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ワケあり召喚術士、まかりとおる!  作者: 鈴木えんぺら
第1章 辺境の召喚術士
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第20話 南街道にて その4


 轟音とともに森の奥から飛び出してきたのは一匹の獣。

 その象徴たる一対の牙は、見るも無残にひび割れて、

 全身を覆う毛皮は火傷と擦り傷だらけで痛々しい惨状を呈している。


「さ、サーベルタイガー!?」


 乱入者に驚き声を上げるライル。

 驚くのも無理はない。サーベルタイガーは十分に強力な魔物だ。

 ……だが、本命はコイツではない。


 森の奥から近づいてくる、木々がなぎ倒される生々しい音。

 ドスンドスンと大地が上下に揺れる振動。

 緑の狭間から微かに漏れる、赤い残光。


――ま、まさか……


『ありえない』という思いと、『コイツ以外にあり得ない』という思いが入り混じって、

 混乱する思考に飲み込まれそうになりながら、

 辛うじて足を踏んばり馬車の縁を手で支えて体勢を整える。


 瞬間、ひときわ凄まじい爆裂音――魂まで砕かれそうな根源的恐怖を呼び起こすその音が、とある魔物の『声』であると後で気付かされた――が一帯に響き渡る。


 そして現れる、圧倒的巨体の持ち主。


 その『絶望』は翠色に輝く鱗に覆われていた。

 その『絶望』は大きすぎるほどに大きな翼を広げていた。

 その『絶望』は鋭すぎる爪を大地に突き立てていた。

 その『絶望』は大きな牙を幾つも生やした、馬車すら丸飲みにできそうな口を広げており、その奥には輝く赤い煌めきを持っていた。

 

 オレ達は、その『絶望』の名を知っている。


 伝説で。

 物語で。

 詩人の歌で。


 オレ達は、その絶望に夢を見る。

 いつかはこの手でその首を、と。

 あり得ない夢想だ。

 実物を見たことがないものだけが語ることができる戯言の類。


 その『絶望』の名は――ドラゴン。

 数多ある魔物たちの中でも頂点に位置するとされる最強の種族。

 


 ☆



「な、なんで、こんなところにドラゴンが……」


 となりでライルが絶句している。

 チラリと見ればその顔面は蒼白で、

 食いしばろうとしている歯は、しかし噛み合わずカチカチと音を鳴らす。

 咆哮に心揺さぶられた後にこの威容を見せつけられては無理もない。

 

「ライル、落ち着け」


「ポラリス、君は……大丈夫なのか?」


 震えを押さえる事ができないライルの声。


――大丈夫なわけないだろ!


 叫び出したくなるところを堪えて、


「……あれを見ろ」


「あれ?」


 オレが杖を指した方には、ドラゴンよりも先に現れた満身創痍のサーベルタイガー。

 今もなおオレ達など完全に無視してドラゴンと向き合っている。

 ただ、その姿はもはや虚勢を張っているようにしか見えないが。

 

「サーベルタイガーが、あのドラゴンと戦っている?」


 ライルの言葉は、しかし完全には正しくない。

 サーベルタイガーは、主に大陸全土の森林地帯でお目にかかる獰猛な魔物。

 巨体に似合わず機動力を売りとする肉食獣であり、鍛え上げられた刀剣を思わせる一対の牙もまた飾りではない。

 歴戦の猛者でもない限り好き好んで戦おうなんてことは考えない、そういう強豪の一角である。

 だが、そのサーベルタイガーにしても、自らドラゴンと戦うなどという無謀に走ることはない。


 ドラゴンとは、伝説や神話に片足を突っ込んだ規格外の生命体。

 見た目は羽根の生えたトカゲだが、恵まれ過ぎた体躯に、

 人間やエルフなんぞよりもはるかに高い知性と魔力を併せ持ち、

 しかも大空を舞う反則級の生き物である。

 あれと戦おうなんて考えるのは、たとえ人間であろうと魔物であろうと、

 頭のおかしい連中しかいない。あるいは何も知らない大馬鹿くらいか。

 野生の直感に優れた魔獣なら、ドラゴンが接近してきたと気付いた瞬間にはもう逃走を始めるもの。

 

 ついでに言うと、それだけぶっ飛んだ存在であるドラゴン側にしてみても、

 わざわざサーベルタイガーなんかと戦う理由はない。

 万が一戦うことがあったとしても、空を飛べるドラゴンがサーベルタイガーと同じ土俵で戦う必要はないし、

 仮に地面に降り立ったとしても、牙なり爪なり炎なりを振るってやれば、あっという間にブチ殺せる。

 にも拘らず、サーベルタイガーはまだ生きている。


 あのドラゴンはわざわざサーベルタイガーを殺さない程度に追い詰めている。

 その状況が意味するところ、それは――


「……違う。あのドラゴンはサーベルタイガーと戦わされているんだ」


「戦わされている……?」


 ライルの声が遠い。

 翠色に美しく輝いているドラゴンは、しかしその身を禍々しくも赤い光の鎖につながれていて、

 その雷光にも似た縛鎖は、おそらくこの中ではオレにしか見ることができない。

 ドラゴンの巨体がほんの僅かに身じろぎするだけで、猛烈な勢いでその身体が赤によって締め付けられている。

 その証拠に、声を出さなくとも襲い来る猛烈な激情の嵐――


 凄まじい屈辱。

 凄まじい殺気。

 凄まじい憎悪。

 そして、凄まじい絶望。


 おおよそ破滅的な感情を抑え込むことができず、

 しかし赤光の鎖に抵抗することもできず。

 ほんの僅かな抵抗として、微かに開いた口腔から低い咆哮を漏らすにとどまっている。


――これは、こいつは……


 思わず頭を抱え込む。

 ドラゴンの負の思念をまともに受けて頭が割れそうだ。

 

「ううッ……クソッ」


「大丈夫か、嬢ちゃん」


 頭痛の原因を勘違いした剣士の声に反応してサーベルタイガーが動く。


「アッ――!」


 それに合わせてドラゴンの口の奥に火が熾り、膨らみ――そして放出。


「ひ、ひぃぃい―――!!!」


 放たれた火球は、サーベルタイガーの鼻先をかすめ、馬車の手前に落下して炎上。

 凄まじい熱波と土煙が吹き荒れて全身を嘗め尽くす。

 御者と馬にはギリギリで当たりはしなかったが、彼らは腰が砕けてしまってい動けない。

 見る見る間におっさんの下履きが濡れていくけど、それをいちいち口にする気にもならない。


――炎の魔術なんかとは格が違う。直撃したら終わりだ。


 人間に限らず、魔物に限らず、だ。

 出鼻を押さえられたサーベルタイガーは、大きな身体を震わせている。

 人間にとっては危険物扱いの魔物すら、最後に残った反抗心をたったの一撃で砕かれて、

 もう降参するしかないと諦めて地に伏してしまっている。

 そして、肝心のドラゴンはというと、サーベルタイガーには目もくれず。


「こ、こっちを見てる……」


 シャリの声には力がこもっていない。

 

「え、エミリア、何とかなりそう?」


 ライルの問いに、無言で首を振るエミリア。


「坊主、これはもう、どうにもならん」


 歴戦の腕利きさえも匙を投げる。

 そしてクロはというと、横目でこちらに何かを訴えるような表情で。


――どうするのニャ?


 召喚術士なら何とかなるのではないか、と思っているのだろうか。

 オレ達は、今のところうまくやってきていたけれど、

 いまだにお互いの切り札を見せ合ってはいない。

 だからこそ、クロはオレがまだ何らかの打開策を持っていると期待している。


――確かに切り札を隠してる場合じゃない。でも……


 逡巡する。

 人前で召喚術は使わない。

 それは、ステラ=アルハザートというオレにとってのリスク回避の手段。

 だけど、今はもうそういう状況じゃない。

 手を打たなければ、死ぬ。

 リスクがどうとか言っていられるのは、生き残ってこそ。

 しかし、


――ない。アイツに勝てる手札が、ない。


 並の魔物ならどうにかなる。

 ダンジョンだってドンとこいだ。

 でも、あれはそういう次元じゃない。

 小細工なんて通じない。


 召喚術士ってのは、決して万能の存在なんかじゃないんだ。


「諦めない、諦めてたまるもんか。オレは、オレ達は――ッ」


 重圧に耐えきれなくなったライルの精神が臨界点を超える。

 暴発――


「よせライル、奴を刺激するな」


 せめて一太刀。

 男ならそう思うのだろうか。思うだろうな。

 腰の剣を抜いたライルの気持ちは理解できる。

 でも、それはあまりにも無謀。

 

――だから、止めなければならない。


 つばを飲み込み、射すくめられて凝固していた手を、

 ライルを制止するために伸ばしたその時、

  

「クックックッ……ハハハッ、アーハッハッハッ!!」


 その声は、東の森からやってきた。


――やっぱり、お前か。


 ……そんなことだろうとは思っていた。


 つい最近現れた『金竜亭』の最高級客室の住人。

 卒業試験がどうとか言っていた連中の一人。

 オレと同じ『万象の書』を持つ男。

 あの、召喚術士だ。



 ☆



「いいぞいいぞ、さすがは我が下僕。サーベルタイガーなんてどうということはない」


 耳障りな笑いとともに現れたのは、あのとき『金竜亭』でさらに案内されていた一行。

 若い召喚術士とその取り巻き達。


「さっすがクライトス。あのサーベルタイガーをいとも簡単に追い込むなんて」


 取り巻きの一人が感嘆の声をあげる。

 上機嫌なクライトスは大仰な素振りで両手を広げて宣言する。


「さあ、サーベルタイガーよ、おとなしく我が軍門に降るがいい」


 クライトスが『書』から一枚の『証』を抜き出してサーベルタイガーに掲げる。

 すると、『証』から一条の赤い光が差し、地面に伏せた魔獣の巨体を覆いつくす。

 傷だらけの森の魔獣は、もはやすべてを諦めたような濁った瞳でその光に身を任せている。


「あっ」


 声を発したのはシャリだったか、それともエミリアだったか。

 光が消えた後にはサーベルタイガーの姿はなく。


「フッ、ファ――――――ッハッハッハッ! 我が下僕たる翠竜エオルディアよ、ご苦労であった」


 更に抜き出した『証』から発する赤い輝きに包まれ、エオルディアと呼ばれたドラゴンも光の粒子となりクライトスの身体に吸い込まれていく。

 その巨体が完全に消え去り、さらに十分に時間を置いてから、わざとらしくこちらを振り向く。

 その一瞬、オレと目が合い笑顔をさらに大げさに歪める。ハッキリ言って顔芸一歩手前。


「フフフ、おや、どうした下民ども。この『魂に竜を刻む男』クライトス=レーヴェル直々に命を救われた心持ちは!」


 フッフッフ、ファ―――ッハッハッハッ!

 クライトス御一行が優越感に満ちた表情でこちらを見下してくる。

 こちらをぐるりと見まわしてみれば、馬は気を失ってるわ、御者は腰を抜かして漏らしてるわ、

 道には火球が直撃したあたりに大穴が開いてるわ、森の木々はなぎ倒されてるわで大参事なのだが。


「あ、いや、その、ありがとうございます。貴族様」


 それでも呆けたように感謝の意を述べる御者さん。

 ほかの連中は何とも言い難い表情を浮かべている。


 オレは、もう……限界……


「ご主人、ご主人!」


 クロの叫び声は遥かに遠く、

 

――翠竜エオルディアか……


 憎悪、殺意、絶望そして諦念。

 伝承の魔物が残した激情の波に飲み込まれるように、

 オレの意識もまた闇に落ちていく。

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