第18話 南街道にて その2
悲鳴が聞こえた地点に向かって駆け付け、近場の大木に身体を隠す。
その後、少しだけ身を乗り出して現場の状況を確認する。
一望したところ荷物を積んだ馬車が一台。
その周囲に展開する剣士が二人、神官とあとは……
「斥候。全部で四人か」
御者は馬車の中に隠れている様子。戦力には数えない。
そして、彼らの周りを取り囲むのは、
「多いにゃ……」
――ゴブリン。
先日リデルもであったと語っていた定番の魔物。
大人の腰ほどの背丈と不釣り合いに膨らんだ頭と腹。
灰色と緑色を混ぜ合わせた汚らしい色の肌。
得物はまちまちで、さびた剣やら石斧やら。
腰みのを纏っている奴もいれば、ナニをそのままぶら下げている奴もいる。
子供じみた知性と、抑制の効かない獣性。
単体の戦闘能力は決して高くはないけれど、
とにかく奴らはよく群れる。
一匹見れば十匹は居ると思えとよく言われてはいるが、
今、馬車の周りを取り囲んでいるその数は、ざっと見た限りでも三十以上。
バックアップを想定するとゴブリン側の総数は五十くらいいくかもしれない。
「これだけ多いとなると……居やがった」
群れの中でゴブリン種の特徴を備えながら、明らかに異なる個体が三匹。
棍棒を手にした、通常のゴブリンよりも二回りも三周りも大きな奴――ホブゴブリン――が二体。
ボロボロのローブを着込み、ねじくれた木の杖を掲げた奴――ゴブリンメイジ――が一体。
馬車の護衛の実力のほどは不明だけれど、戦いの基本は数だ。
一匹だけならザコのゴブリンも、上位個体三体を含む十倍以上の人数差で取り囲まれては、
不利であることは否めない。
――どうする。やれるのか、オレ?
いざ現地に到着し様子を見るに、想像以上に厳しい。
木陰に隠れて逡巡する間にも、ゴブリンたちの包囲網が縮まってゆく。
ゴクリと喉が鳴る。
「ご主人?」
クロの様子をちらりと見れば、先ほどまでのだらけた雰囲気は何処へやら、
大きな目はキラキラと光り、口は鞄のアップリケのように大きく横に引き裂かれている。
――やる気満々すぎるだろ!
「行けそうか?」
「たかがゴブリン、何匹来ようとキャッ闘流免許皆伝の吾輩の敵ではないニャ!」
堂々と胸を張る黒猫。初めてコイツと出会ったときのことを思い出す。
ヘルハウンドの巨体相手に一歩も引かず、むしろ軽くあしらっている感じさえあった。
今も、ゴブリン軍団との数的不利をものともしない勇ましさである。
腹は決まった。
「よし、行くぞ」
「応ニャ!」
加勢する。
そう決心して改めて馬車を見下ろす。
――せめて護衛の戦力がわかればなぁ。
人数=戦力と換算すれば戦力比は現在一対十だが、
護衛側の戦力は不明、ゴブリン側は特殊個体が三体。
何かヒントになりそうなものはないかと観察しているうちに状況が動く。
「キシャシャシャシャー!!」
「ギャッ!」
一行を取り巻いていたゴブリンのうち三匹が纏めて飛びかかり、
馬車を守っていた剣士が抜き身の刃で一薙ぎ。
三つの首が宙を舞い、少し遅れてゴブリンの断面から緑色の体液が吹き上がる。
――アイツ、やるな!
剣士としては特に訓練をしていない素人同然のオレでも分かるほどの実力。
ほかの三人が彼と同等の実力を持っているとすれば、この状況は見た目ほど不利ではない。
しかし、肝心の残りの連中の動きが鈍い。
「なんか浮足立ってる感じだが……新人か?」
期待との落差に思わず落胆の声。
まともに戦えるのが剣士一人だとすると、相手の魔術士をはじめとする上位個体が厄介だ。
「ギャシャーシャギギィ、ギギギ!」
ゴブリンメイジの奇怪な声とともにホブゴブリン二体が雄たけびを上げながら、
ドスンドスンと接近し、周囲のゴブリンもまた動き出す。
同時に、森の中から石礫が投げつけらている。
やはり敵の数は推定五十近い!
――この状況でオレ達が潰すべきは……
護衛側には魔術士はいないが、神官がいる。
風に流れて聞こえてくる呪文から察するに、防御の神術か。
効果は術者の能力次第だが……
ゴブリンメイジの頭上に人間の頭部ほどの火の玉が三つ浮かび上がる。
杖に合わせてぐるりぐるりと獲物を狙い定めるように。
――さっきの叫び声は呪文の詠唱だったか!
ゴブリンの言葉が分からないから、神官は防御の神術の詠唱を開始した。
それはミスと言うほどのミスではないが、馬車を背負う彼らには回避という選択肢がない。
そして普通の防御ではあの火の玉を防ぎきるのは難しい。
つーか、ゴブリンの魔術にビビったか、詠唱止まってるし!
――冗談じゃない。ホンモノの初心者かい!
これは控えめに言ってヤバい。
あのゴブリンメイジを急いで消さないと。
というわけで、遠目から状況を俯瞰していたオレ達がやるべきことは決定。
クロとともに隠れていた茂みから駆け出し、そのまま呪文の詠唱開始!
「我が手に集いし風よ――」
選択した魔術は風属性。
「ギシャァぁ――」
魔力の動きによってこちらの存在を察知したか、
メイジの叫び声とともに、炎の塊がオレ達に向かって撃ち出される。
――三つともこっちに来たッ!?
一つくらい馬車用に残すかと思ったのに!
この野郎、ゴブリンのくせにずいぶんと思い切りがいい。
三つの火の玉はそれぞれ異なる放物線を描いて接近。
その軌道に『絶対に逃がさない、必ず殺す』という意思を感じる。
ゴブリンメイジは愚かではなかった。
馬車の神官は詠唱が止まってしまっている。
こちらの魔術は風だが、これは速攻性が高い属性。
両者を比較した結果、こちらを先に始末すべきだと判断した。
すべて間違っていない。
奴にとって誤算だったのは、こちらの手札を勘違いしたこと。
「彼の者を包む衣となれ」
オレが詠唱していたのは、風をその身に纏う魔術。
攻撃用ではないし、それほど防御能力が高いわけでもない。
対象の身が軽くなり、機敏に行動できるようになる補助用の魔術。
「『風衣』!」
無事に発動。
ただし、魔術の対象はクロ。
「突っ込め、クロ!」
「にゃニャ?」
前を走っていたクロが驚きの声を上げる。
突然体が軽くなったように感じられたのであろう、
浮き上がるように地面から離れたその尻を、
大きく振り上げた脚で蹴っ飛ばす。
……我ながらナイスシュート!
「ご、ご主じぃ~~~ん?」
その発想はなかったにゃ~っと叫びながら一直線に飛んでいったクロは、
しかしオレの期待を裏切ることなく、空中でくるりと回転して体勢を整え、
メイジの顔面にドロップキック直撃。
「ギ?」
何が起こったのかわからない。
そんな間抜け面のまま頭骨を陥没させて昏倒するゴブリンメイジ。
「引っ掻き回せ、クロ!」
叫びながら正面から突っ込んでくる火の玉をスライディングでかわし、
残りの二発は直進するオレの脇をかすめて着弾。
――よし、やり過ごせた!
離れたところから聞こえた『にゃ~』という返事に続き、ゴブリンの耳障りな悲鳴がそこかしこで上がる。
チラリと視線をやれば、クロの拳でゴブリンの頭が弾け、
クロの蹴りで吹き飛ばされたゴブリンが仲間にぶつかって転倒。
向かいくるゴブリンをちぎっては投げ、必殺の一撃で沈めてゆく。
その働きぶり、まさに獅子奮迅。
――メッチャ強ぇ。あっちの援護は要らねぇな。
「加勢するぞ!」
総攻撃を受けていたはずの馬車に目をやると、先ほどの剣士がホブゴブリンの首を刎ね飛ばすところ。
もう一体は改めて展開された障壁に守られた、赤毛の剣士と斥候が二人がかりで戦っているが、やや不利な印象。
「……今、とてもひどいものを見た気がするが……助勢はありがたい!」
「気にすんなって!」
まとわりつくゴブリンを撫で切りにする剣士からの、
細かいツッコミは聞かなかったことにしつつ、
ポーチから袋と投石機を取り出してセットし、手元で回転を始める。
「そこ二人、離れろ!」
攻めあぐねていた剣士たちが後退したのを確認して袋を投擲。
太い腕で何ということもなく袋を払ったホブゴブリンは、中に詰められた粉を全身に浴びる。
目や鼻にも粉が入ったようで、その場でもがく緑の巨体に、
「我が手に集いし炎よ、燃えて踊りて焼き尽くせ!」
『火炎』の魔術が発動し、燃え上がるホブゴブリン。
身にまとわりついていた粉に引火、あっという間に盛大な松明になる。
しばらくの間は、なおも抗う様に手を振り回して暴れていたが、
「はあぁぁぁぁ――ッ!」
動きの鈍ったホブゴブリンを赤毛の剣士が袈裟切りに。
肩口から大きく切り裂かれた魔物は、燃え尽きるようにその場に倒れ込んだ。
「『雷撃』!」
ホブゴブリンに無事トドメが刺されたのを確認して、
残敵掃討のための電撃をばら撒く。
「ギャギャ―――」
大将格が全滅したうえに、クロにさんざんやられて戦意喪失したか、
生き残ったゴブリンは電撃に追い立てられる形で、散り散りになって森に消えた。
ブスブスと生臭い煙と汚らしい汚液に顔をしかめつつも、今しがたまで戦場と化していた一帯を見回す。
「大丈夫か?」
「ああ、ありがとう。助かったよ……って、あれ、君は……」
馬車から近づいてきた護衛、
先程ホブゴブリンと戦っていた赤毛の剣士が怪訝な顔をする。
――ん~?
「どっかで会った、ような、気が?」
「俺も君の顔に見覚えがあるような?」
互いにデジャヴ。
ここ最近の行動範囲を思い出す。
って、ほとんどずっとアールスの周辺だけど。
街中ですれ違っててもおかしくはないが、それだと印象に残らないはず……
――赤毛の剣士……歳はオレよりちょっと上くらい……ん~
「ちょっと、この子あのときの!」
剣士とともにホブゴブリンの足止めをしていた女斥候が叫ぶ。
――剣士、神官、斥候。男一人に女二人の組み合わせ……
「あっ」
男より女が多い三人組と言えば――
「あの時の新人か!」
「新人じゃねぇ!」
口ぎたなく叫ぶ斥候――シャリだっけ、確か。
以前アニタに勧められた若手たち。
……いや、新人だろ君ら。