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ワケあり召喚術士、まかりとおる!  作者: 鈴木えんぺら
第1章 辺境の召喚術士
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第36話 契約

 酸素不足で意識は朦朧。鈍い痛みが頭を締め付ける。

 視界は闇に飲まれたまま、何かに身体を掴まれた感触。

 しばらくそのままふわふわして、不意にどさっと硬い地面に投げ出された。


「あだっ」


 何度も咳き込み、胸に手を当てて大きく息を吸い、そして吐く。

 空気を吸い込むたびに、煙や巻き上がった砂を巻き込み、何度も何度も吐きそうになる。

 それでも、何度も深呼吸を繰り返していくうちに、


「ゴホッ……生き……てる?」


 あまりの不快感に、自分の生を実感する。

 大空に投げ出されたはずの身体が、五体満足で地上に戻ってきた。

 ……奇跡か。


「ご~しゅ~じ~ん!!」


 先ほど空で別れたクロが、とととと……っと駆け込んできて、胸で受ける。

 何となく手持無沙汰な右手を、その泣きじゃくる黒い頭において撫でてやり、


「クロ、お前も無事だったか」


 何とかそれだけを口にしたけれども、一体何が起こったのか理解できない。

 と――


『……意識はあるようだな。召喚術士よ』


 陽光を遮る大きな影。脳裏に直接響く竜の低い声。

 見上げればすぐそこに、エメラルドに包まれた竜の鼻先。

 堅牢な鱗に守られた双眸は、無遠慮にこちらをじろじろと眺めまわしている。


「な、てめぇは」


 瞬間、何も武器がないことに気付かされ、

 それでも思わず拳を握り込み――


「ご主人、ご主人」


 急いで立ち上がろうとするところをクロに止められる。


「こちらの竜のご仁が、空に投げ出されたご主人を拾ってくれたんだニャ!」


「なんだって!?」


 その言葉に驚いてエオルディアの巨体に目をやると、

 大きくもたげられた鎌首の先、エメラルドの鱗に守られた瞳と視線が交わる。


「ありがとう、と言うべきなんだろうが……何で助けた?」


 オレの問いに、竜はしばし瞑目し、


『……懐かしいモノを見た』


「は?」


『……忘れよ』


 翠竜は首を振って遥か彼方、ここでないどこかを見つめ、


「さっきなんか言ってなかったか?」


『……忘れよと言ったぞ』


 そんなに理由が欲しいのならば、

 先ほどのお前のように身体が勝手に動いたのだと。

 つまり無意識ということにしておけ。

 エオルディアは、そう続けた。


「それを信じろってのか?」


『そうは言わぬ』


 先ほどまでの荒れ狂った怒りをどこへやったのか、

 巨大な翠竜は平静を取り戻したようだった。


「……まあいいや、助かったよ。ありがとう」


『うむ……』


 自分でも自分の行動に納得がいかないのか、エオルディアは釈然としない答えを返す。

 しばしの沈黙、そして――

 

『汝は……何故に我が力を求める?』


 周囲を無視してこちらだけを凝視しつつ、

 唐突にもたらされる竜の問い。


「お前の力って……別に欲しくねーけど?」


 あれ、言ってなかったっけ?

 つい正直に答えてしまったが、

 それを耳にしたエオルディアの巨体が、

 目の前で小刻みに震えている。


『……ならば、何故束縛の術を用いたのだッ!?』


 ギラギラ輝く牙の間から零れる低い声に、若干の怒りが籠る。


「そりゃお前が暴れるからじゃねぇか」


 会話より先に炎が飛んでくる中で、

 合意がどうとか言ってる場合じゃなかったろーが。

 周り見ろよと促すと、

 エオルディアはその首を巡らして焼け野原となった広場を目撃し、

『ううむ』などと唸りを上げた。


『……我は無用な闘争は好まぬ』


「そうかよ」


 いったいこの景色を見て、どうやってその言葉を信じろというのか。

 そんな暢気な奴がいたら、ぜひお目にかかりたいものだ。


『我は平穏を求めている』


「わかった、わーかったって」


 念押ししつこいなあ。

 コイツちょっとめんどくさい奴なのか?


『古き民が地上を去っていくらかの時が流れたようだが……おそらく今の世に我が力は過ぎたるものであろう』


「……だろうな」


 エオルディアの言葉に同意する。

 神代やら古王朝の時代ならともかく、

 今の世の中で本当にドラゴンの力が求められるほどの事態など、そうそう発生することはない。

 しかし、エオルディア自身の意見は異なるようだ。


『それでも……小さき者、中でも召喚術士は我が力を渇望するであろう』


 無言でうなずく。

 人間、特に召喚術士は強大な力を持つモノに魅かれる。

 そして、手に入れた力を振るうという魅力に逆らえる奴はそうはいない。

 耳に痛い、身に覚えのある話だ。


 そこまで語り、エメラルドのドラゴンは大きく息を吐く。

 風圧がこちらの顔に当たり、桃色の髪が乱れ舞う。

 しばらくの沈黙の後――


『我は……汝の意を汲み、その魂の内で眠りについてもよい』


「え、マジで?」


 随分と一気に話が飛んだ。

 というか、ついさっきまで正反対の話をしていたような。


『しかし……我は汝を、いや人間を信用することができぬ』


「そうか……」


『ゆえに、汝が我を封ずるというのであれば、引き換えに我が呪縛を施す』


 盟約を破れば、たちどころに契約者の命を食い破る竜の呪いを。

 その呪いをもって不足する信用を補填し、

 オレの魂の中で眠りについてもよいと翠の巨竜は唸る。


「竜の呪い……か……」


『選ぶのは汝だ』


 正面から選択を迫るドラゴンの視線を逃れ、

 振り向いた背後に広がる炎と、瓦礫のアールスと、こちらを見守る人々を見やる。

 時間がない。失われようとしている命、救えるものならば救いたい。


「わかった。やってくれ」


 後で何があるかはわからない。

 ただ、今この瞬間に小賢しい駆け引きは不要。

 このことが原因で何か揉め事が発生したら、そのとき改めて解決すればいい。

 明日は明日の風が吹くのだから。


『フン、寸刻の怯懦すらなしか』


 これは筋金入りの召喚術士だ。

 褒めているのかバカにしているのか判断しがたい声色は、

 先ほどまでの憎悪と怒りに塗れたものではなく。


『我が呪いはか弱き命に受け止めきれるものではない。しかし見事その痛苦に耐えきることが叶うならば』


 汝の旅の一助となることもあろう、と。


「は? なんだって!?」


 待て、その話はおかしい。

 呪いは担保の代わりじゃなかったのか?

 契約不履行で死ぬのは仕方ないにしても、

 呪われるだけで死ぬかもしれないとか話が違いすぎる。

 死んだら担保にならねーだろうが!


『では行くぞ、若き召喚術士よ』


「おい、ちょっと待て。てめぇ、人の話を聞きやがれ!」


 オレの叫びを聞いているのかいないのか、竜の双眸が一際眩しく輝き、

 次の瞬間、オレの左半身、肩から胸のあたりで鋭い痛みと高熱が爆発する。

 堪らずその場に蹲り、胸を抱きかかえたままのたうち回る。


――熱い、痛い、死ぬ。これは、死ぬ。


「あ……がッ……あつ……やめ……ロ……」


 不可視の炎が胸を焼く。

 不可視の牙が身体を貫く。

 猛毒あるいは溶岩のように、

 見えない何かがオレを灼く。


 一瞬とも永遠とも思える拷問じみた痛みに身を焼き、

 何度も何度も意識をすり潰される。

 その痛苦の彼方――終焉は唐突に訪れて。


『……完了した』


「ハアッ……はあ……はあ?」


 ドラゴンの鼻息を地面に倒れたまま背中で受けて、

 胸の痛みが引いていることにようやく気付く。

 服を破いて痛みを放っていたあたりを晒してみれば、

 いまだ微妙なふくらみを頂く白い肌に、

 複雑に絡み合った竜の頭のような赤い痣が薄く浮かび上がっていた。

 その大きく開かれた口腔は身体の中央――心臓のありか――に向けられていて、

 契約を反故にすれば、たちどころに胸を食い破るという意思が感じられる。


『フン、幼くとも召喚術士か。よくも耐えたものだ』


 などとエオルディア自身はいけしゃあしゃあと抜かしやがる。


「てめ、この野郎」


『さあ、さっさと『証』を掲げよ』


「う……む……うぐ」


 言ってやりたいことは山ほどあるが、機嫌を損ねたらここまでの苦労が水の泡。

 今この機会をそんなことで逃したとあっては、何もかもが台無しである。

 震える足腰を叱咤しつつ立ち上がり、

『万象の書』から無地の『証』を引き抜いて、竜の鼻先に突き付ける。


「じゃあ、行くぞ」


『うむ』


「万象の繰り手たる我ステラ=アルハザートが乞い願う。汝の身体を、汝の命を、汝が魂を、我に貸し与えたまえ」

 

 震える手で掲げられた『証』から、オレの声に応えるように白い光が放たれる。

 それは先ほどのような攻撃的で支配的な輝きではなく、暖かく柔らかい輝きで。

 互いに合意の上で結ばれる契約であるから、身体の負担も魔力の消費も殆どない。


「応えよう。我が身体、我が命、我が魂は汝とともに」


 翠竜エオルディアの声もまた一時の暴威を収めたもので。

 柔らかい光はそのままゆっくりと輝きを増し、翠色の巨体を覆いつくしてゆく。


『……ここに契約は結ばれた。ときが訪れるまで汝の中で眠りつくとしよう』


 一言残してエオルディアの巨体が光の粒子となり、オレの中に吸い込まれる。

 激しく明滅する視界で最後のひとかけらを見送ってから、身体を大きく地に横たえる。


「ご、ご主人!?」


「悪い、あとよろしく」


 もう限界。

 傍に控えていたクロの方を向くこともできず、

 全身が訴える痛みと、心地よい達成感がないまぜになったまま、

 ギリギリまで耐えていた意識がプツン、と途切れて消えた。

次回「第1章エピローグ」です。

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