☆
気のせいかもしれないけれど、オレの記憶にある限りでは、
『平穏な日々』とやらが長く続いたためしがない。
今回について言えば元々が逃避行なうえに、
こっちには危険人物が混ざっているから仕方がないともいえる。
「ファナのことな」
「自分の胸に手を当ててみた方がいいのではないかにゃ?」
「おい、なんか言われてるぞ」
胸の痣に手を当てると、不服そうな唸り声が脳裏に響く。
まるで心外だと言わんばかりだが、騒動の一端ではある。
オレ達がニブル島に到着して半月ほど。
保ったと言えば保った方かもしれない。
「軍船だ!」
島の若い衆が宿に駆け込んで早々に叫んだその一言で状況を察し、
食事中の口と手を止め身体をこわばらせるファナ。
「どちらかと言えばご主人を追っかけてきたのではないかにゃ?」
その割にはずいぶんと落ち着いて見えるけれど。
悠長に湯を啜っているこちらを見て、クロが何か言っている。
「慣れだな。こういうのは」
伊達に帝国から五年も逃げてはいない。
もはや逃亡生活のプロを名乗ってもいいレベル。
経験者として語るならば、大抵慌てた奴から負けていく。
「どうするわけ?」
「どうと言われてもな。まずは様子を見ようじゃないか」
現在の海王側の動きが気になる。
こちらが持っている情報はサザナ島脱出時のもの。
あれからかなり時間が経過してしまっている。
反撃するにしても、さらに逃げるにしても、
今後の方針を立てるために新しい情報が欲しいところ。
逃げようと思えばクラーケンを呼べばいいし、
撃退しようと思えばクラーケンを呼べばいい。
「クラーケン大活躍だな」
命を張って激戦を制したおかげだ。
こういう時に、召喚術士に生まれてよかったとつくづく思わされる。
「さすが『海の悪魔』の二つ名は伊達じゃないね」
たとえ幼生であろうとも、水辺の戦闘なら負ける気がしない。
召喚術士ってのは、条件さえ整えてしまえば反則じみた強さを発揮するのだ。
「ところで船は何隻くらい来てるんだ?」
「あ、一隻だけだって言ってるニャ」
耳をピクピクさせながらクロが答える。
一隻かぁ。
こちらも落ち着いたもので魚の身をむしり、
テニアが何やら考え込む素振りを見せる。
手だけは器用に拾い上げた身をクロの口に放り込みながら。
「一隻だけって、それはどうなんだ?」
「う~ん」
ここにオレやファナがいると確信があるのなら、
近隣の島にも呼び掛けるなりなんなりして、それなりの船数を揃えてくるはず。
完全には無理かもしれないが、島を取り囲むことができれば、
撤退を阻むにしても、あとを追うにしても格段に容易になる。
それをしないということは、たまたま寄っただけか、
あるいは大きい島からしらみつぶしに探していて、
小さな島に捜索の手を広げ始めているのかといったところ。
「南海諸島の全ての島を同時に探索するほど船はないし」
近くにいないと思い込んで足元がお留守になってるかも。
テニアは実に悪そうな顔でそう話を締めくくった。
☆
「島民に告ぐ。近頃このあたりに大蛸が現れたと聞いているが、相違ないか?」
軍船から降りた一団の長と思われる、飾りのついた鎧兜を身にまとった男が、
広場に村民を集めるなり恫喝じみた大声で叫ぶ。
その周りを武装した兵士たちが槍を構え、
村民が反抗しようものなら武力制圧もやむなしといった模様。
「へぇ、ついこの間出くわしましてねぇ。海王さまにもお伝えしたとおりですわ」
「んだんだ。したらファナ様が来てくださって追い返してくださったんよ」
集められた村の連中が口々に答え、ファナを讃える。
事前に詳細を伏せつつファナと海王が揉めているとは説明したけど、
ちょっと悪乗りが過ぎるのではなかろうか、島のみなさんも。
ファナが慕われているということの裏返しでもあるのだろうが。
「違う、そうではない。その後だ!」
「後、でございますか?」
「はて?」
互いに顔を見合わせ、何のことだと首をかしげる村の人々。芸が細かい。
「なぜ、彼らは私を庇うの?」
その様子を宿の隠し部屋からうかがっていたファナが、
信じられないものを見たかのように小声で問う。
武装した兵士に非武装の島民が逆らって自分を護るのは、
想像の範囲外にある事例のようだ。
「さぁ」
「後で聞いてみるといいにゃ」
「それは……そうだけど……」
とぼける島民に業を煮やした軍の連中が、槍を突き付けて声を荒げる。
「ええい! 海王さまを裏切り、咎人と結託したファナ王女がここに逃げ込んでいないかと聞いている!」
「はぁ……とんとわしらにゃ訳がわかりませんなぁ」
「なんだと!?」
「わしらのファナ様がそんな悪いことするはずあんめぇ」
「咎人って、どちらさんじゃな?」
陽光を受けて輝く槍の穂先を前にしても、
ひたすら態度を変えずにファナを庇い続けるニブル島のみなさま。
揃いも揃って肝が据わっていらっしゃる。
彼らのファナに対する恩義がそうさせるのだろう。
「へっ……格好いいじゃねぇか」
戸惑うファナに、うんうんと頷くクロ。
「ところでさ、咎人ってオレのことかよ?」
「だにゃ」
「……嘘をつくならもうちょっとうまくやれよ、まったく」
オレがいつ罪を犯したというのか。
冤罪で追い回されたらかなわんわ。
「え……怒るとこ、そこ?」
疑問に満ちたテニアの声。
「もうよい。貴様らついてこい」
一件ずつ家探ししてくれる。
完全装備の部隊が動き出そうとしたその時、
「お待ちください。こんな田舎のほったて小屋に大勢で入られては困ります」
「知るか平民」
「我々は何も隠し立てしておるわけではございません」
「ではなぜ我々の邪魔をする」
「ファナ様はわしらにとてもよくしてくださったですじゃ」
だから急にこのようなことを申されましても、戸惑ってしまいます。
せめて詳しく話を聞かせていただきたいのです。
そう言いかけた男が、槍の柄で叩かれ地に伏せる。
「アイツらッ!」
「あちゃ~、やっちゃったか」
アタシらが山の中にでも隠れたらやり過ごせるのに。
みんな演技に力入れ過ぎでしょ。
テニアが呆れるが、多分問題はそこではない。
そして案の定――
「それ以上の狼藉はお止めなさい!」
海王の兵士たちが島民と揉め始めたあたりから、
外に出ようと暴れるファナを三人がかりで一生懸命に抑え込んでいたのだが、
事ここに至りついに限界が訪れた。
オレ達の手を逃れ蒼い髪を振り乱したファナが、全身に怒りを滾らせて広場に躍り出る。
「あちゃ~、やっちゃったか」
ゆっくり決断を待つという話はどこへ行ってしまったか。
思わず三人で天を仰ぎ、あとを追うべくテニアとクロが続いて部屋を出る。
そして残されたオレは、最後の湯を啜って立ち上がる。
「さて、そんじゃオレも行きますかっと」
ただし宿の裏口から。
『どこへ行く気だ、契約者よ?』
胸の中から訪ねてくるエオルディアに、
トントンと痣を叩いて答える。
「召喚術士には、召喚術士のやり方があらぁな」




