第25話 急転 その4
クロとテニアを拾ってサザナ島を無事脱出。
さてこれからどうするかと迷ったところで、
「ニブル島で様子を見よう」
というテニアの言に乗っかることにした。
聞けば海王は基本的に都会派というかサザナ島でほとんどの時を暮らしてきたらしく、
同じ南海諸島の中でも、あまり小さな島々の詳細を知らないとのこと。
それは統治者としてどうなのかと言いたくなるところだったけど、
考えてみれば帝国だって帝都におわす皇帝陛下が、
小さな開拓村の一つ一つまで知悉しているとは思えず、
そういうものかと納得できるだけの説得力はあった。
……実際のところは、他に行く当てがなかっただけとも言う。
「つっても、そこまでクラーケンが保たねぇ」
正確には、オレの召喚術――というか魔力――が持たない。
というわけで、サザナ島から脱出した一行は、
各島を巡回する船舶に見つからないよう大回りでニブル島に向かう。
距離的に厳しいかとは思ったが、
幸いクロが荷物を持ち出して来てくれたおかげで、
ゲロマズ回復薬による魔力補給が可能になり、クラーケンの航続距離が延長。
オレの味覚へのダメージと引き換えに荒れ狂う海を進む大蛸のおかげで、
外周に点在する無人島の一つを選んで上陸するところまでは漕ぎつけた。
いよいよ激しく降りしきる大雨にさらされながらクラーケンを送還。
泥が跳ねる中、互いを庇う様に歩みを進めて――
「よーし、洞窟発見!」
「総員退避!」
ずぶ濡れになりながら見つけた拠点候補に全力ダッシュ。
……結果的に問題なかったのだが、
中に魔物がいた可能性が頭から抜けていたのは迂闊だったという他ない。
平気な風を装っていたが、誰もが平常心を失っていたようだ。反省。
「それで、次にクラーケンが呼べるまでにどれくらいかかるの?」
もともと体のラインがくっきり出るスーツを着ていたところに、
長時間の雨を浴びて肌にピッチリ貼りついた服を脱ぐテニアの姿態が、
いつもより三割増しで艶めかしさを帯びているように感じられる。
「そうだなぁ」
そちらから気を逸らして灰色に染まったクラーケンの証を眺めつつ、
「二日、いや三日は必要じゃねーかな」
「結構かかるね」
身動きしないファナの服を脱がせながらテニア。
「大物だからな。それまではここでサバイバルすっか」
ずぶ濡れになった下着を脱いで、
クロが回収してきてくれた背嚢から渇いた布を出して拭う。
ファナとテニアは荷物なし。濡れた服を脱いだだけでいかにも寒そうだ。
クロは入り口近くで身体を震わせて水気を飛ばしており、こっちはいつもどおり。
「ほれ、これ使え」
「ありがと。でも身体を暖めないとマズいね、こりゃ」
渡した布でファナの身体から水滴を拭き取りながら、
風にでも吹かれたか軽いくしゃみをするテニア。
ふむ、風が通っているのは結構なことだが――
「よし、ちょっと待て」
荷物の中から改造した鍋蓋と、サザナ島の市場で買った唐辛子を出し、
『万象の書』の頁をめくる。
「この鍋蓋、足がついてるの?」
取っ手の代わりに折り畳み式の足をつけた鍋の蓋は、
引っ繰り返して使うもの。
「いくら身体を暖めると言っても唐辛子を食べるのはちょっと」
二人揃っておかしな者を見る目は止めろ!
別に辛い物を食って身体を内側から暖めるとかじゃないからな。
「オレ等が食うんじゃねーよ」
召喚術士の真骨頂を見せてやろうではないか。
「お、あったあった」
お目当ての『証』を発見。
「『サラマンダー』来ーい!」
光とともに現れたのは、炎を纏った小さなサンショウウオことサラマンダー。
丸まって蹲ったその身体の上に脚を立てた鍋の蓋を逆さに設置。
赤い実を乗せた手を近づけると、サラマンダーは大きな口から舌を出し、
ぴゃっと唐辛子を巻き取ってゴクンと飲み込む。
『ぽ』
サラマンダーの身体がみるみる赤みを増し、周囲の空気が加熱される。
平たい鍋蓋の上に陶器の椀を置き、魔術で水を入れれば即席加湿器の出来上がりだ。
「おお~」
感心するクロとテニア。
「サラマンダーは唐辛子が大好物だからな」
だいたい一口で一晩は生きた焚き火として頑張ってくれる。
煙も出ないし空気も淀まない。
召喚術士の生活の知恵という奴だ。
軽く胸を張ったところでオレもくしゃみを一つ。
「……寒いもんは寒いな」
常夏の南海諸島と言えども、これだけ濡れた上に全裸だと、
多少サラマンダーで空気を暖めても風邪をひきそう。
「それならお次はっと」
荷物から最近使っていなかった防寒マントを広げ、
「ほれ、みんなでこれにくるまれば一晩くらい大丈夫だろ」
「ありがたーい」
さっすがステラと調子のいいことを言ってファナを内に入れるテニア。
……さっきからファナはほとんど口を開かずなされるがままだが、どうしたのだろうか。
何かというと突っかかってくる、いつもの勢いがまるでない。
「吾輩は大丈夫ニャ!」
サラマンダーの反対側に座り込んだクロが強弁。
「はっはっは、何を言うかと思えば」
「だよね~」
テニアと視線を交わし互いに笑みを浮かべる。
どうやら思うところは同じらしい。
「こっちこいよ」
「まったく遠慮しなくっていいから、ほら」
揃って手招き。
「……二人とも乙女としての慎みとかないのかにゃ?」
「寒いんだよ、ほれ」
慎みで体が暖まるか!
ぶつぶつ言うクロの首根っこをひっつかんで抱き込む。
水気が渇いてきた毛皮は極上。
ほどよく熱を持った身体は最高。
「ちょっと、ステラ! ネコ君こっちに貸してよ」
「やーだね。クロはオレのだからな」
「独り占めってひどくない?」
マントの中でごそごそ蠢く女子たちの影。
「って、てめーどこ触ってやがる!?」
「そっくりそのままステラに返すし!」
「吾輩とは一体……」
『ぽ』
哲学的な悩みに陥るクロの奪い合いは、
やがて毛布の内側で一まとまりとなり、
騒がしかった洞窟にようやく落ち着いた闇が戻ってきた。
☆
「やべーな」
サラマンダーコンロとクロ枕のおかげで程よく暖まったところで、
空いた手で鞄の中を漁ていると、つい言葉が零れた。
「どうしたん?」
耳聡く聞きつけたテニアが突っ込んでくる。
長いポニーテールを下ろした彼女にに応えるより早く、
ぐぅ~~~
腹の音が鳴った。
この際、誰の腹が鳴ったのかは問わないのが礼儀。
まあ、顔を赤らめているのはファナだが。
「食いもんがねぇ」
「うぇ」
ここ最近あまり遠出していなかったせいで保存食の用意がない。
「テニア、何か持ってねーか?」
「残念ながら」
テニア、お手上げのポーズ。
「ファナは……なさそうだけど、あとは」
クロは?
そう問いかけようとしたところ、オレの腕の中で全身を震わせている相棒。
つやつやの黒い毛玉の中で、激しい葛藤が繰り広げられている模様。
「吾輩は……吾輩は……うにゃ―――――!」
突然叫び声をあげて女子包囲網から抜け出したかと思うと、
自分の鞄から大葉の包みを引っ張り出すクロ。
丁寧な手つきで包みを開けると、中には魚の乾物がひとかけら。
「ちょっとずつ食べてたから、これだけしか残ってないニャ、にゃにゃ……」
四人で分けたら一口分にもならないほどの干からびた魚。
言っては悪いが腹の足しにはならなそうだ。
しかし――
「クロ……」
魚を見て目を輝かせていたクロの姿を思い出す。
『ない』と嘘をつき通すこともできただろうに、
あれだけ思い入れのあった乾物を差し出すとは。
量の多寡ではない、その心意気に感動。
……していたところに電撃走る!
「いや、そんなことはないぞ、クロ!」
「にゃ?」
「よく見ろ。ここに魚の乾物があって、お湯がある。これは天恵だ」
「にゃにゃ?」
「あ、なーるほど」
察したらしいテニアがクロの頭を撫で褒める。
「みんなで分けるにゃ足りないこの乾物を、お湯に浸して出汁を取ろうってワケか!」
さすが『海竜亭』の看板娘兼料理担当。
察しがいい。
「おう!」
ほんのちょびっとの乾物を寂しくポリポリ齧るより、
薄味とはいえ魚のスープなら、滋養もあるし身体も心も内から暖まる。
今この瞬間をやり過ごすには最良のアイディアに違いない!
「いいか、クロ?」
でも、あくまで魚の持ち主はクロなので、
実行に移すには本人の同意がいる。
「やってくれにゃ、ご主人」
手渡された乾物を、サラマンダーを刺激しないようにコンロの上のお湯に投入。
そのままサラマンダーに当たりつつ待つこと暫し。
洞窟内にかぐわしい魚の匂いが充満する。
「おお、おお……」
「よし、回し飲みしよーぜ」
当然最初はクロ。
あとはファナ、続いてオレ、最後にテニアだ。
テニアがどうしてもと頼むのでファナに先を譲ったが、この間もファナは終始無言。
――う~ん、何かあったのかね?
だんまりを貫かれると何ともしようがないのだけれど。
クロが飲んだ後に椀に口を付けたファナは、
「温かい」
吐息とともに一言だけ感想らしきものを漏らし、
サラマンダーの明かりに照らされた褐色の頬に、
キラリと輝く一筋の涙が流れ落ちた。




