第17話 南街道にて その1
「クロ、いたか~?」
「何にもおらんにゃ」
「そっか~」
オレ達は今、アールス南の街道から少し離れた森の中にいる。
南の街道と言えば、アールスの街と港町ボーゲンを繋ぐ重要行路。
街道に出れば人もそれなりにいるけれど、森の中にはオレ達以外の人間の気配はなく、
森林特有の静かなようで耳をすませば騒がしい独特の雰囲気が漂っている。
何でそんなとこにいるかって?
普通は疑問に感じる部分だろうから、確かに説明が必要かもしれない。
ことの発端は、昨夜の飯時にさかのぼる。
先日リデルに教わった場所で薬草採取を終えて帰宅、そして食事。
「はい、乾杯」
「乾杯にゃ~」
冷えた麦酒で喉を潤しつつ、いつもの腸詰をつついていたところ、
少し遅れて帰ってきた常連の一人が、
「いや~、えらい目に遭ったわ」
などと宣った。
『緑の小鹿亭』に集う客はおやっさんに認められた猛者たち。
そんな連中にいったい何があったのやら……と耳をそばだてていたら、
『南の森林地帯でサーベルタイガーを見た』
などとと口走っていたのだ!
ほかの連中は『そんなの見間違いだろう』と笑っていたけれども、
聞いてしまった以上、何もしませんでしたでは召喚術士の名が廃る。
サーベルタイガーと言えば、
口の左右に大きく張り出した一対の牙が特徴的な、強力な虎型の魔物である。
ネコ科の特性であるしなやかで機敏な動作と、巨体を駆使した格闘戦闘能力に優れている。
既に契約を結んでいるヘルハウンドとどちらが上かと言われると判断に困るが、
手札は多いに越したことはない。
『証』を求めるのは、召喚術士のサガのようなものだ。
近場にいるなら探さない手はない。
チラリと横目で覗えば、クロも強者との死闘を想い目を輝かせている。
というわけで翌日、朝も早よから宿を出て、
森に入ってサーベルタイガーの捜索にやってきたというわけ。
だけど……
「……いねぇな」
「どこにもいないニャ」
「みゃ~」
頭上から鳴く声は、ついさっきそこで契約したフォレストキャットの子ども。
普段は木の上で生活を営む猫型の魔物で、人間に対して比較的友好な一種だ。
戦闘向きな種族ではなく、普段は緑と茶色の毛皮を保護色として他種族の目をくらましながら暮らしている。主食は果実。
地上から探索するオレ達と、樹上から探索する子猫で捜査範囲を広げていたのだが、
今のところ成果は得られていない。
少し冷静になって状況を振り返ってみると、
既に述べたとおり、この街道はアールスとボーゲンを繋ぐ重要な行路であり、
両都市の騎士団が定期的に巡回を行っている。
危険な魔物が現れたとしても、大抵の場合は彼らによって早期に討伐されてしまう。
ロクに裏もとらずに常連の一言だけで森に飛び込んだのは、我ながら失策だったという気がしなくもない。
日はとっくに中天に上り、陽光こそ森の木々に遮られているとはいえ、
あちこち動き回っているおかげでかなり熱い。
森の中は足元の茂みを払いながらの探索になるわけで、余計な動作は増えるし、
そもそもの話、森林を歩き回るというのはまったくもって愉快ではない。
虫は多いし、蜘蛛の巣もそこら中に張り巡らされているし、
足元は落ちた葉が濡れて腐ってグジュグジュだし。
突き出された小枝に髪が絡ると、それはもう酷いことになる。
貴族たちが仕立てるような人工的な植物園とはわけが違う。
誰かの手が入っていない自然の森って奴が、人間さまが歩くことを想定してくれているはずもなく。
中に入れば一歩一歩確実にこちらの精神が削られていき、
そして――
「うがー!!」
頭に血がのぼって、思わず叫び声をあげてしまう。
声に驚いて逃げるように飛び去る小鳥たちが枝を揺らす。
落ち着くにゃご主人、と足元から宥められてもストレスが溜まってなかなか収まらない。
「そ、そう、ごはん! 一度外に出てお昼にするにゃ!」
「ハァ、ハァ……メシ……そうだな、そうすっか」
まあ、昨日の今日でいきなり見つけられるとまでは思ってなかったけど、
正直ちょっと森を舐めてたということは認めざるを得ない。
木の上から周りを観察していた森猫を呼ぶとちょこちょこと木から降りて肩に乗る。
そのまま歩きながら木々につけていた印を辿って街道へ離脱。
地面が渇いているところに腰を下ろして、二人で鞄を開き、
朝方におやっさんに用意してもらった、ハムと野菜のサンドをかじる。
――残念、今日はチーズが挟まっていない。
野菜の方はしおれていて微妙な歯ざわりだけど、ハムの塩味がパンに合う。
パンを一齧りして、水筒から水を呷ると、失われていた塩分と水分が身体に染みる。
ようやく一息ついた気分。
「おいしいにゃ」
「美味いなぁ」
森猫に干し果実を与えると、美味そうにちまちまと口に含んでいく。
喉のあたりを撫でてやると気持ちよさそうに目を細め、
何故か隣のクロが微妙な顔をする。
手のひらを椀状にして水をたらしてやると、降りてきてペロペロと可愛い仕草で舐め始める。
「あ~かわいい。あざとくね~」
つい本音が。
「何か吾輩に言いたいことがあるんかにゃ?」
「いや、別に」
ゲフンゲフン。
食事中にも程よい陽光が肌を暖めてくれる。
森の外には微かなそよ風が吹いて、軽く熱を持った頬を撫でる。
街道に目をやると南から北に向かう一団と目が合い、互いに軽く手を振りあう。
いい天気、実に穏やかな昼下がりだ。
「絶好の昼寝日和だなぁ」
「何で吾輩ら、こんなことしてるんかにゃ?」
「みゃ?」
腹が満たされると、段々怠惰な気分と眠気が手に手を取って襲い掛かってきて、
これまでの半日間の自分たちを否定してしまいそうになる。
――あかん、これはダメな思考だ。
分かっていても止められない。
「何でってそりゃ……今日はいい天気だからじゃね?」
雨降ってたら宿でゴロゴロしてるだろ。
悪いのは元気すぎる太陽、いま決めた。
「お天道さまの仕業かにゃ~」
そりゃ仕方ないにゃ~っとだらけた声が返ってくる。
見れば、クロがスライム状に溶けて大地に広がっているではないか。
オレも昼寝したい。しようかな?
「昼からも探すんかニャ、サーベルタイガー?」
クロの声に「否定してほしい」という二重の音声が混ざっているように感じるのは気のせいだろうか。
「えー、どうすっかなぁ」
これでも召喚術士の端くれ、たかが半日程度で白旗を上げるなんて言語道断。
捜索を続行したいという気持ちはある。
今日は仕事を受けていないので、このまま昼寝して帰れば何の儲けもない。
一方で何の作戦も考えずに突撃し、森の中に一頭だけいるかもしれない虎を探すことの困難さを身にしみて感じているのも事実。
捜索は行うにしても、一度撤退して作戦を練り直した方がいいかもしれない。
進むべきか、退くべきか。
「……悩むなぁ」
「まだ日は高いし、ちょっと考えると良いにゃ」
だなぁ。
クロの言葉に甘えて欠伸を一つ。そのままごろりと草原に横になる。
吹き抜ける風とポカポカ陽気が心地よい。心地よすぎる。
森猫の子が頬に肉球をぷにぷに、そのまま丸まってこっくりこっくり。
――あ~ヤバ。癒される……
どれくらいぼんやりと考えていたのだろう。
なんかもう、このままなし崩し的に今日は休暇ということになりかねないな、と予感したその時。
「キャ――――――!!」
暢気な空間を切り裂く声は南から。
「な、なんだ!?」
「あっちにゃ、ご主人!」
だらけた気分は一瞬で吹き飛ばされた。
正気に戻ってフォレストキャットに森に戻るよう指示する。
コイツはどう考えても荒事には向いていないし、そういう方面での助力は求めていない。
「みゃみゃみゃ~」
森猫の声に背中を押されて、声のした方角に全力で駆けだす。
どうやら休んでいる場合ではないらしい。
「サーベルタイガーはまた今度だ!」
「にゃ!」
青空には、変わらず太陽が輝いていた。