第2話 おいでませ南海諸島 その1
「ニャッ、にゃにゃにゃにゃニャにゃニャ――――――ッ!!」
渡し板から港に降りるなり五体投地する黒い毛玉。
そのまま頭を起点にローリングダンス。
そしてこの奇天烈な絶叫。
「ニャッにゃニャニャ―――!」
「えっと、あちらの方は……」
下船確認の船員さんの戸惑うような声。
周囲の奇異の視線が集中し、
みんながオレの次の一言を待っている。
息を吸い、言葉を放つ。
「よその猫です」
「ご主じぃ~~~~~~ん!!」
☆
あれから二日後、特に船にトラブルの類は訪れることなく、
オレ達は無事南海諸島の玄関口であり首都でもあるサザナ島に到着した。
そして船を降りるや否や奇怪なアクションに走ったクロと、
飼い主もとい相棒のオレは久方ぶりに大地に足をつけることと相成った。
「んも~、ご主人にはこの頼もしい大地のありがたさがわからんかニャ!?」
「多分わかってると思うけど、お前の表現は理解しがたい」
せめて人目につくところでは自重しろ。
プリプリ怒りながら前を歩くクロの頭を杖で小突く。
はいはい、わかったにゃなどとぼやきながら港の真ん中あたりで首を巡らせる相棒。
そんなクロにつられてあたりを見回してみると、
船から降ろされる大きな荷物、大声で叫ぶ商人、慌ただしく走り回る船員、
潮の香、波の音。
「アールスも結構活気のある街だったけど……」
「こっちも負けてないニャ」
クロの答えに頷くも、それだけではない気がする。
なんだろう?
しばし無言で回りを観察。
「なんつーか、開放感?」
「あと熱があるニャ」
「それな」
とにかく暑い。気温が半端ない。
そのせいか、港の人々の大半が薄着で肌色率がむやみやたらに高い。
腰布だけ纏ったほとんど裸の男だけでなく、
『おい、それ下着だろ』と言いたくなるような格好の女まで平然と闊歩している。
単純な温度だけでなく、見た目からして暑苦しい。
「なんだここは……」
「お~っと、そこのお嬢さん!」
突然かけられた声の方に振り向くと、男が一人こちらに向けて手を振っている。
一見すればどこにでもいそうな痩身の人影。
上半身がほとんど半裸のおかげでよく見える、
上着からちらりと見える肌の色はやけに赤く、
逆にに腹のあたりは白い。
近づいてきた男をよくよく見れば、肌の代わりに鱗が全身を覆い、
手足には魚のひれに酷似したモノがついている。
――ギルマンか。
マーマン、サハギンと並んで最も有名な海棲人。
確かこの島では『海の人々』と呼称されていたと聞く。
人間の容姿に魚の鱗やひれがあるのがギルマン、
上半身が人間で下半身が魚なのがマーマン、
魚に人間の手足がついているのがサハギン、
三種族揃うと紛らわしいけれど、こういう風に大雑把に覚えておけばよいと教わった。
南海諸島か、あるいは大陸の港町でもなければお目にかかることはないが、
扱いとしては陸のエルフやドワーフなんかと似たようなもののはず。
どちらにせよ、個人的に付き合いのある種族ではなく知り合いもいない。
「……何か用か?」
知らない奴にいきなり声をかけられると、
どうしても警戒してしまうのが追われる身の悲しい習性。
自然と杖を持つ手に力が籠る。
クロも足元で警戒態勢に移行。
「おおっと、これはご挨拶」
ギルマンの男はへらへら笑いながら距離を詰めてくる。
敵意や殺意の類は感じられないが、そういう気配を消す訓練を受けている奴もいる。
追っ手を放たれている身としては、どうにも初対面で気安い奴はやりにくい。
おかしなことをしようって訳じゃないよ、と前置きし、
「おたくら、大陸から来たばっかりだろ?」
せっかくだから街を案内してやろうと思ってさ。
男はそう続けた。
「案内なんて別にいらんニャ」
「まあ、そう言いなさんなって」
別に金をとろうって訳じゃないし、
アンタたちに損させることはない。
両手を広げて大げさな身振りで男は語る。
「見たところ、そこそこ腕が立ちそうな感じだけど……」
例えば、今日の宿は何処にするか決めたかい?
いい宿があるんだけどねぇ。
明らかにオレ達が荒事稼業の人間とわかった上での言葉の模様。
そう問われて、さてどうするかと考える。
この男の申し出を突っぱねることは簡単だ。
泊まるところは……多少手間はかかるだろうが街を歩き回れば見つかるだろう。
一般人あるいは観光客ならば、それで問題ない。
しかし、オレ達にとっての『宿』は生活拠点だけではなく仕事の斡旋所も兼ねている。
よってただ泊まれるだけでは五十点。
自分たちに見合った仕事、それもできるだけ筋のいい仕事を回してもらえて初めて合格点。
残念ながら、この街どころか南海諸島全体に土地勘がないオレ達にとっては、
飛び込みで宿に入っても当たりを引く可能性は低かろう。
どうするにゃ?
無言でクロが問うてくる。
その輝く瞳を見れば、迷う……ことはなかった。
「せっかくだから、案内してもらおうかな」
「そう来なくっちゃ!」
我が意を得たりと喜ぶ男は、しかしふと真顔になってオレに疑問を投げかける。
「ずいぶんあっさり決めてくれちゃったけど、オレが怪しいとは思わなかったのかい?」
自分で言うかと突っ込みたかったが……まあ、当然の疑問だ。
当然の疑問には当然の回答がある。
足元からクロを片手で持ち上げて、
「コイツはオレの知る限りとても頼りになる奴でな」
多少揉めても切り抜けることはそれほど難しくないのさ。
それに――
「それに?」
「オレに今までふざけたことを抜かしてきた奴は何人もいたけれど」
ほとんどの連中はすぐに大人しくなってくれた。
だから今回も大丈夫って思ったってわけ。
そう解説すると、何を思ったかニヤニヤ笑みを浮かべる男。
何かしらスケベ心が刺激されたのだろうか?
ギルマンと人間の間にそういう感情が浮かぶかどうかは置いといて。
「参考に聞くけど、大人しくしない奴らはどうなったんだい?」
「この世から消えたよ」
即答。
表情を消して、ただ淡々と事実を語る。
「へ、へぇ……そうかい……」
間近でなくともわかるほど大きなつばを飲み込む音。
鱗に覆われた赤い顔が、心なしか青ざめてしまったようで。
「さ、早いとこ案内してくれないか」
オレ達は長い船旅で疲れてるんだ。
今後のことを考える前に、まずはゆっくりと休みたい。
「お、おう。着いてきてくれ」
こちらを振り向くことなく街に向かう男。
「……脅かし過ぎじゃないかにゃ?」
「そうか?」
ワザとらしくため息をつくクロ。
その何か言いたげな視線を無言で受けて、男が歩きだした方向に軽く放り投げると、
小柄の相棒は空中でくるりと回転して着地。周囲から沸き起こる拍手。
「ほら行くにゃ」
「はいよ」
☆
街の大通りは行きかう人も多く、しかし男は足を止めることなく進んでゆく。
おかげで荷物が重いこちらが少々速足で追いかける破目になり、
それでも何とか見失うことなく初めての街を歩く事ができている。
と、いきなり前を行く男が振り向き手招きしてくる。
「宿についたのか?」
男は首を横に振り、そうじゃねぇんだがと続ける。
辺りを見回してから、とある店を指して、
「ああ、すまねぇがえっと……おう、あそこに入ろう」
見れば店内で食事ができる軽食屋のよう。
「オレ達早いとこ――」
「わーかってるって」
別に奢ってほしいわけでもないから大丈夫だ。
何なら茶ぐらいご馳走してもいい。
口を動かしながらも、男は何だか急いでいる様子で。
「じゃあ、なんだ?」
首をひねった矢先、鼻に水滴。
「え?」
見上げた空は、快晴。
しかし落下する水滴はポツポツと――次第に勢いを増してゆく。
それが雨だと気付いたころには服も湿り気を帯びていて、
「雨宿りかよ」
「だから急げって言ったのに」
いつの間にか店の軒先に移動していた男がため息をつく。
慌てて男の傍に移動するも、さすがにこんなところを占領するわけにもいかず、
なし崩し的に店へ入ることに。
店内からの視線に耐えきれなかったとも言う。
「それにしてもおかしな雨だな」
いらっしゃいの掛け声とともに差し出された布で水気を拭いながら呟くと、
「そうかい?」
「雨雲なんて全然なかったのに、いきなり降ってくるなんて」
通り雨かな?
陽光とともに大通りに降り注ぐ雨を眺めながらポツリとこぼすと、
「ああ、そういや大陸人だったなあ、アンタら」
納得したようにギルマン男は腕を組んで何度もうなずく。
「大陸じゃあ、雨の前に黒い雲が出るんだって?」
「は?」
「雨雲って奴だろ。知ってるぜ」
うんうんと何かに納得したように語る男。
……何だろう、話が噛み合っていない。
「何言ってんだアンタ?」
「ここじゃそんな雲は出ないぜ」
雨ってのは毎日何回かに分けていきなり降ってくるもんだ、と。
慣れれば肌の感覚でわかるようになるんだぜ。
ギルマン男はなぜか得意げに胸を張った。
「な、なんだって~!?」
「にゃ、にゃんと~!?」
雨雲がない国、南海諸島。
いきなりのカルチャーショック!




