第50話 エピローグ その2
「ステラ、僕と結婚してほしい」
「……ハァ?」
今さらその話かよ。
婚約とかそういう話は、オレがトンズラした五年前に立ち消えていたはずなのだけれど。
「過去のことはいい。今の気持ちを教えてほしいんだ」
僕は本気だよ。
真摯な表情で語りかけてくるレオ。
――これは、適当にはぐらかせる話じゃないな……
腕を組んで沈思黙考。
答えそのものは決まっているのだが、問題はその理由付けだ。
嘘をつくつもりはないけれど、どこまで話せば納得してもらえるのか。
「結論から先に言う」
「ああ」
「オレは……お前と結婚するつもりはない」
帝国がどうとか実家がどうとかは関係なく、
ただひとりのステラという人間としての答え。
「理由を聞いてもいいかな?」
若干ひび割れた声でレオが問う。
「理由……な……」
――さて、どうしたもんか……
オレがレオとの結婚を断る理由。
かつてのオレは、自らが持って生まれた召喚術という才能を振るい、
自由気ままに生きていきたいと願ったがゆえに国を出た。
もちろんそれは今も変わらないが、帝都を去って五年と少し、
旅の道行きで出会った様々な物事が、オレに更なる知見を加えている。
「理由は二つある」
まずひとつ目――
召喚術士としてのオレは、特定の国家に属するつもりはない。
「他の連中をどうこう言うつもりはないんだがな」
召喚術士というのは魔物を召喚し『誰かを殺させ』『殺されさせる』クソッタレだ。
自分が呼び出した魔物が殺されるところまで放置しておいたことはないけれど、
オレが今言いたいのは召喚術士という職業に付きまとう本質的な部分の話。
南海諸島でファナと初めて出会った日を思い出す。
アイツがカエルを見殺しにしようとしたことがどうしても許せなかった。
それは、自分が呼び出した魔物の命を蔑ろにする行為だったから。
「オレは……召喚術士ってのは、せめて自分が呼び出した魔物に対しては責任を持たなきゃならんと思ってる」
『奈落』との決戦を前にテニアが語った言葉だ。
誰かを殺させることも。
誰かに殺されさせることも。
どちらにせよ、あるいはどちらでなくとも。
「でも……国家に所属してしまうと、その責任の所在ってのが曖昧になっちまう」
よく兵士たちが人を殺すとき、その責任は国家が負うみたいな話を聞くが、
では実際に兵士が自分の手で誰かを殺したその感触あるいは罪悪感なんかを、
その人に代わって国が持って行ってくれるかというとそんなことはない。
どれだけ綺麗事で取り繕うとも、誰かを殺す罪も罰も結局は自分自身で負うしかない。
……そもそも責任をとる『国家』って何なんだって話もあるしな。
「オレは、オレが契約した魔物に対しては誠実でありたいんだ」
だから帝国に所属することになるレオとの結婚なんてのは受け入れられない。
これは、かつて帝国を出奔し様々な国を渡り歩いた過程で気づかされたこと。
「……続けて」
「そして、もう一つ」
オレがレオと結婚したくない理由。それは――
オレは人の上に立つ器じゃないってこと。
「そうかな?」
「……そうだよ」
仮にレオと結婚して皇太子妃、あるいは皇后になったとして、
それはオレがレオとともに帝国を背負うということを意味する。
帝国に住まう何百万、あるいは一千万を超える命の責任を負うということ。
オレは……きっとそのプレッシャーに耐えられない。
「想像するだけで身体が震えて、声もまともに出せなくなるんだ」
「そうなのかい?」
驚いたようなレオの声。
……だろうな。
「他の貴族のお嬢様なら当たり前にできることだからな」
生まれつき誰かの上に立つ者としての教育を受けてきているから。
無論、オレも同じ教育は受けたはずだ。
だが、オレの心がその教育を拒否してしまう。
貴族の家にに生まれたが、オレは貴族になれなかった。
そんな人間に皇族なんて、もっと無理ってことだけは確かだ。
親父と話が噛み合わないのも、決して表面上の問題ではない。
なぜならオレは……
「オレは、根本的に平民なんだよ」
――三つ子の魂百までとも言うしな。
家を出てからの五年間、食うに困り命を失いかけたこともあったが、
少なくとも身分にまつわるアレコレで苦戦したことはない。
例え場末の宿であろうと気にせず泊まれるし、
貴族なら口にもしないような食事だって問題ない。
服だって安物でも気にならない。
そういうふうにできている人間なんだ、オレって奴は。
「オレは、誰かの上に立てる人間じゃない」
「そんなこと気にしなくてもいい。僕がステラを――」
「支えるってのは無しだぜ」
先手を打ってレオの言葉を遮る。
「皇帝を支えることのできない皇后、皇帝のお荷物にしかならない皇后なんて、百害あって一利なしだ」
「でも――」
「でもも何もない。話はこれで終わりだ」
これ以上語ることはないと、取りすがるレオの手を払う。
この話はこれで終わりだ。
まだ何か言ってくるのであれば、オレは今すぐにこの国を出る。
と――
「どうしても、駄目なんだね」
食い下がってくるレオに、無情に告げる。
「どうしても駄目だ」
好きとか嫌いとかじゃない。
どうにもならないことがあるのだと続ける。
……オレはすべてを話してはいない。
それが誠実でないという自覚もある。
しかし――これ以上は信じてもらえる自信がない。
だから、話せない。
「わかった。この話はここまでにしよう」
長い間気を煩わせて悪かったね。
何も悪いことないのに頭を下げるレオの姿を見ているうちに、
胸が苦しくなり、視界がぼやけて目頭が熱くなる。
「ごめん……本当にごめん」
『契約者よ……』
「ステラ……どうか泣かないで」
慌てて席から立ち上がろうとするレオを制し、
目から溢れる水を袖で拭う。
レオのことは本当にいい奴だと思う。
人当たりが良く尊敬できる男。
苦難に対しても穏やかで、気づかいを忘れない男。
もし自分が男であればかくありたいと思えるし、
そんな男が自分を好いてくれているという事実は嬉しい。
それは、嘘ではないのだ。
「大丈夫かい?」
「悪かったな……」
ようやく収まったところで、レオが口を開く。
「ところで皇位継承権の話だけど」
「ああ、そう言えばそんな話してたな」
「うん、ステラの言うとおりなかなか周りに納得してもらえなくてね」
やむなく交換条件を出したという。
次代の皇帝は自分だが、オレの説得に失敗した場合自分は結婚はしない。
ヴァイスハイトとマリエルの子どもを養子にとって、後継者として育てると。
「おま、そんなことを……」
「ここらがぎりぎりの妥協点だったよ」
皇帝、皇后、スィールハーツほか様々な権力者たちとの調整の結果だと、
吹っ切れたように笑うレオの顔には一点の曇りもなく、
「なんでほかの女じゃダメなんだ?」
「なんでと言われてもね……ダメなものはダメなんだ」
そう言われると、こちらとしては二の句が継げない。
「お前の最大の欠点は、その女の趣味の悪さだわ……」
溜め息出るわ、ホント。
「誉め言葉として受け取っておくよ」
などとほざいてレオは颯爽と立ち上がる。
コイツ……本当にどうしようもねぇな。
「もう行くのか?」
「ああ、しばらく帝都を空けることになる」
『奈落』の核はすでに破壊された。
しかし、奴が吐き出した黒い汚泥はいまだ長大な川のように帝国南部を蹂躙していて、
これを焼き払うためには『守護者』の力が――今はレオの力が――必要になる。
「これまでほとんど帝都暮らしだったからね」
たまには外も悪くない。
みんなに呆れられないよう身体も鍛えてくるよ。
そう笑って、レオは迎賓館を辞した。
レオの乗った馬車を見送っていると、鼻先にヒヤリと冷気が走る。
見上げた空は灰色の雲に覆われていて、
チラリチラリと風に乗って振ってくる白い――
「雪……か」
そう言えば、もう冬になっていたな。
身体が震える。心も寒い。
『契約者よ、ここにいては体に障る』
「ああ、中に入って暖かいもんでも食おう」
閉じられた門を後にして、館に向かうその途中、
「ごしゅじ~ん!」
「ステラ! アタシ雪って初めて見た!」
空から舞い降りる雪を見て喜び跳ねる二人の仲間たち。
元気で暢気で陽気な連中だ。
「お前ら、さっさと中に入らないと風邪ひくぞ!」
「は~い!」
返事を待つことなく、館の扉を開く。
永い永いひとつの季節が、たった今終わりを告げた。
今日は、冬の始まりだった。
これにてワケあり第3章『帝国の召喚術士』完結となります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
今後については、改めて活動報告を挙げさせていただきます。