第12話 お仕事の時間 その2
「いつ来てもデッカイよなぁ」
大通りを挟んで内門の反対側に居を構えるアールス最大の宿屋『金竜亭』は、
オレが常宿にしている『緑の小鹿亭』が、二つ三つ丸々すっぽり収まってしまいそうな外観を誇っている。
……いつまでも入り口で突っ立っていてもどうにもならないので、さっさと中に入ることにする。
『金竜亭』のオーナーは内壁の人間、いわゆる豪商という奴。
十年ほど前、より多くの腕自慢を集めるために、
伯爵を説得して下町で一番の土地を買い取り、
この『金竜亭』を建設した。
『最高の宿には最高の腕利きが集まる』
シンプルな理念を体現したナンバーワンの宿。
街中はおろか周囲の都市でさえ名前が挙がるほどの有名店として、
この街を訪れる人間が一度は足を運ぶ観光名所であり、
荒事稼業に身を置くものとしては『いつかはここの常連に』と憧れる聖地のようなものとなっている。
まず度肝を抜かれるアールス外延部最大級の建屋は、隙間一つ見当たらない重厚な石造りの三階建て。
一階は宿泊受付とは別に依頼用の受付を備え、更には食堂兼酒場が併設。
二階は通常の宿泊用の部屋が並び、その内装はベッドからカーテンまで一級品。
三階は完全個室制の最高級スイートルーム。内円部どころか下手な貴族家すら上回る超ド級の造り、らしい。
……ま、二階から上は見たことねーけど!
入り口のドアに触れれば、油でも注されているかのようにスーッと開く。
ロビーは広く、二階まで抜けた天井には昼間だというのに煌々と明かりが灯されている。
一見してただの宿屋ではないと分かる光景だが、
そこに物騒ないでたちの人々がごった返しているのだ。
ただの宿でないどころか、普通の宿ではない。
入って右には大きなボードが立てかけられており、所狭しと依頼が書き記された紙が貼り出されている。
向かって左は件の食堂兼酒場。
昼近いこの時間帯は軽食を扱っているようで、テーブルについた人間が談笑しつつ食事を口に運んでいる。
正面には依頼受付担当の若い女性が二人常駐し、カウンターを挟んで長蛇の列。
その奥には、探索に扱う様々な品物を購入する事ができる売店まで設置。
――もう宿ってレベルじゃねぇよな。
何なんだここは、まったく。
そんな『金竜亭』に入ったオレ達に、四方八方から鋭い視線が突き刺さる。
『見覚えのねぇ面だな』
『どこのガキだ。ここはおままごとをするところじゃねぇぞ』
不躾な視線と小馬鹿にするような言葉の矢を掻い潜って、冷やかしがてらボードに貼りつけられた依頼に目を走らせる。
『村近くの森にオークの群れ。至急退治されたし』
『竜の瞳をひとつ』
『北極都市までの長期護衛募集中』
『ゴブリンをみた』
デカいヤマほど人の目につくように派手な色遣いで、場所を大きく取って宣伝されている。
宿が受け取る手数料に広告料が含まれているということ。
無論、今日はそんな依頼には興味はない。
「あら、ポラリス。おはよう」
こちらの姿を確認してカウンターの奥から現れたのは、制服を身に着けたすらりとした女性。
肩のあたりで切りそろえられた藍色の髪とワンポイントの髪留め。
眼鏡の奥に光る水色の瞳が知的な印象を与える。
身にまとう制服には一部の隙もなく、体型のおかげで無理に着崩す必要もない。
「よーアニタ、おはようさん」
ついでにお久しぶり。
「……今とても失礼なこと考えてなかった?」
「まさか」
両の掌を天井に向けて肩をすくめる。
……女の勘ってこえーな。
「ならいいけど」
「にしてもさ、なんかあった?」
オレの用件は別にあるけれども、まずは取り留めのない話題から。
ここには時々足を運ぶことはあったが、今日の雰囲気はいつもと違う感じがする。
どこかピリピリしているような、それでいて浮ついているような。
まるで、何かの新しい獲物を品定めするかのごとき独特の空気。
「実はね、あなたがいない間に貴族の方をお泊めすることになってね」
ちょうど昨日から三階を借り切っているのだけれど、とアニタは続けた。
その言葉に、正直ちょっと驚いた。
あのバカ高い三階を借りる客がいることにも、下町に貴族がいることにも。
「貴族って、普通内壁の方に行くんじゃねぇの?」
貴族の客は貴族。
下手なことがあって困るのは、誰にとっても同じわけで、
いくら『金竜亭』が街一番の宿とは言え、平民流民入り混じったここが、
貴族を泊めるのにふさわしいかと問われれば、首を傾げざるを得ない。
いったいどういう奴なんだよ、と好奇心のままに聞いてみれば、
聖王国の都にある学院とやらに通う生徒たちで、今回この街を訪れたのは卒業試験の魔物退治のためらしい。
……卒業試験で魔物退治って、ちょっとどうかと思うんだけど。
何を卒業するんだよ!
まあ、それは置いといて。
彼らは内壁の迎賓館を勧めた領主たちに対して、
荒事稼業の腕自慢達が憧れる『金竜亭』の三階に宿を取りたいとごねたそうだ。
学院の卒業生で、しかも貴族ともなれば未来の聖王国の幹部候補。
この街の領主さまも連中の顔色を窺って、可能な限り希望を聞くようにご達しが出ているとのこと。
「わざわざ辺境くんだりまで、ご苦労なこった」
よそ事ながら、何とも呆れる話だ。
「そういうわけで、今ちょっとみんな神経質になってるかも、なのよね」
周りには見えないように、軽くため息をつくアニタ。
ごく普通の感性ならば、貴族になんて近づきたくないと考えるよな。
わかるわ。
耳を寄せて周りに聞こえないように注意しつつ、息を吐くように言葉を続ける。
「しかも、彼らのリーダーの方がね……」
「ん?」
「召喚術士なの」
ほ、ほーう、それはまた……
思わず次の言葉を選びかねたその時、
二階へと続く階段から、自信に満ち溢れた男の声が響いた。
「みなの者、大儀である」
遠目にも上質とわかる衣装に身を包んだ一団。
中心にいる魔術士用のローブを身にまとった男。
その右手には一冊の書物。
黒地に金と銀の装丁が施された、重厚なる書。
『万象の書』
――アイツが召喚術士か。
アニタの言葉どおり卒業試験を受ける学生ということだから、年齢はオレより少し上くらいだろう。
金色の髪を後ろに流した造作の整った顔の男で、チラリと見まわせば『金竜亭』の受付嬢の中にも好意的な視線を向けているものがいる。
「この『魂に竜を刻みし男』クライトス=レーヴェル、これより出陣する!」
え、なんだって?
思わずアニタに視線を送ると、何とも名状しがたい表情を作っていた。
自称か他称かなどと聞くのは憚られる雰囲気。
――関わらん方がよさそうだな。
と思ったのに。
カウンターに肘をつきつつ、一行が通りすぎるのをぼうっと見ていると、
何故かオレの目の前で、件の『魂に竜を刻みし男』殿が足を止め、
じぃっとこちらを見つめ返してくるではないか。
今のオレは『万象の書』を表に出していないので、傍からはただの魔術士にしか見えないはず。
一行の中にはクライトス以外にも魔術士らしい者がいるので、オレにに用事はないと思うのだが。
「そこの娘」
問われて後ろを振り向くも、誰もいない。
「愚か者、貴様だ」
「え、オレ?」
チッ、躱しきれなかったか。
「……召喚術士様が、オレに何が御用で?」
こちらの問いに応えず、こちらに向かって歩みを進めるクライトス。
背丈はクライトスの方が高い。オレの頭が奴の肩くらい。
いくら貴族とは言え、さすがに宿の中で揉め事は起こすまい。
そう甘く見ていたせいもあるだろうけれど。
唐突にクライトスの手が伸び、オレの顎を捕える。
そのままオレの顔を左右に振り向かせるクライトス。
「なッ!?」
突然の出来事に咄嗟に反応できなかったが、混乱しかけた思考に火がつき、
思わず奴の手を力任せに振り払う。
「……何のつもりだ?」
「フン、田舎者にしてはなかなか整った顔立ちをしているな」
貴様が望むのであれば、我らが一団に加えてやらんでもない。
傲慢な召喚術士はそう続けた。
「れ、レーヴェル様!」
慌てて止めにかかるアニタ。
しかし、彼女がそれ以上口を開く前に先に応えてやる。
「朝から酔っぱらってるらしいな。あっちで顔洗ってこいや」
親指で差した先は便所。
一瞬何を言われたのか理解できなかったのか、呆然としたクライトスは意味を理解するや否や、
その整った顔を紅潮させ、血が出そうなほどに拳を強く握りしめた。
「貴様ァ……」
互いの視線が交わり、不可視の火花が散る。
「オレ様に声をかけるなんざ百年早えぇ。ママのお腹から出直してきな」
「貴様、貴様貴様貴様ッ、この俺の行為を踏みにじるどころか何と無礼な!」
怒りのあまり手を振り上げるクライトス。
慌てて奴を取り押さえようとする取り巻きども。
そして、その一挙一足をつぶさに観察するオレ。
「クライトス落ち着けって。下手に揉めて卒業試験にマイナスがついたらどうするんだ!?」
「こんな田舎のチンチクリンなんて放っておけ。さっさと聖王都に帰れば麗しの姫君たちが待ってるだろ!」
仲間たちの下心丸出しの説得には耳を貸さないクライトスだったが、
ふと、冷たいものが背筋を通りすぎたかのようにビクンと縦に揺れた。
恐怖に震えるように何度もキョロキョロと左右を見回し、しかし何も見つからなかったようで
「フン」とそっぽを向いて入り口に向かって歩き出す。
「……クロ、もうやめとけ」
連中が立ち去ったのを確認して足元に一言。
オレの足元で、誰も気づかれないように黒いケットシ―が鋭い殺気を放っていた。