第21話 黒猫の休日
「にゃっ」
世界最強の格闘家を目指すケットシー、クロフォードの朝は早い。
夜明け前に目覚めると、まずは床を共にする相棒の様子を確認。
蒸し暑い南海諸島の気候に悩まされて若干寝乱れてはいたものの、
今日も相棒のステラに問題は見当たらない。
四方八方に飛び散った桃色髪をまとめ、
横でしわくちゃになっているシーツを整え直す際に、
『明日からちっと休みな』
昨晩の食事時にそう言われたのを思い出す。
――起こしては悪いにゃ。
そうっとベッドから降りて、音を立てないように部屋を出る。
「あれ? 随分早いね、ネコ君」
厨房から顔を出した『海竜亭』のテニアが、
後ろで栗色の髪をひとまとめにしつつ、
あくびを噛み殺しながら挨拶してくる。
「おはようにゃ」
「今日は休みだって言ってなかったっけ?」
休みじゃないなら掃除手伝ってもらいたかったのに。
頬を膨らませる看板娘に申し訳ないと思いつつ、
「休みの日でも、鍛錬は欠かせんのにゃ」
なるほど、と得心したテニアを置いて宿を出る。
早朝の空気は澄み渡って、しかし港町だけあって道行く人は多い。
「まずは走り込みにゃ」
相棒である召喚術士ステラは、残念な運動神経はさておいて、
アールスの街では翠竜エオルディアを、先日のニブル島近海戦ではクラーケンの幼生を手中に収めている。
その可憐な容姿と年齢にはそぐわない大戦果の数々。
本人にとっては不満な部分もあるだろうが、
共に旅する相棒としては鼻高々であり、
最も身近なライバルとして、置いていかれないようにと発奮させられもする。
「吾輩も負けてられんのニャ!」
この街に来てから様々な道に足を踏み入れた結果、
目的地に向けて最も効率的と思われる道順に沿って駆ける。
街中を走っていると出会う顔見知りたちと互いにあいさつを交わす。
人間、ギルマン、マーマンなど多種多様な住民たち。
大陸の街よりもその種類は多く、しかしみな一様に明るい。
「おお、今日もキラキラにゃ」
港につくと大きな漁船から水揚げされた新鮮な魚が並んでいる。
この光景を眺めるのが、このサザナ島に来てからの密かな楽しみ。
先日のニブル島での仕事のおかげで懐は温かいが、
あいにく今は手持ちがない。
あったところで、これだけの魚を手に入れるのは難しいが。
「見ているだけで楽しいにゃ」
そのまま市場の方に回ると、早速店先に並んでいる魚をチェック。
毎日毎日眺めているおかげで、だいぶん相場がつかめてきた。
親切な店員の指導によって、目利きの方も磨かれつつある。
――くっふっふ、楽しみだニャ~
いつかその手に高級魚。
否、別に高級でなくても魚は美味しい。
食卓に上がるその姿を想像するだけでも嬉しくなる。
そうして魚を眺めること暫し、
ふと陽光の加減で時間の経過に気が付いてしまい、
遥か彼方の幸福な夢から現実に回帰する。
市場を離れて砂浜に回り、日課であるキャッ闘流の型を修める。
「ニャッニャッ、ニャニャニャ!」
毎日毎日丁寧に動作を確かめ、精度を高めてゆく。
幼き日に出会った師匠とは残念なことに根本的に体格が異なる。
ゆえにケットシーの身体に合った戦い方を一つ一つ模索し研鑚し、
幾多の困難を乗り越えて、今の自分がここにいる。
そして、さらに先を目指すことができるのだ。
しばらく身体を動かしてくると、黒毛の内が汗ばんでくる。
海水に飛び込んで汗を流し、全身を震わせて水滴を飛ばす。
何回も何回も飽きることなく同じ動作を繰り返し――
「さて、帰るにゃ」
キャッ闘流格闘術開祖、クロフォードに近道なし。
日々これ精進の積み重ねなり。
☆
宿の前で無料の水を被って汗と海水を綺麗に落とし、
部屋に戻ると、まだ相棒である召喚術士はベッドの上。
「ご主人、そろそろ起きる……にゃ?」
鼻につくかすかな血の匂い。
一瞬何事かと驚くけれど、目立った外傷はなく、
すぐにとある知識――人間の、特に年頃の乙女に関する――が思い出される。
「う~、帰ったのか」
目が覚めたらしい相棒――召喚術士ステラが、
シーツに潜り込んだまま手招きしてくる。
「どうかしたのか……ニャッ!?」
そろりと近づいてたところに素早く伸ばされた手に捕獲され、
そのままシーツの中に連れ込まれる。
「ちょ、ご主人!」
「あ~、ふかふか」
まだ若い娘の身体に抱きしめられ頬ずりされる。
その声も仕草も優しいもので、年相応の子供らしさを感じる。
一応は逃れるふりをしてみるものの、思いのほか強い力でロックされている。
抜け出そうとすればできないことはないだろうけど、そうすることは思いとどまった。
――まぁ、今日は休みだにゃ。
「二度寝もいいかにゃ」
「二度寝な~」
半ば寝ぼけたままのステラの腕の中、身体を丸めてまぶたを閉じる。
程よい運動のおかげか、暑苦しい気候であっても睡魔の訪れは早かった。
☆
意識が戻り、身体を取り巻く圧力が消えていることに気付く。
「む?」
身体を起こすと、ステラが寝苦しげに呻いている。
寝相は悪く髪は乱れ、朝方かけ直したシーツも、
クシャクシャになって再び脇にどかされている。
「ご主人、しっかりするにゃ」
布で額の汗をぬぐっていたところに名案を思い付く。
寝相を整えシーツを直し、再びベッドから飛び降りる。
部屋の脇にまとめられた荷物から黒猫印の鞄を引っ張り出し、中の財布を確認。
鞄を背負って部屋を出る。
「あれれ、ネコ君もうお昼過ぎてるよ?」
ふにゃふにゃしたテニアの声で、
昼食どころか朝食も口にしていないことに気付くが、
今はほかに用事がある。
「ちょっと出てくるニャ」
「行ってらっしゃい」
テニアに見送られて、再び市場を目指して駆けだす。
日は高く、そして人通りは多く、走るにはあまり良い環境ではないが、
鍛えた猫足にとってはどうということもない。
母親お手製、相棒謹製の黒猫印の赤いマフラー靡かせて、
誰の邪魔にもならないように速度を上げてあっという間に市場にたどり着く。
あちらこちらから流れてくる魚介の良い香りに魂が惹きつけられるのを我慢して、
目的地である鮮果店に到着。
「おや猫ちゃん、今日は一体どうしたい?」
普段はあまり顔を出さないけれど、市場を駆け回る姿を見られていたらしく、
店のおばさんは気安い感じで声をかけてくれる。
「えっと、果物が欲しいにゃ」
「ほう、色々あるよ」
どんなのがいいんだい?
「食べ物が喉をとおりにくそうな女の人向けのもの、ないかニャ?」
あえて何があったとは言わなかったが、熟練の女性である店員は、
その一言だけで状況を察してくれたようだ。
「そうだねぇ。そういう時はこれがいいよ」
「これは何にゃ?」
「これはね、リトルオレンジっていってね」
オレンジと名前がついているだけあってそれらしい色をしているが、
小さな丸い粒が房状にいくつもくっついた不思議な形をしている。
瑞々しくて甘酸っぱくて、その上栄養価も抜群さ。
疲れた時とかにもお勧めだよ。
そう勧めてくれるその表情からは怪しいモノを売りつけようという悪意は感じない。
あいにくと果物の類には、ほとんど知識が及ばない身としてはその是非は判断しがたい。
お金が手持ちで足りるかと値札を見れば、手は出せなくはない。
でも、買えば魚が遠のくほどには安くもない。
否、意外なほどに高いと言って差し支えない。
しかし、悩む脳裏に思い出されるのは苦しげなステラの顔。
――ええい、ここは我慢ニャ。
「それでは、その果物を頂くにゃ」
魚への未練を断ち切って果物を大きな葉に包んでもらい背中の鞄に入れる。
そのまま、背中に気を付けながら急いで宿に帰還。
「お帰り、ネコ君」
「ご主人はどうしてるかにゃ?」
「ん~、ステラだったらさっきトイレに行って部屋に戻ってったよ」
「ありがとにゃ」
礼を言って部屋に戻ると、ステラは相変わらずベッドの上で唸っている。
「ご主人、ご主人」
「あ~、お前どこに行ってたんだ?」
うっすらと目蓋を開き、不満げな気配を隠さないステラ。
平時と違い、心に余裕がなさそうだった。
「果物貰ってきたニャ」
鞄から取り出す際に包んでいた葉っぱを見られないように外し、
新鮮な果実を掲げる。
途端に部屋中に広がる甘酸っぱい香りに、ステラの表情が和らぐ。
「食べないかニャ?」
「……食べる」
あ~と開かれた口に、房からちぎった実を放り込むと、
昨晩から何も食べていないであろう相棒は、ゆっくりと果肉を咀嚼し飲み込む。
「うまい」
「それは良かったにゃ」
もっと食べるかと問えば、食べると答える。
食欲が戻ってきたことに安心して果実を差し出していると、
グ~っと腹の音が鳴る。自分の。
「……お前は食べなくていいのか?」
「折角なのでいただくにゃ」
房からちぎった果実を自分の口に放り込むと、
甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がってさっぱりとした旨味が広がる。
そういえば、自分も朝から何も食べていないと再度気付かされたが、
これはもともとステラのために買ったもの。
――なに、いざとなれば一日や二日食べなくても大丈夫ニャ。
ステラと出会う前の日々を思えば、一食や二食抜いたところでどうということはない。
「美味しいにゃ。ご主人ももっと食べるにゃ」
「おう」
再び開かれた口にどんどん果実を放り込み、最後の一粒まで食べさせる。
穏やかになったステラの様子に安心して荷物を置くと、
再びベッドの上から手招き。
何が起こるか予想はついていたが、
――まあいいにゃ。今日は休みにゃ。
腕に導かれるままに抱きしめられ、再び丸まって目を閉じる。
相棒の穏やかな寝息に聞き入っているうちに、次第に意識が溶けていった。
☆
数日後の夕刻、すっかり体調が戻ったステラとともに食卓に着く。
「ステラ、もう大丈夫なの?」
注文を聞きに着たテニアに『問題ない』と返す相棒。
――何ともなさそうにゃ。
心の中で胸をなでおろす。
「で、注文は?」
「オレはいつもの。それと――」
「吾輩も今日はご主人と同じでいいにゃ」
「了解。すぐ持ってくるね」
厨房に戻るテニアを見届けてから、ふとステラから視線を感じる。
「どうかしたかにゃ?」
「……別に」
?
首をかしげてみても、ステラは何も答えない。
途中、別卓の魚に見とれていると、
傍で相棒がポニーテールの看板娘に何か話していた。
程なくして、
「はいお待ち、日替わり二丁」
「あいよ」
「さて、ご飯にゃ」
「あと、焼き魚と米酒ね」
「にゃ?」
頼んだ覚えのない魚がじゅうじゅうと心地よい音を立てて前におかれる。
そして焼き魚と相性抜群の透明な酒。
驚いてステラに振り返ると、
「奢りだ」
「にゃ?」
「いいから。早く喰わないと冷めちまうぞ」
「それでは有難くいただくにゃ!」
柔らかい笑顔でこちらを見つめてくるステラに、
「お魚、お願いするにゃ」
「あいよ」
器用に箸を使って身をほぐし、大きな欠片をつまみ上げるステラ。
「はい、あ~ん」
「あ~ん……あちゅあつ」
口の中で弾ける魚の旨味と脂。
そこに水と見まごうばかりの米酒を流し込む。
口の中の魚の旨味と酒の旨味が混ざり合い、喉を通るこの快感ときたら!
「今日も美味いにゃ!」
「そりゃ結構」
にっこり笑ったステラと遅ればせながら乾杯。
久しぶりの休日の夜が、騒がしくも穏やかに過ぎていった。
次回から『急転』となります。




