第37話 第1章エピローグ
アールスを襲った災禍が街を去って数日後。
ひとときの平穏を取り戻した『緑の小鹿亭』の軒先で。
でかい図体をした魔物が二体、周囲の好機と畏怖の視線をものともせず、
大皿に盛られた飯を一心に喰らっていた。
とある少女の目の前で。
あの日、この宿を護るように命じたヘルハウンドと、
いつの間にか広場からここに移動していたグリフォン。
「バウッ、バウッ、ワフ~~~~~ッ」
「クエ、クエ~~~~~」
嬉しそうに尻尾を振り振りしながら飯の山に頭を突っ込む魔物たち。
召喚者であるオレはここにいて、『緑の小鹿亭』のパメラが皿の前にいる。
――八歳の少女に餌付けされているという現実ッ!
「こんな時、どんな顔をすればいいかわからないんだ」
「怒ればいいんじゃないかニャ?」
額に手を当てて空を仰ぐオレ。
とっとと追い返すにゃ、とクロ。
「おねえちゃん?」
犬さんも、鳥さんも帰っちゃうの?
無垢な瞳を向けてくるパメラの頭を軽く撫でてひと言。
「いいか、パメラ。パメラはお父さんにお使いを頼まれたら、ちゃんと自分の家に帰ってくるだろう?」
だから、コイツらも用が済んだら帰らなきゃならないんだ。
召喚術のアレコレは抜いて、できるだけわかりやすい事例を挙げる。
「うん! パメラ、ちゃんと帰ってくるよ!」
「だろ」
よし、説得に成功した。
そう思った矢先に、
「ガウ、ウウウ~~~~~、ガフッ!!」
「キェエエエエ~~~~~~!」
まるでこちらの言葉を理解したかのように殺気立つ二頭の魔物。
……なぜそんな敵対的な視線を向けるのかね、君たち。
特にヘルハウンド、お前初めてオレに襲いかかったときよりも酷いよ。
「嫌がってるよ?」
「それでも、おうちで待ってる人がいるだろう?」
魔物だけどな。
オレの言葉に深く俯くパメラ。
そして、
「またね、バイバイ」
二頭の魔物に可愛らしく手を振る。
「キャイン、クゥ~ン」
「クェエエ」
敗北を悟り未練がましそうに泣き声を上げる魔物たち。
ふふふ……オレ、コイツらの契約者なんだぜ。
悲しいけど、これ、現実なのよね。
「……この馬鹿ども、いい加減さっさと帰れッ!」
抜き出した『証』をかざして叫ぶと、
ひと際悲しげな声を残して、二頭の巨体は姿を消した。皿ごと。
振り向くと、なんとも言い難い顔をしたおやっさん。
「え~っと、そのお見苦しいものをお目にかけまして」
「ああ、その、なんだ」
苦労してるな。
ねぎらいの言葉に涙が出そうになる。
世間一般の召喚術士のイメージを一人でぶち壊してる気分になる。
でも、言うべきことは言っとかないとな。
おやっさんに近づいて小声で、
「パメラには、魔物は恐ろしい存在だということをちゃんと教えた方がいいと思う」
――パメラは魔物に愛されている。
あれこそ、天性の才能というのだろう。
『万象の書』がなくとも種族の垣根を超えて寄り添うことができる力。
特殊な能力ではない。魔術でもない。
本人の心の在り方の問題なのだろう。
それはとても尊い事ではあるのだけれど、
ごく普通の人間から見れば異端に他ならない。
そして人間は異端を排除することで秩序を守る生き物である。
付け加えるならば、この才能は必ずしも幸福を導くとは言えない。
「任せておけ」
差し出された手を握り返す。
ごつごつした毛むくじゃらの大きな手。
初めてこの街を訪れた頃のことを思い出させる。
五年前の自分。
召喚術という力に溺れ、
家を捨て、国を捨てて自由を求めて旅に出て。
現実を知り、挫折に塗れた二年。
召喚術という奴はとかく衆目を引く。
ついでに言えば、オレの年齢、性別、外見の全てが人目につく。
深窓の姫君として褒め称えられていた頃は誇らしく思っていた容姿が仇となり、
召喚術に頼るほどに追っ手を招く悪循環。
しかし召喚術を封じたオレは、年相応の平凡な魔術士に過ぎなくて。
この無法と冒険の世は、ボンクラが生きるにはあまりに厳しかった。
病を受けても治す薬もなく、その日の食にも事欠く有様で。
身の程知らずの愚かなオレの命もここまでかと嘆いたあの日。
天に伸ばした折れそうなほどに細くて軽いこの腕を掴んで、『緑の小鹿亭』に連れ込んでくれた大きな手。
身元も定かでない浮浪児同然だったオレから金もとらずに、飯を与え部屋を貸してくれた。
あの日の暖かいシチューの味を生涯忘れないだろう。
「もう行くのか?」
「ああ、これでも賞金がかかってる身なんで」
ひとり長々と感傷に浸っている暇はない。
アールスの街は聖王国の辺境なだけに、
さすがに帝国の連中がやってくるまでには時間がかかる。
とはいえ安穏としている場合ではない。
状況を鑑みれば仕方がなかったとはいえ、
クライトスから奪い取る形になった翠竜エオルディアは、
奴の家にとってみれば家宝も同然、
聖王国としても重要な戦力であったはずだ。
それを掻っ攫ったオレを放置するということはないだろう。
リデルのことについては、何も言わなかった。
ただでさえこれから苦労するであろうおやっさんに、
これ以上負担を掛けたくなかったから。
「そうか……寂しくなるな」
「そうか? パメラが大きくなったらそんなこと言ってられなくなるぞ」
子供が大きくなるなんてあっという間だ、と。
「そうか……そうだな」
「ご主人、そろそろ」
おう、とクロに応えて背嚢を担ぎ、
オンボロもとい趣のある『緑の小鹿亭』を見上げる。
ゴブリンに襲われボロボロになった壁には、
応急措置として適当に板が打ち付けられ、
もはや廃屋一歩手前の状態だ。
宿泊していた客も、あの災禍で幾人かその数を減らした。
幸いおやっさんたちは命を拾う事ができたけれども、これから大丈夫なのだろうか?
おやっさんたちのことだけではない。
気になることは山ほどある。
あの日を境に顔を合わせていないアニタやライル達の安否。
そして――
「ポラリス」
「……何だよ、おやっさん」
「誰が何と言おうとも、お前はオレ達一家の命の恩人だ。胸を張れ!」
そう言って背中を押し叩く大きな掌。
衝撃にたたらを踏んでバランスを崩し、
思わず振り返ったところで、頭に重み。
慣れ親しんだ大きな手がフード越しに頭を撫でてくる。
「ああ……ああ……」
わかっている。
あのドラゴンと戦ったあと。
オレは全ての住民から感謝されたわけではない。
『もっと早くできなかったのか。もっと上手くできなかったのか』
そう非難する声もまた、決して小さくはないのだということを。
――できるもんならやっている。精一杯やったんだよ。仕方ないだろ!
言い返せるものなら言い返してやりたかった。
でも、街の惨状と失われた命を目の当たりにすれば、口を噤むほかなかった。
だが、おやっさんは言う。
胸を張れ、と。
その言葉が嬉しくて、声が湿り、視界がにじむ。
「おやっさん……オレ……」
「行ってこい。そして――」
たまには顔を出せ。ウチの自慢の常連だからな。
そう笑いかける顔に一切の曇りなく。
――別れは、笑顔だ。
滲む涙を洗いたての服の袖で拭って。
おやっさんの言葉のとおり、精一杯胸を張って前を向く。
「ああ、行ってきます!」
「ご主人のことはお任せニャ」などと生意気なことを言うクロの後頭部を軽く蹴り、
慣れ親しんだ宿に片手を掲げて一歩、また一歩と足を踏み出す。
歩き始めれば、あれほど重かった足取りは軽やかに。
前へ、ただひたすらに前へ。
ふと、風が吹いた。
柔らかい風が。
フードから零れる桃色の髪を撫でて舞い上げる。
見えないはずの風の行方を示す桃色の道を見上げれば、青空に陽光が差し込んで。
空には雲一つなく、まるでオレ達の旅路を祝福するよう。
――旅に出るには良い日だ。
巣を飛び立つ雛鳥のように。
はるか彼方を目指して飛ぶ渡り鳥のように。
これにて第1章は完結となります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
書き始めた当初はここまで来れるとは思ってなかったので感無量です。
第2章については、1月1日の活動報告に記載したとおり、
現在執筆中……執筆中です!
一応1月中に再開予定……できたらいいな?
ごゆるりとお待ちいただけたら幸いです。




