第45話 世界最大の獣 その3
「いい風吹いてるね」
「炎も燃え広がってるニャ」
帝国軍陣地に建てられた壁によじ登り、二人で壁の縁に腰かけて戦場を見やる。
栗色のポニーテールを触っていたテニアと腕組みしていたケットシーのクロは、
燃え上がる大地の光景を遠目に、作戦の第一段階が成功したことを確信する。
「でも、あれって『奈落』を焼き尽くすまでずっと続けるんでしょ?」
『奈落』上空には、グリフォンに跨り帝国軍の軍旗を振り回す桃色髪のステラが見える。
「体力保つのかなぁ」
「ご主人も大変ニャ」
二人は軽くため息をつき、それでも口元には笑みを浮かべている。
これまで防戦一方だった『奈落』に一矢報いたことは、
二人だけでなく帝国軍の陣営にも明るい希望の光を差し込ませている。
と――
「さて、アタシらの時間みたいだね」
「だニャ」
壁から飛び降り、近場に待機していた騎士に声をかける。
「来たよ」
怪訝な表情を浮かべる騎士の顔の真横に、
テニアの手から放たれた閃光が走る。
「なッ!?」
驚く騎士の背後、ドサリという音を立てて崩れ落ちる帝国軍の兵士。
「おい、お前たち何をする!?」
「ここに居ていいのは、アタシと先輩」
それとアンタらみたいに決められた服を着た奴だけ。
それ以外は近づいちゃいけないことになってるんだよね。
騎士の反駁を気にした風でもなくテニアが笑う。
この件については全軍に通達がなされている。
これが、ステラがルドルフに頼んだ願いの一つ。
倒れた兵士が身につけているのは、ごく一般的な衣装。
つまり――
「そいつの兜を取ってみな」
テニアの言葉に懐疑的だった騎士も、恐る恐る兵士の兜を外してみれば、
その下に除くのは黒い肌と尖った耳を見つけて息を飲む。
「こ、こやつ我が軍の兵士ではないのか!?」
すでに事切れている兵士を装ったものの姿は、
最近どこかで小耳に挟んだ――
「ダークエルフ……」
「百聞は一見に如かずってね」
『敵』が来るよ。
両手に短剣を構えたテニアが語り、
その言葉の真実を目の当たりにした騎士達も慌てて戦闘態勢をとる。
ここは、帝国軍の糧秣庫。戦場から少し離れた、いわゆる後方と呼ばれる位置。
『奈落』を焼き尽くすための油や、兵士たちが口に糊する食料を保管する帝国軍の急所の一つ。
帝国の怨敵討伐に参陣しながら、後方に回されて不満をいだいていた騎士たちは、
自分たちに与えられた『絶対死守』という命に込められていた意味を理解し喉を鳴らす。
騎士たちが慌てて周囲を見回せば、
息絶えたばかりのダークエルフと同様に、帝国軍の『一般的な』武装を身につけた兵士を模した人影が、
不自然なくらいにこちらに向かってきている姿を確認する。
「さて、まずはステラの予想が当たってたってことだ」
★
「『奈落』とダークエルフは繋がっている」
昨晩食事を共にしている際にステラはそう語った。
「え~、それは考えすぎじゃないの?」
「あの黒いプルプルと黒いエルフしゃんがお仲間というのかニャ?」
考えすぎ、あるいは陰謀論に飲まれたのではないかと心配になりながら、
息を合わせて懐疑的な声を上げたクロとテニア。
「ま、まあ、証拠はないんだがな」
「ないんかい」
思わず素で突っ込んだテニアに対して、
可能性の一つとして考えようってことだとステラは語った。
『奈落』に意思があるかどうかはさておいて、
ダークエルフに関しては、ここ最近活発に帝国内で動き回り、
南方諸侯軍から帝都に向かった報告をいくつか断ち切っている。
ルドルフに問い合わせたところ、逆に帝都から諸侯軍に向かった兵士の中にも、
安否確認がなされていない者がいることが判明した。
「普通に魔物に襲われたって線もあるだろうけどな」
ただ、ダークエルフが帝国に害する動きをしていることは確か。
たとえ『奈落』と関係あろうがなかろうが、
帝国の存亡をかけたこの一戦に、ちょっかいをかけてくる可能性は否定できない。
「で、奴らが『どこ』に仕掛けてくるかって考えるとな」
ステラはまず要人暗殺を挙げた。
第一皇子にして次代の皇帝レオンハルトを始め、
今、この陣地は将軍、諸侯など重要人物の見本市と化している。
「レオの傍には『守護者』がいるから、本陣が脅かされることはないと思う」
霊峰ホルネスより降り立った『帝国の守護者』たる白フクロウ。
あれがいる限り、ダークエルフの魔手が帝国軍の中枢に届くことはない。
「んで、他の貴族連中については、ひとりひとり護るのはほぼ不可能」
単純に手が足りない。
レオやルドルフを通じて注意喚起を行う程度が限界だろう。
「あとは……糧秣庫あたり?」
テニアの問いにステラが頷く。
「オレも軍事に詳しいわけじゃねーが、大軍相手に逆転勝ちを狙うなら常套手段だよな」
実際の歴史でも戦記物の物語でも、少数が大軍を討ち払うなら狙うべきところは限られる。
しかも、今回は火計さえ失敗させれば、あとは『奈落』が勝手に食い尽くしてくれるわけで。
「ということで、お前ら二人には糧秣庫の護衛を頼みたい」
既に総大将であるレオンハルトやルドルフには話を通しているとのことで、
腕自慢の騎士の部隊で軍の要たるこの要所を固めると言ってくれたらしい。
「つっても、騎士には必要以上のことは知らされないし、ここは奴らと直接やり合ったお前らに頼みたいんだ」
ステラはそう続けて頭を下げる。
帝国と深く関わりを持たない二人は、
今のところ単に自分についてきただけ。
ここで命を張る義理もなければ恩もない。
「……確かにアタシらは帝国とは関係ない一般人なわけだけど」
「だけど?」
「ダークエルフたちには借りがあるんだよね」
「ニャ」
あの妖精の里で包囲されて追い立てられた怨み。
そして何より仲間であるクロを失いかけた怨み。
「ここらできっちり返しておきたいところだから、ステラの思惑に乗っちゃおう」
「ニャ」
軽薄なテニアに対し、言葉少なに頷くクロ。
「クロ、どうした? 嫌なら嫌でいいんだぞ」
「そ、そんなことないニャ。吾輩今から闘志ギンギンにゃ!」
慌ててポーズを決める黒猫。
「そうか? じゃあすまんが、二人ともよろしく頼む」
「頼まれた!」
★
「やる気なさげにふてくされてる場合じゃないってわかるよね?」
短剣をくるくると指で回しながらテニアが挑発的に言葉を続ける。
「アタシたちがここを護れなければ、帝国軍は勝てない」
火計の失敗は帝国軍の敗北を意味する。
「ここが最前線だよ、気合入れな!」
「い、言われずとも!」
せっかくの大戦を前に、後方に配置された騎士たちが抱いていた不満は、ここに解消された。
自分たちこそが帝国を護るという自覚さえもてば、あとは忠誠心の塊である騎士の魂が燃え上がる。
「奴らの武器には毒が塗ってあるし、精霊術を使う奴もいる」
少人数だと侮ってかかると痛い目見るよ。
テニアの念押しに『了解した』と答えが返ってくる。
そして――
「みなさん、出番だよ~」
戦場に似つかわしくない軽妙な声に応じて壁の内側から現れたのは、
ゴリラをはじめとする魔物たち。
『奈落』を討つために人間と手を組んださまざまな種が、
ゾロリゾロリと歩み出てダークエルフの集団と相対する。
その先頭には――
「吾輩は帝国に恩があるわけでもなく、ダークエルフに怨みがあるわけでもないニャ」
人魔混合の防衛部隊の前にひとり突出して仁王立ちするクロ。
その表情は渋く、長くはない腕が堅く組まれている。
形は小柄なれど、そのうちに秘めた闘志は言葉と裏腹に激しく昂っていて、
糧秣庫に押し寄せてきた帝国軍兵士を模したダークエルフたちが気おされて足を止める。
「前に不覚を取ったのは吾輩の実力不足が原因で、お前たちに対しては特に何も思うところはないニャ」
だが――
「ご主人にあんな顔をさせたのは、吾輩一生の不覚にゃからして……」
妖精の森で毒を食らい瀕死になった自分を抱きかかえて涙をこらえる顔。
霊峰ホルネスで再会し、強く抱きしめられた時の顔。
記憶から甦る相棒の顔を想うたびに、クロフォードの胸はかきむしられるような思いに駆られる。
組んでいた腕を解き、普段は隠されている爪が伸びる。
「お前たちには死んでもらうニャ」
黒猫が昂るのは、ただそれだけの理由。
怨みも憎しみもない。
帝国軍も『奈落』もどうでもよい。
ただ己の実力を示すためだけに、殺す。
「ニャッ!」
ただの一足でダークエルフの足元に移動。
「キャッ闘流裏奥義『覇天刃』!」
飛び上がった勢いで、ダークエルフの黒い首を跳ね飛ばす。
ゴロゴロと転がる首。吹き上がる血潮。
そして倒れ伏す身体を見返すことはなく、
次の獲物を求めて首を巡らせる。
その顔に表情はなく、ただ殺意だけが揺らめいていて――
「皆殺しニャ」
黒い身体はまたしてもみなの視界から消え、
別のダークエルフの頭が弾ける。
ダークエルフたちは、同胞の死を確認することはできても、
同胞に死を振りまくものの姿を目にすることができず、
足が地面に縫い付けられたかのようにその場に立ち尽くす。
それは味方であるはずの帝国騎士達も同様で――
「ヒューッ、さっすが先輩」
クロの奮戦を口笛で讃え、場違いな明るさを振りまくテニアもまた、
「んじゃ、アタシも行ってくるから護りよろしく」
表情を一変させ、短剣を構えてダークエルフに突撃、
左右の刃を閃かせてその首を狙う。
「ま、アタシはあんまりいいこと言えそうにないんだけど……」
喉元に致命打を叩き込み、身体を近くのダークエルフに蹴り飛ばす。
仲間の死体をぶつけられて体勢を崩したところに、さらに死の刃が追撃される。
「アンタらは気に食わない。だから死んでもらう」
飛び切りの戦力を有する死の風が二つ。
帝国軍の急所を狙ってきた黒い魔の手を切り裂いて、切り口から魔物たちが殺到する。
ゴリラの拳がうなり、マンティコアの尾がダークエルフの腹を突く。
フェアリーの魔術が敵の足を止め、さらに魔物が襲い掛かる。
さながら砂糖に群がる蟻のように、
黒い身体で押し寄せるダークエルフを、
強かに踏みつけ、殴りつけ、魔術でもってただひたすらに殺す。
「さあ、どんどん死んでおくれよ、アンタたちはさぁ!」