第6話 おいでませ南海諸島 その5
「ほれ、とっとと降りる」
食事を終えて自室に戻ってきたオレがまず最初にすることといえば、
いつものとおり酔っぱらってぐでんぐでんになったクロをベッドに寝かすこと。
昨日までの船酔いと違って、気持ちよく酒に酔っているだけなので安心と言えば安心。
うにゃ~っと仰向けに寝転んでグネグネする黒猫は置いといて、
借りてきた桶に魔術で水をためる。
『ここ、水はたくさんあるからタダでいいのに』
部屋に戻る際にテニアはそう言ってくれたが、
クロを抱えたまま水一杯の桶を持ち運ぶのは厄介だ。
とは言え、ほんの些細なことまで、
いちいち魔術を使った方がずっと楽というのは、
人として何かが間違っている気がしなくもない。
「さて」
同じく借りてきた布を水に浸し、すっかり汗ばんだ服を脱ぐ。
下半身の下着だけ残して、布を両手でぎゅっと絞って身体を拭く。
この宿には水場がないので、身体を洗うにはこれが精いっぱい。
これ以上を望むのならば、公衆浴場へどうぞとのこと。
さすがに今から風呂に行くのはめんどくさいので、今日のところはこれで我慢。
身体のいたるところを丁寧に布で拭い、
何度となく水に漬けて全身くまなく汚れを落とす。
両腕両脚、腹から背中まで。
耳の裏、首筋、脇など見逃すことなくゴシゴシと。
ふと、膨らみかけの胸元に目をやると、そこには竜の咢を模した入れ墨じみた赤い痣がある。
特殊な趣味の化粧などではなく、それはまさしくオレの心臓に狙いを定め大きく口を開けたドラゴンそのもの。
先日のアールスの街での騒動の結果、契約することとなった翠竜エオルディアとの制約の証。
そっと指でなぞると、自分のものとは別の鼓動を感じる……ような気がする。
「『竜遣い』か……柄じゃねぇな」
いつの間にか名付けられた大層な二つ名を耳にするたび、ため息をつきたくなる。
実情はあちらの厚意に付け込んで何とか場を収めてもらったに過ぎないし、
オレの方から奴の力を借りることはできない。
噂だけが独り歩きして、いつの間にか英雄呼ばわりされていることには、
自分が自分でなくなるような、ある種の恐怖すら覚える。
ベッドに腰を下ろして、足の裏を布でこする。
指の間もひとつずつじっくりと。
船に乗ってからも同じように洗ってはいたが、
暗くて狭い船室では、なんとなく落ち着かなくて、
いつもどこかに洗い残しがあるのでは、と疑いながらの日々だった。
薄明りの下とはいえ、ここなら洗い残しもちゃんと見える。
『あなた、異常よ』
昼間の出来事を思い出す。
王女兼海王代理ファナ=サザンオース。
整った外見と、圧倒的な周囲の賛美とは裏腹に、
自身の呼び出した魔物を囮にするえげつない女。
――あんな女に言われたことを、いつまでも気にしてどうする?
そう思っても、あの冷たい声が耳から離れない。
じわりじわりと心を蝕まれるような、嫌な感覚。
「……オレって異常なのか?」
半ば独り言のように、ベッドに横たわって幸福を満喫するクロに問いかける。
別に返事は期待していなかったのだが、
「吾輩は、ご主人は今のままでいいと思うけどにゃあ」
眠っていると思ったら起きていたらしい。意外だ。
「昼の青いお姫様の言ってたことを気にしてるのかにゃ?」
「まあな」
気にしてるって程じゃないけど、ちっとな。
自分でも明らかに強がりとわかる口ぶり。
気にしてないなら、こんなことを呟いたりしない。
「あちらさんは、ご主人が召喚術士だって知らなかったんだから」
あれが普通の反応なんじゃないかにゃあ。
ふにゃふにゃしながらのクロのお言葉。
眠そうなあくびが混じり始めている。
「そう言えば、そうだな」
これまでずっと自分の視点だけで考えていたけれど、
今のオレは正体を隠しているのであった。
他人から見ればただの魔術士に過ぎないわけで、
クロの言うことには一理ある、とも思える。
召喚術士でなければ魔物と積極的に関わるという人間は少ないだろうし、
魔物と友好的な関係を築こうとするやつはもっと少なかろう。
だから、魔物が傷ついても癒すことなど考えない。
それが、普通。
傷を治してやった後のカエルの姿。
目に涙をためて感謝していたっぽい。
あの様子だと、普段は一体どういう扱いを受けているのか、
他人事ながら考えるだけでも腹立たしい。
――でも……
ファナだけじゃない。
こちらを遠巻きに見つめていた住民たちの視線。
自分たちに理解できないモノを目にしたような、
一歩間違えれば恐怖あるいは敵意とすり替わりそうな感情を秘めた眼差し。
――あれが、普通なのか?
『普通』という言葉には不思議な力がある。
『普通』から離れた『特別』になりたいという感情と、
『普通』でありたいという感情。
相反する二つの心の動きを矛盾なく並立させる力が。
それが、人の心を惑わせる。
『そんなもん知るか! 他人は他人、オレはオレ!』
そう言い切るだけの心の強さが欲しい。
他人の視線を過剰に気にして、自分の意思を曲げるような生き方はまっぴら御免。
こんなことをウジウジ悩んでる時点で、オレはまだまだ未熟者だ。
そもそも、なんでここまで引っかかっているのか、自分でもよくわからない。
どうしてこんなにイラついているのか……と考え始めて引っかかったのは、
今日この宿までオレ達を連れてきたギルマンの男。
――アイツ、随分とファナのことを褒めてやがったな。
ギルマンという種族は、ここでは普通の人間扱いになっているようだが、
よその地域、特に海が近くにないところなら、初対面で魔物扱いされても不思議ではない。
帝国にいたころに、そういう不幸な行き違いについても耳にした記憶がある。
昼間に入った店主の態度には腹が立ったが、他の街ならあんなものかもしれないと今更ながらに思う。
「ギルマンたちとはうまく付き合っていけてるのに、カエルはダメなのかよ」
自分でもよくわからない感情を持て余したまま、口から言葉がこぼれ落ちる。
……こいつは、今日明日で解決できそうな問題ではなさそうだ。
ひととおり身体をぬぐい終えて布を桶に戻し、上半身も下着を身につける。
アールスと異なり温度も湿度も高いこの気候。
これ以上脱ぐ気はないけど着る気にもなれない。
石造りの部屋は頑丈ではあるが風通しが悪く、
初めての街で窓を開けっぱなしにするのは不用心に過ぎる。
――これは寝苦しいかも。
見下ろせば、布で拭ったばかりの身体に、もう汗がにじんでいる。
一晩中、そしてこれからずっとこの暑さが続くのかと思うと暗澹たる思いにかられてしまう。
既にベッドでいびきをかいているクロのように、
晩飯時に酒を頂いてさっさと眠りについた方がよさそうではある。
耳をすませば、食堂で騒ぐ大勢の声が聞こえる。
オレ達が部屋に引っ込むころには食事の方はあらかた片付いていて、
カードを使った博打が開かれていた。
宿の看板娘であるテニアも参加していた――というか、一人勝ちしていた。
あの調子で、今日オレ達をここに誘った男のように客引き用のカモを捕まえるのだろう。
テニアが勝とうが負けようがオレ達の関知するところではないし、
負けた男どもがどうなろうと知ったこっちゃない。
「細かいことは、明日考えよう」
酒臭いクロを足の方にどけてベッドに横になる。
幸い、いつもよりも多めに酒を飲んでいたせいか、
睡魔の方もいつもより早くやってきてくれて、
百も数えないうちに、オレの意識を闇夜に引きずり込んでくれた。
次回は『竜と秘密の花園と』(単話)となります。




