第5話 深き闇の底で その5
仲間が欲しい。
黒猫は、オレの腹の上でそう叫んだ。
ランタンが弱々しく照らすダンジョンの闇に降りる、しばしの沈黙。
そして――
「えっと、すまんがオレはケットシーとは契約してないんだが」
そもそも、先ほどまでケットシーという種を戦力とみなしていなかった。
だからお仲間は紹介できない。
「そういうことではないのにゃ」
クロフォードは拳を握って力説する。オレの腹の上で。
ちょっと重い。
「とにかく話を聞いてほしいのにゃ!」
そう前置きして、クロフォードは己の身の上を語り始めた。
オレの腹の上で、胡坐をかいて。
何様だ、お前は。
妖精界に生まれ育ってキャッ闘流格闘術に開眼し、修行を重ねてはや数年。
『吾輩より強い奴に会いに行く』とばかりに家を飛び出したはよかったが、
比較的平和な妖精界とは異なり、人間界では何をするにも単独行動は危険を伴う。
野盗に魔物、危険な災害。ましてや大陸行脚やダンジョン探索と来れば、言わずもがな。
基本一人のオレが言えた筋でもないが、そういう場合に人間は徒党を組んで行動するのが普通である。
自分の強さに自信があるとかないとか、その辺はあまり関係がない。
ごく単純に、数は力なのだ。
「だったら、誰かに同行してもらえばよかったんじゃねぇの?」
「それはそうなのニャが……」
言われるまでもなく、クロフォードもまた仲間を募った。
しかし、誰にも相手にされなかったらしい。
妖精界では異端視され、人間界では嗤われて。
……容易に情景が想像される。悲しい。
「吾輩がただケットシーであるというだけで、話も聞いてもらえないのニャ、にゃにゃ……」
多少わざとらしげに瞼を擦りながら弱々しく呟く。
……難しい。
オレだって実際の戦いぶりを垣間見た今なら、クロフォードの気持ちも分からなくはないが、
街中でいきなりケットシーに、
『HEY YOU! 一緒に冒険の旅に出てみないかい?』
などと勧誘されれば、無言で通りすぎていたかもしれない。
いや、多分聞かなかったふりをするだろう。
ヘルハウンドとの戦闘は、オレに実力を見せつけるための格好のデモンストレーションでもあったわけだ。
少なくとも、今、オレはクロフォードの話に耳を傾ける気にはなっている。
街中で立ち回りを演じても、仲間集めのためのやらせと取られるかもしれないが、今の戦いは生死を書けた真剣勝負。
そこに嘘偽りは存在しない。
「つまり、お前はオレに仲間になってほしい、と?」
「そうにゃ!」
我が意を得たりとばかりに満面の笑みを浮かべる黒猫。
「……何で、オレ?」
「何でと聞かれても困ってしまうのニャが……」
笑顔のままで首をひねってでんぐり返り。相変わらずオレの腹の上で。
「あえて言うなら、ここで出会うことができたご縁ということで」
どうかニャ?
クロフォードが上目遣いで問いかけてくる。
――さて、どうするか……
クロフォードの話は分かった。
先ほどの戦いというか、今もってマウントを取られているこちらが不利な状態であることも理解している。
この黒猫が決してオレの腹の上からどかないのは、単にあざとい態度を見せつけたいだけではない。
向こうもまた、油断はしていないのだということだ。
その上で、考えなければならない。
組むか、組まざるか。
……とはいえ、ここからそう簡単に拒否できるとも思えないが。
――オレがコイツと組むメリットは……
まず、普段から耳にタコができるほど説教されているのだが、単独行動が危険なのはオレも同じ。
二人で組めば単純にお互いにとって利益がある。
普通の人間にとって魔物は討伐するものだが、オレにとっては制圧して支配下に置きたいお宝扱い。
でも、オレの手札にしてしまっては、儲けを独り占めしてしまうようなもので、
人間と組む場合は、このギャップが埋められない。
しかしこちらが召喚術士とわかった上での提案であるなら、どこかしら妥協点は見いだせるかもしれない。
次に、オレは召喚術士であることを隠しながら、召喚するための手札を集めている。
誰かと組んだ場合、彼らに召喚術を隠しながら召喚術を使う必要があるわけで、これはハッキリ言って無理。
なんでそんなことになっているかというと、これはオレの身の上が関係している。
まあ、何というか、ぶっちゃけ家出中。
召喚術士という奴は世界的に見ても、とにかく数が少ない。
名前と容姿がバレれば個人特定まであっという間。
そうなると追っ手がかかること必至である。
どの道、既に召喚術を見られているクロフォードは消すか取り込むかするしかない。
コイツの口を上手く塞ぎつつ、利害関係を調整できれば万々歳だ。
つまり――
「条件が二つある」
「何ニャ?」
黒猫の問いに右手の人差し指を立てる。
「まずオレの名前と、オレが召喚術士であること、この二つを口外しないこと」
「ふむふむ」
ついで中指。
「次に、すべての魔物を討伐しないこと」
身をかがめてこちらを窺っているヘルハウンドの方を指さす。
怪我は直しているものの、散々痛い目にあわされたクロフォードを警戒しているせいか、
ものすごく険しい表情でこちらを睨み付けてくる。
口の端から微かに燐光が漏れているが、この状態で炎を吐くのはやめてほしい。
あいつは先ほどのゴロツキに襲われる前に、このダンジョンで契約したばかりの新顔。
召喚術士という奴は、多かれ少なかれ自分の手下を増やしたがる。
これはもう習性といってもよく、やめろと言われてもやめられない。
クロフォードが強さを求めているように、オレは魔物を求めている。
ただ、別にすべての魔物を支配したいわけではない。そのあたりは要相談。
「ふみゅ……そちらは召喚術士にゃのだから、後の方は分かるのニャが、正体を隠すのはいまいち意図がつかめんのにゃ……」
頭部と腹部に埋もれた首をかしげる黒猫。
まあそうだろう。召喚術士は聖典にも描かれる神の後継者。
大抵は堂々と――いささかやりすぎなほどに――その力を明らかにするものなのだから。
「そうか、じゃあこの話はなかったことに」
圧し掛かられたまま左手で、じわじわと距離を詰めてきたヘルハウンドに合図を送る。
先ほどまでいいところのなかった猟犬は、ここぞとばかりに戦意をたぎらせる。
このまま戦闘再開となれば、オレ自身は眼前のケットシーの攻撃を躱すことはできないけれども、
その一瞬のスキをついてヘルハウンドがこの丸っこい格闘家の首にくらいつく。
ダメージは受けるが、こちらの逆転勝ちだ。
「ま、待つニャ。別にダメとは言ってないのニャ」
「ほ、ほう」
「一つ聞かせてほしいにゃ?」
「……何だ?」
「……もしかして悪い人だったりするのかニャ?」
黒いケットシーの問いに、周囲を見回して嗤う。
「いいか悪いかで言えば悪い方かもな。こんな感じのことは、たまにある」
降りかかる火の粉は払う。たとえ相手が人であれ。容赦はしない。
犯罪者とか手配者とかではないな、と付け加えておく。
「じゃあ問題ないにゃ」
即決であった。
コイツもなかなかいい性格をしている。
クロフォードは腹の上から降り、こちらに右手をつき出してくる。
「これからよろしくにゃ、ご主人。クロと気軽に読んでくださいニャ」
「ああ、こちらこそ、よろしく。オレのことはポラリスとって……ご主人?」
「ケットシー的愛称にゃ、気にしにゃい気にしにゃい」
「お、おう、そうか」
種族的文化の違いに触れるとややこしいので、ここは素直に従っておく。
と、クロが何かを思い出したかのようにポンと胸元で手を叩く。
「あ、そういえば忘れ物があったニャ」
「忘れ物?」
そうにゃ、と頷いたクロが薄暗い通路に足音もなく戻り、何かを引きずってくる。
それは……
「オレの鞄!」
「ここに来る途中で拾っておいたニャ」
若干胸を反らしつつピンと右手を天に掲げるクロ。
そんなケットシーの小さな身体を抱きしめる。
「ありがとう、オレの全財産!」
とっくに諦めていた落し物が帰ってきた。
これは嬉しい、そしてありがたい!
「……ひょっとして、貧乏さんだったかニャ?」
「お前がいなけりゃな!」
小さな身体を宙に放り投げて感謝を示す。
「いい奴だなあ、お前」
「にゃはは、それほどでも~」
とりあえず、宿を追い出されることはなさそうだ。
クロの両手をがっしり掴み、薄暗い闇の中で喜びのダンスを踊る。
「よし、帰るか」
「はいニャ!」
ひとしきり感謝を体現して見せたところで帰還することに。
ヘルハウンドと、スライム(呼び出したまま放置してた)を呼びつけ、両者に『証』をかざす。
「今日はお疲れさん。また頼むな」
「ウ~、バウッ」
いささか不満げな表情で吠えるヘルハウンドも、傷を癒し頭をなでてやると気持ちよさそうな顔をする。
ボコボコと音を立てるスライムの方はよくわからないが、機嫌は悪くなさそうだ。
『万象の書』から抜き出されていた彼らの『証』から白い光が放たれる。
その光に包まれた二体の魔物は、瞬きするほどの間に姿を消していた。
彼らが本来住まうべきところに帰ったのだ。
用が済み、灰色になっている『証』を『万象の書』に収納する。
これで時を経ればまた魔力が回復し、『証』に色が戻れば召喚可能になる。
人と魔と、生と死が入り乱れる暗闇の奥で、
新たな仲間となった黒猫とともに光射す地上への帰路につく。
これもまた、人生の新たな一ページ……だと思う。多分。