第39話 帝国の守護者 その4
レオンハルトはついに決定的な言葉を口にした。
ヴァイスハイトとマリエルによる皇族殺害の共謀罪。
暴力に訴えてでも、その罰を与えると。
「おお兄上、『守護者』がおわすこの領域でそのようなことを」
殊更大げさに反応するヴァイスハイトの言動が、いちいち芝居臭いと感じるのは、
オレ達が襲われた側に立つが故だろうか?
「『守護者』は関係ない。お前には皇帝となる資格がないと言っている」
皇族暗殺を企むだけでも許しがたいのに、
あまつさえそれを隠蔽しようと謀るその心根が許せない、と。
――いつの間にか、レオがヴァイスを『お前』と呼んでいる。
「じ、自分で戦う力もないくせに一端のことを抜かす!」
こめかみに青筋をヒクつかせながらの舌鋒。
根本的に暴力の信奉者であるヴァイスハイトには、
今のレオンハルトの姿は認めがたいものがあるのだろう。
しかし――
「別にレオ自身に戦う力がなくてもいーんじゃねぇの?」
人間ってのはなかなか一人で何でもできるもんじゃない。
自分の不得手は、その分野を得意とする誰かの力を借りればいい。
そういう人脈の構築、その根源となる魅力もまた皇帝の資質の一つだろう。
「ステラ=アルハザート!?」
――それによ……
さっきからのコイツらの態度や物言いは、
オレをキレさせるには十分だぜ。
「なあ『守護者』さんよ、一応聞いとくが」
決める方法をオレ達に一任するってことは、
実力行使もそれに含まれるってことでいいんだよな?
「術は問わぬ」
「あとから『力は貸さない』ってのは無しだぜ」
「無論である。我もまたこの国の行く末を案じる者であるがゆえに」
その言葉は『奈落』の問題に対してか。
それとも兄を弑してでも帝位を欲する弟皇子の有り様に対してか。
白いフクロウはそれ以上は語らなかった。
「だそうだ。さっさと始めようぜ!」
頭数はこちらが上。
向こうが逆転を狙うのであれば、勝負のカギを握っているのはマリエル。
あの女がどれほど強力な手札を抱えているかが決め手となる。
『さんざん挑発しておいて、あちらが上手だったら如何にするつもりなのか?』
呆れた風なエオルディアの問いに、胸をトントンと指で叩いて答える。
――心配しなくても、お前の力は借りない。そういう約束だからな。
『うむ……そういうつもりではないのだが……』
煮え切らないな、翠竜。
何だってんだ、一体?
マリエルの手札はどれほどのものか。
先日切ってきたケルベロスは相当強力な魔物だが、
あれよりも強い切り札を握っているのだろうか?
オレは帝国を出て五年間、大陸のあちこちを彷徨ってきたが、
それほどに強力な手札を持っているわけではない。
陸専用にはヘルハウンドとビッグベア。
空中戦用のグリフォン。
水上戦闘用のクラーケンは別格だけど、
あいつは水のある場所にしか召喚できないので基本的には戦力外。
――最悪タコを呼んで押しつぶすって手もなくはないが……
そのときはあのクラーケンもまた自重に押しつぶされて死んでしまう。
きっと召喚時の抵抗は凄まじいものになり、失敗する可能性が高い。
同じ死亡前提の召喚でも、ゴブリンとはわけが違う。
「やっと吾輩の出番かニャ」
人間同士の権力争いには我関せずだったクロが、
戦の気配を感じて闘争心を震わせる。
その姿かたちは愛らしく小型ではあるが、
コイツはあのケルベロスを圧倒した猛者にしてオレの相棒。
生中な魔物では、コイツの相手はできない。
「ま、死人に口なしって言うしね」
先に仕掛けてきたのはそっちだからお互い様などと、
身も蓋もないことを言うテニア。
顔に笑みを浮かべてはいるものの、
左右の手に短剣を握り戦意は小さくない。
「貴様ら……下賤の分際で!」
「これは最後通牒だ。命が惜しければ降れ、ヴァイスハイト」
「オレは……何も悪いことはしていない。マリエルもだ!」
「分かっていないんだね、ヴァイス」
激昂する弟の前にひとりの兄として立ち、
「もう、そんなことはどうでもいいんだよ」
誰が何と言おうとも、先に仕掛けてきたのはお前だ。
今さらになって何を言おうとも言い訳にもならない。
大人しく軍門に降れば命だけは助けてやるというのが、
レオンハルトなりの最大限の温情といったところか。
「ただし、そちらの召喚術士には死んでもらう」
誰かは罪を負わねばならない。
どちらが主犯かはわからないが、
ヴァイスハイトがあくまで惚けるつもりならば、
実行犯であるマリエルに罰を与えねばならない。
「確かに『万象の書』を持って生まれた召喚術士は貴重な帝国の宝かもしれない」
でも――
「帝国に害をなすのであれば、それは宝ではない」
今も南方を荒らして回る『奈落』と同様、帝国を蝕む邪悪に過ぎない。
「君たちはどうする?」
壁際に控えていたヴァイスハイトの騎士に問う。
「帝国に仇なす主に従ってここで死ぬか、帝国に使える騎士としてあるべきところに戻るか」
今ここで決めろ。
これまでにないほどに冷徹で、
それでいて灼えるような熱を持ったレオンハルトの言葉に、
普段は第一皇子を侮っている騎士たちも、
背筋を伸ばして自らの主の様子を窺っている。
この事件はヴァイスハイトとマリエルの共謀案件だが、
おそらく護衛の騎士達には知らされていない。
謀なんてのは関わる人間が増えれば増えるほどどこからか漏れるもの。
だから、騎士達は今でもオレ達の言葉を疑っている。
しかし、レオはその態度すら許さない。
「自分たちで決められないのなら、君たちも同罪だ」
皇族暗殺未遂は死罪。
その罪は係累にまで及ぶ。
あまりにも苛烈な成り行きに、
騎士たちの表情が硬く強張る。
「そ、そんなことになれば母上やスィールハーツが黙っていないぞ!」
「言ったはずだ。どうでもいい」
唾を飛ばしながら必死に反撃を試みる弟をバッサリ切る兄。
「皇后陛下も、皇族暗殺未遂犯を庇うのであれば然るべき処置を下すまで」
スィールハーツに及んでは言うまでもない。
「ちょうどいい機会だからね。帝国を蝕む害虫は一掃しよう」
いつもと変わらぬ微笑みに凄惨な思いを隠して、
レオンハルトは、そう話をまとめた。
ヴァイスハイトの騎士達は――己が主に剣を向ける。
つまりは、そういうことだ。
☆
完全に追い詰められたヴァイスハイトとマリエル。
二人は互いに身を寄せ合いこちらの様子を窺っている。
「おのれ……おのれッ!」
「ヴァイスハイトさま、ここは私が」
『万象の書』を呼び出し、戦う意思を見せるマリエル。
しかしヴァイスハイトが最後の一線を踏み越えてこない。
対して武力行使の態度を見せるこちらにも、
二人の皇子の因縁の戦いを前にしたプレッシャーが重くのしかかる。
そこに――
「お二方とも、もうおやめください!」
口を挟んできたのは、ここまで沈黙を貫いてきたグリューネルト。
「帝国を救うためにここまで来られたはずなのに、どうして互いに争うことばかり口にされるのですか?」
「口を慎むがよいグリューネルト。もはやそういう段階ではない」
これまでの優しい口調ではなく、皇族としての威厳に満ちたレオの声。
しかし――
「いいえ、いいえ、レオンハルト殿下」
臣下の一人として、謹んで申し上げます。
「どうかヴァイスハイト殿下とマリエル嬢をお許しください」
この二人だけでなく、一時の感情で帝国の柱石たる皇后や公爵を処断しては、
たとえ『奈落』から国を救っても、その後に訪れる権力闘争に巻き込まれて多くの人間が被害を被る。
特に一番苦しい立場に立たされるのは、自業自得の貴族たちではなく――
「無辜の民を苦しめることがあってはなりません。どうかご寛恕を……」
レオはしばらく口を開かず、グリューネルトの言葉をどうしたものかと考えている様子を見せ、
「このような奏上があるが、それでもなお我々に穢れた刃を向けるか、ヴァイスハイト?」
もはやこの場はレオの独壇場。
誰もがその風格に飲まれ、圧倒される。
相対するヴァイスハイトもまた例外ではなく、
これまで柔弱と軽んじてきた兄に追い詰められていることを自覚せざるを得ない状況。
「オレは……オレは……」
「ヴァイスハイトさま……痛うございます」
知らず肩を強く握りしめられていたマリエルが非難の声を漏らす。
「クソッ……こんなはずでは……」
生まれてこの方、自分の思いどおりにならなかったことなどなかったのだろう。
母である皇后を始め多くの後ろ盾に守られて我を通し続けてきた男が、
窮地にあって悩み、苦しんでいる。
「殿下!」
「ヴァイスハイト殿下!」
いつしか二人の皇子以外の殆どの人間が、
ヴァイスハイトに翻意を促している。
そして――
「オレは……皇族の一人として民を無為に傷つけることはできない」
ヴァイスハイトが折れた。
レオンハルトに屈するのではない。
あくまで帝国の未来を鑑みての判断だと。
屈辱に身を震わせても、最後の最後で誇り高く。
「もういい、オレは帝位を諦める」
ヴァイスハイトは、最後の最後で理性を総動員させた模様。
その口から出た言葉は――自分の夢を自分で殺すものだった。
「だが、条件がある」
「なんだ?」
「兄上の暗殺未遂とやらの件については、オレもマリエルも携わってはいない」
たとえレオが信じようが信じなかろうが、
ヴァイスハイトは皇帝位を諦めようとも、
この件についてのみはあくまで自身の意見を貫き通す。
マリエルの命を救ってやってくれ。
婚約者の助命を嘆願する弟皇子。
いまさら胡散臭いと誰もが呆れるも、
暫しの間レオンハルトは沈黙し、
「……いいだろう。僕も余計な血を流すことは望まない」
胸の内に溜まりに溜まった感情を、酸素とともに大きく吐き出して、
レオンハルトはヴァイスハイトの言葉を鷹揚に受け入れた。
オレ達が知る由もない長きにわたる皇位継承権争いは、こうして幕を下ろした。
☆
「『守護者』よ」
「ふむ、いかがいたした?」
レオの問いに惚けた答えを返すフクロウ。
「見ておられたかもしれないが、結果として次の帝位を継ぐ者は僕一人になった」
その眼にかなわぬ部分はあるかもしれないが、
どうか力を貸してほしい。
そう、深々と頭を下げる。
「よかろう、若き王よ」
『帝国の守護者』たる白フクロウは、随分とあっさり了承してくる。
「いいのかよ、それで?」
「我は一人選べと言ったのだ。この者はその条件を満たしている」
「さっきレオには覇気が足りないとか言ってたくせに」
「それについては訂正しよう。今しがた十分なものを見せられたがゆえに」
「あっ……そういうこと」
「一応言っておくと、僕は本気だったよ」
グリューネルトが場を収めてくれなければ、
本当に彼らを罪人として処断させていた。
「君の手を汚すことがなくてよかった」
「はぁ、それは別にいいけどよ。グリューネルトにちゃんと礼を言っとけよ」
「そうだね」
ところで、とレオは言う。
「『守護者』殿は、どのようになさるのが良いのだろうか?」
これまではこの霊峰ホルネスに座していた『守護者』だが、
ここからでも南部の戦場の風を操ることができるのか、
それとも――
「え……あ~、その辺はどうなん?」
「うむ。我も共に行こうではないか」
久方ぶりに人の世を見ておきたい。
そう言うなりばさりと翼を広げて舞い上がり、そのままレオの肩に止まる。
「……重くねーか?」
「いや、羽のように軽い……よ」
よたってんぞ、レオ。
「ふむ、心の強さは見せられたが、身体の方は未熟である」
精々鍛錬に励むがよい。
レオの肩の上で『守護者』がしたりと語る。
――そう、もっと言ってやって。
周りを固める騎士たちもうんうんと頷いている。
「はは、善処します」
これにはレオも苦笑い。
ま、これでコイツが健康的になるならいいんじゃなかろうか。
「さあ、帰ろう」
帝都に。
長かったこの旅も終わる。
そして――
「帝国の平穏を取り戻そう」
帝国の存亡をかけた戦いが始まる。
次回より『決戦前夜』となります。