第14話 お仕事の日々、始まります! その3
『ひょっとしたら……』なんて考えているアレやコレやは、
極めて高確率で発生すると相場が決まっているものだ。
オレの短いとは言えない人生経験から得た知見である。
数日を経て干物の監視もすっかり慣れてきたある昼下がり、そいつは唐突に姿を現した。
木陰になっている森の奥から、のそりのそりと歩み寄る巨体。
人間よりもはるかに大きいその身体は黒味がかかった茶色の毛におおわれ、
遠目に見れば可愛らしい顔も、相対してみれば強面とそう変わりはない。
――熊!
はじめはゆっくりと、そして徐々に速度を上げて。
干物が並べられた棚に近づく奴の狙いは明白で……
てゆーか縮尺がおかしい。
明らかに普通の熊よりも大きい。
目が何か真っ赤に光ってるし。
「あれはもう魔物じゃねーか!」
年寄り以外の働き手がいたところで、
どうやって追い返すつもりだったんだ!?
「ご主人!」
「おう。行くぞ、クロ!」
ヘルハウンドすら圧倒したクロが、颯爽と熊に接近。
早速得意のキャッ闘流を披露する。
「キャッ闘流『飛燕拳』!」
足元からのアッパーカットは、しかし熊のスウェーバックに躱されて、
「ニャッ!?」
「『雷撃』!」
「ぐおぉぉおオオッ」
熊の目の前で大きな隙を見せてしまった相棒をフォローすべく『雷撃』で足止め。
幸い、ターゲットが巨体だったお陰で外れることはなかったけれど、
ここ最近海鳥相手に撃ち放っていた威力では、巨大熊の分厚い皮の鎧を貫くには足りず。
熊の大きな手の間合いからクロが一時離脱する程度の時間稼ぎにしかならない。
「デカいのはいいから、もっとくっ付いて小さい打撃をまとめていけ!」
「さっきのはちょっとミスしただけニャ!」
近接戦闘ではあまり大したことも言えない身としては、クロの戦闘センスにお任せするしかないところ。
見張りの交代要員は、ちょっと席を外すと言ったっきりで当分戻ってきそうにない。
余計な揉め事に発展しそうにないという点では、やりやすい状況ではある。
――いい加減、オレも火力がいるかなぁ。
クロの戦闘能力に甘えすぎて、最近魔術があまり役に立っていないという自覚はある。
何しろオレの中で魔術の研究というのは家出前、すなわち五年前で止まってしまっている。
魔力の増強や、魔術の精度の訓練はともかく、
抜本的に新しい魔術を習得するという機会には恵まれていない。
一般的な魔術士が魔術を憶えるには、
まず魔術書を精読あるいは誰かに習ってから、しかる後に発動の訓練に励むことになる。
とはいえ、魔術書なんてものはそもそも市井には出回らないし、
誰かに習うと言っても、その本人にとっても自分の魔術は貴重な財産。
そうそう簡単に他人に教えるものではない。
その結果が中途半端な魔術士モドキとなった今のオレ。
一応家を出る前に知識だけは詰め込んできたネタはいくつかあるが、
外に出て働き出すと、なかなか実践訓練の時間が取れない。
召喚術を思うが儘に扱えない現状は、想像以上に厳しい。
――ひとりだったときは、ほとんど大物と戦わなかったからなぁ……
小物ばかりを相手取ってきたおかげで何とか戦ってこられたが、
クロという戦力を本格的に活用する以上、
格下ばかりと戦うことに、あまりメリットがない。
将来有望な黒猫格闘家の相棒として恥ずかしくない戦力を、
自前でも身につけなければならない頃合いだ。
「ご主人、上!」
熊の両手を交わしつつボディに拳を叩き込み、距離を取ったクロが叫ぶ。
「げ、この野郎!」
見上げれば、まとめて空から獲物を狙って飛び降りてくる海鳥たち。
ここ数日自分たちを追い払っていた人間と熊が戦っている隙に、
キラキラ光る魚の干物を狙って一直線。
「させるかよッ!」
『雷撃』の連続発射。
青空を走る幾筋もの紫電。
光の光線は命中し、あるいは外れて空の彼方に消えてゆく。
残るは三匹。
「お魚さんを取らせてはダメにゃ!」
悲痛な声を耳に、再度『雷撃』の準備に入る。
目の前の熊より魚の方が大事そうな口ぶりはどうかと思うが、
オレ達の仕事的にはクロの言うとおりだ。
――焦ってはいけない。外してもいけない……
魔力集中、詠唱完了――
「当たれ、当たれぇ!」
再び空を舞う紫電。
精密さを捨てて連射。面制圧を図る。
三匹の盗人相手に五本の矢――命中!
「はっはっは! 戦いは数だぜ!」
ぼとぼとと地上に落ちていく焦げ臭い鳥の影。
いまだ空に舞う鳥は、仲間の末路を見て高度をさらに上げた。
撤退するには惜しいけれど、損害状況もバカにならない。
結果としての様子見ってとこか。
「クロ、そっちはどうだ?」
「まだまだこれからニャ!」
左右から繰り出される熊のフックを器用に避けながら反撃。
しかし踏み込みが足りないのか、巨体を傾かせるにはパワーが足りない。
「それならッ!」
『障壁』の魔術をクロに展開。
詠唱と共に淡い光に包まれる黒猫拳士。
ふいに直撃した熊の左手が、逆に弾かれる。
「おお!?」
「今だ、突っ込め!」
「了解にゃ!」
熊の右手を掻い潜り、至近距離に踏み込んだクロ。
「ほあぁ~! キャッ闘流奥義『百列弾』!」
目にも留まらぬ左右の連続肉球が熊のボディに叩き込まれる。
「グオォッ!」
衝撃に膝をついた大熊。
しかし――
「おおおオオッ!」
左右から回り込む手がクロの逃げ場を奪い、
両手に抱きかかえられる形に。
いや、あれは――
「にゃ、ニャ―――――!」
ギリギリと黒い小柄な体を締め付ける熊の両手。
今はまだ『障壁』の効果が残っているが、
相棒の身体を護る光のヴェールは激しく明滅し、今にも消えてなくなりそう。
「クソッ」
『雷撃』で狙い撃つにはクロの身体が射線に入り邪魔になる。
かといって、他の魔術で有効なものとなると……
「ご主人……吾輩は大丈夫ニャ!」
クロはこちらに叫んで身体を上に引き抜こうとする。
当然、そうはさせまいと力を込める熊。
「ニャッ」
両者のせめぎ合いの結果、スポンと上に飛びあがるクロ。
ああ、そうなったか――って、ここだ!
「『雷撃』!」
その間隙を縫って熊のどでっ腹に紫電を叩き込む。
さらに空中で回転した黒猫の足が、動きを止めた熊に襲いかかる!
「キャッ闘流『螺旋連脚』!」
ニャニャニャと繰り出される不規則な連続蹴りを顔面に食らい、
大きく仰け反る熊の巨体。
「もう一発ニャ!」
横に大きく振り回された脚が、熊の横っ面をはたき倒す。
「今ニャ、ご主人!」
「え……?」
「いつものアレにゃ」
――アレってなんだ?
『召喚術だ』
どこかから聞き覚えのある声。
「え……あ、ああ!」
しかしその声を疑う余裕はなく、周りを顧みればオレ達以外誰もいない。
つまり、チャンスだ。
「万象の繰り手たる我、ステラ=アルハザートが声を聴け! 汝の全てを我に捧げよ!」
『万象の書』から無地の『証』を抜き取って接近しつつ契約のことばを放つ。
「その身、その力、その魂よ、今ここに!」
『証』から放たれた赤い稲妻が、倒れた大熊を飲み込み、そして音もなく集束。
ここまでさんざん削ってきたおかげで、ほとんど抵抗なく光が飲み込まれていく。
先ほどまで何も記されていなかった『証』には新たに『ビッグベア』の絵と文字が顕れ、
倒れていた熊はのそりと立ち上がり、砂まみれの身体を揺すって服従の意を示す。
「よし。命までは取らねぇから、ここの魚を取るのは禁止な」
「ぐぅぅ……」
不満の気配が増す。
さて、これは……
「漁師さんに頼んで、ちょっと分けてもらえるように交渉すっから」
それで手を打ちたまえ。
今回は最後まで戦いはしなかったが、
あまり何度も襲撃をかけていては、
そのうち命を失うことになるぞ。
いくら魚が食いたかろうが、死んでしまっては元も子もなかろう。
「うう……がう」
言葉は通じずとも『万象の書』の力でこちらの意図は通じる。
そう長くもない沈黙の後、
何とか納得してくれた熊が森の中に戻っていくのを見送って、
「久々にいい汗をかいたニャ」
「オレも久々に召喚術士やった気がする」
あの声が聞こえるまで、自分が召喚術士だってのを忘れてたとも言う。
召喚術士でなければ、オレは一体何なのだ?
――にしても、あの声は……
「あんれ、お前さん方」
「うわっ!」
休憩所の方から、交代要員のじいさんの声が!
……み、見られた、今の?
「さっき熊の姿が見えたんなら」
「ああ、アイツなら森に追い返してやりましたよ」
「そりゃ凄いこっちゃ」
素直に感心してくれる素直な精神に感謝。
チラリチラリと表情を追いかけてみるも、
どうやら詳細な遣り取りまでは見ていない様子。
「それでですね」
あの熊はここの魚の干物が大好物だから、
時々で良いので魚を置いといてくれると、他の連中から魚を護ってくれますよ、と伝えると、
「ほんまかいな」
「ほんとほんと」
オレが召喚術でそう縛ってるのは秘密。
「まあまあ、騙されたと思って一度試してくださいな」
「……そこまで言うなら」
今度一回試してみるべ。
そう頷いて待機所に戻る。
「にしても、ウチの魚は熊にも人気なんだなぁ」
などと喜ぶのは、さすがにちょっと純朴すぎやしないかという気がする。
……誰も困ってないから別に良いけど。




