第31話 対決、伝承の魔物 その2
アニタが考案した作戦は、それほど複雑なわけではなかった。
この広場に集まっている戦力を大きく三つに分ける。
一つは、斥候を中心とした機動力の高いチーム。
彼らには広場を大きく迂回して『金竜亭』跡地に向かい、クライトス救出に当たってもらう。
奴にドラゴンをひっこめてもらうのが一番の解決策なのだから。
次に、この場に集まってきた他の連中。
斥候組がクライトスに接触しやすくなるようドラゴンの気を引きつつ、
同時に少しずつでもダメージを与えておく。
そして最後にオレ。
街に残されている魔力回復薬を飲んで待機。
クライトスが救出されて竜を収めることができれば、それでよし。
失敗した場合は、他の連中の手によって傷ついたドラゴンの制御を奪い鎮圧する。
非戦闘員は、戦闘の邪魔にならないよう住民の避難誘導に当たる。
言ってみれば、それぞれが『できることをやる』というだけのものである。
……それ以上のことをやれと言われても困ってしまうのだけれど。
★
「え、ポラリスは不満あるの、今の作戦?」
意外そうなシャリの声こそが意外だった。
「だって、相手はドラゴンだぞ。まともに戦ってどうにかなる相手じゃない」
これから敵対することになる相手は、地上最強の種族とも称されるドラゴン。
アールス周辺は強力な魔物が出現する領域ではあるが、あいつは別格の存在だ。
そんな化け物と戦うだとか、傍をすり抜けて召喚術士のもとに向かうだとか、
どれもこれも自殺行為としか言いようがない。
「これは召喚術士の戦いだ。他の奴らは」
リデルから始まりクライトスがやらかした結果がこの惨状。
命を賭けるべきは、同じ召喚術士のオレのはず。
「いいえ違うわ。これはこの街の戦いよ」
オレの言葉を遮るアニタ。
その声は震えていたけれど、語気は強い。
「でも!」
――戦わないお前が、それを言うのか!
喉まで出かかった言葉を辛うじて飲み込む。
「あなたの言いたいことは分かってるつもり」
戦う力のない自分がみなを死地に誘う。
こんな作戦、まともじゃない。
でも、ここにいる誰もが賛同してる。
彼らには、それぞれに戦う理由があるから。
そこをはき違えないで欲しい、とアニタは言う。
「……じゃあ、何のために戦うんだよ」
そんなことも分からないのか、と盛大にため息をつくアニタ。
わからずやの妹を諭すような、穏やかな表情に切り替えて言葉を続ける。
「自分のためよ」
「自分って……」
あまりにもあっさりした答えに絶句。
「そう、自分」
アニタは言う。
この作戦は、現状最も生存率の高い作戦。
誰かは死ぬかもしれないが、それでもオレ一人を戦わせるよりはマシ。
オレだけがドラゴンに挑んで失敗したら、奴を止めることができなくなる。
それは即ちこの街の消滅であり、生きとし生けるものの死である。
一人や二人の召喚術士に全てを任せて神に祈りを捧げるより、
たとえ運のいい奴だけしか助からないにしても、
自分も参加して絶望の運命を切り拓く作戦があるなら、
これに乗らない手はない。
この場にいるメンバーではドラゴンに止めを刺すことはできない。
召喚術士であるオレかクライトスが勝利の鍵になることは決定事項。
だからこの二人のために全員が力を尽くすのだ、と。
それが結果として自分自身のためになるから。
「命を賭けるのは、みんな同じよ」
賭けるのならば、最も有効な作戦に。
理屈はわかる。わかるけれども――
「ご主人」
背中のクロが服の裾を引っ張ってくる。
「あんだよ」
クロに向かって振り返ったその向こう、
この戦場に集まってきた連中の一人が口を開く。
「おう、お嬢ちゃん。随分いろいろくっちゃべってくれるが」
この話はアニタのお嬢の方が正しいわな。
髭もじゃの男が大口を開けて笑う。
「でも、アンタらが戦う理由なんて」
命を捨てる理由、とは言えなかった。
「ケッ、相手がドラゴンだから尻尾を巻いて逃げろってか?」
「そんなことは言っていない!」
アニタの作戦は確かに現状取りうる中では最も勝率の高いものだろう。
しかし、賭けるものは、命。
たった一つしかない、一番大切なものを捧げさせる。
そんな無謀な賭けに何故躊躇いもなく乗ろうとするのか、それがわからない。
「俺らはなぁ、おめぇさんよかず~っと前からこの街暮らしよ」
男が振り返ると、その場にいた連中が一様に首を縦に振った。
オレを含めここにいる奴らは、生まれも育ちも多種多様に見えるけれど、実は共通点がある。
オレ達は、みんな故郷を捨てている。
それはつまり、帰るべきところがないということ。
「十年、いやもうすぐ二十年か」
そんだけ住んでるとな、この街の住民になっちまったような気分になるわけよ。
制度上はただの流民扱いであろうとも。
普段は街の人間に厄介者扱いされていても、自分の心がそう言っている、と。
「だからよ、俺らの街を荒らす奴が許せんわけだ」
彼らにとって、ここは旅の果てに見出した第二の故郷ということか。
自分で見つけた守るべきもの。帰るべきところ。
だから、戦う。
守るために、戦う。
「勘違いすんな。お嬢ちゃんが俺たちを使うんじゃねぇ。俺たちがお嬢ちゃんを使うのさ」
自分たちだけでは決め手に欠けていることくらい、歴戦の猛者なら一目瞭然。
少しでも勝ち目を上げる手があるのなら、よそ者でも、ガキでも、召喚術士でも使う。
それだけの話だ、と。
「ご主人は」
「ん?」
「ご主人は何で戦うんだニャ?」
クロの問いに『だってオレは召喚術士だから』と言いかけて遮られる。
「召喚術士だったら戦わなきゃならないっておかしいにゃ」
別に自分がしでかした揉め事の対応でもなし、
相手がドラゴンなら普通は逃げるにゃ。
「それは……」
クロへの返答に詰まったその時、脳裏によぎるリデルの声。
『本当に大切なたった一つのものを手に入れるために、他の全てを平気で捨てることができる』
「オレは……こんなところで死にたくはない。でも――」
街を見捨てて逃げることはできない。
――オレはリデルとは違う。
召喚術士としての誇りが許さないからか?
――わからない。
あえて言うならば、言葉にならない熱い想いが胸の中で燃えていて、身体を突き動かしている。
その源を突き詰めれば……そこにあるのはパメラの笑顔であり、おやっさんの、アニタの、街のみんなの顔。
――そうか、オレも同じか。
アールスにやってきて三年ほど。
いつの間にか、オレにとってこの街は命を賭けて護るに足るほどの大きな存在になっていたのだ。
おそらく、ここに集まっている他の連中と同じように。
「……どうなのかにゃ?」
「オレは……この街を護りたい」
思いのままに口から零れた言葉を受けて、
にゃ、とクロが頷く。
「みんな同じにゃ!」
「……ああ、そうだな、すまん。なんか勘違いしてた」
頭の中に渦巻いていた黒い煙がふっと晴れたような感覚。
誰だって普通であり特別でもある。
自分もまた、その一人に過ぎない。
召喚術士として生まれ落ちたその時から付きまとう、
『自分は他の連中とは違うのだ』という特別な自意識は、しばしばオレの目と頭を曇らせる。
今もまたクロに諭されなければ、かつてと同じ失敗を繰り返していただろう。
「ありがとな」
クロの頭をなでてやると、
「なんの事かニャ」
と笑う。
胸の中に巣食っていたわだかまりが消えると、
今度は別の問題に頭が支配される。
この作戦におけるオレの責任は重大だ。
あの翠竜エオルディアに対する人間側の切り札。
ほかの連中がどれだけ善戦しても、オレがミスれば負け。
――グッ……
そこまで思い至って、全身に不可視の重力を感じる。
ドラゴンが放つモノとは全く異なるプレッシャー。
自分の腕に、この街の全ての命の未来がかかっているという事実。
切り札を切るためには、あらかじめ場を整えておかなければならない。
それはほかの連中を信じて任す。
オレが動くべき機会は、最も勝率の高くなる瞬間ただ一度きり。
一度しくじれば、あのドラゴンに二度目は通用しないだろう。
――できるのか、オレに?
自問する。わからない。
生まれてこの方、あんな途轍もない魔物と出会ったことがない。
戦ったこともなければ、召喚術を試みたこともない。
――できるのか、じゃねぇ!
自答する。やるんだ。
みんなが命を賭けて挑むのならば、オレ自身も命を賭ける。
失敗は許されない。
どこの誰が許そうとも、オレ自身が許さない。
絶対に――成功させる!
両手で己の頬を張り気合を入れなおす。
シャッキリしろ、オレ!
「みんな、準備はいいわね」
アニタが叫ぶ。
こちらが逡巡している間に編成を終えている。
戦う力がなくったって、オレなんかより状況に対応できている。
「おう!」
その場にいた誰もが、腹の底から声を張り上げ、
彼方に鎮座する翠の巨体を睨み付ける。
ドラゴン。
伝承の魔物、翠竜エオルディア。
アニタ指揮の元、アールス市民代表(自称)対伝承の魔物の決戦が始まる。




