第37話 帝国の守護者 その2
声は、ヴァイスハイトとマリエルが折り重なって倒れているあたりから聞こえた。
しかし、いくら目を凝らしてもそこには誰の姿も見当たらない。
「何者だ? どこにいやがる?」
オレの声は広場の岩壁に反響し四方八方へと散ってゆく。
「ここにある。括目せよ!」
再び響く声と共に、周囲の霧が倒れている二人に向かって集束してゆく。
「ステラ!?」
「どうやら『守護者』さまのお出ましみたいだぜ」
素っ頓狂な声を上げるテニアに応え杖を構える。
その間にも白霧は密度を増し、そして――
「鳥?」
クロと同じくらいの大きさまで圧縮された霧は、
鳥――たてがみを持ったフクロウ――の姿を取り、
ぎょろりとその眼が開かれる。
同時に強烈な圧がこちらに向けて放たれる。
――くっ……
『大丈夫か、契約者よ?』
「問題ない。この手のプレッシャーには慣れたからな」
気づかわしげなエオルディアに応える。
アールスで出会ったこの翠竜、
南海諸島で戦ったクラーケンや、
古王朝の遺産である巨大ゴーレム『海神』など、
多少の姿かたちは違えども、
いずれも並の魔物など話にならないほどの超ド級を相手取ってきた経験が、
オレに『守護者』から放たれる威圧感に耐える力を与えてくれている。
「ほう……多少は骨のある者がいるようだな」
ヴァイスハイトの背に降り立った白いフクロウが興味深げにホウホウと鳴く。
チラリと仲間の具合を見てみれば、
二本の足で立っているのはオレとクロだけで、
ほかは壁に手を突いたり地面に膝を突いたりと散々な様子。
「そこな娘。お主が次代の社稷を担うものか?」
フクロウの問いに、言葉が詰まる。
――社稷ってなんだ?
『国のことだ』
魂の中からエオルディアが教えてくれた。
難しい言い回しをよく知ってるものだと感心する。
……国って、帝国のことか!?
「違う。オレはただのはぐれ者だ」
帝国の皇子はこっちだと指し示した先では、
壁に寄りかかりながら立ち上がるレオンハルトの姿。
「……軟弱である」
声に混じる落胆の感情を隠そうともしない。
「お初にお目にかかります。あなたが代々帝国を守護してくださっているお方ということでよろしいでしょうか?」
レオンハルトは震えながらも、丁寧な口調を崩すことなくフクロウにその正体を問う。
「いかにも」
大仰に純白の翼を広げその存在を誇示する。
「乱暴者の次は軟弱者とは……後継に恵まれぬな」
コイツ、黙って聞いてりゃ随分と言いたい放題じゃねぇか。
「レオは軟弱かもしれねぇが、それで皇帝の資質なしとは言い切れねぇだろうが!」
「す、ステラ! 『守護者』に対してなんてことを……」
軟弱というオレの言葉に凹んだ様子をうかがわせたレオだが、
今はそれはどうでもいい。
「魔物界隈のことは知らねーけどな、人間社会は強けりゃいいってもんじゃねーんだ!」
以前に南海諸島で干戈を交えた海王に限らず、
人の歴史を紐解けば、権力や暴力を頼みに悪政を敷いた権力者なんてのは、
枚挙にいとまがない。
「だいたい暴力なんてのは、統治者にとっては一番どうでもいい条件だろうが」
戦闘能力を担保するために国には軍があるのだ。
皇帝たるものは軍部を掌握できていればよい。
「長い間人の世を見てきたくせに、随分と料簡が狭いもんだな?」
「小娘……我を愚弄するか?」
「先に喧嘩を売ってきたのはそっちだろうが!」
「ちょ、ご主人!」
脚にクロがしがみ付き、
背後からテニアに羽交い絞めにされ口を塞がれる。
「なんだよ、ああいうわからず屋には一度きっちり言ってやらねーと」
「あ痛! 手を噛まないでよ」
言いすぎだっての。
もう少し相手と言葉を選びなさい。
テニアはそう口にしつつオレの頭に手刀を落とす。
「暴力反対」
「いやいや、今のは絶対ステラが悪いから」
『うむ。誰それ構わず喧嘩を売るのは感心せぬぞ』
「ぐぬぅ」
一同の呆れた視線がこちらに集中し、思わず口をつぐむ。
「……先ほどからそこな小娘ばかりが威勢よく囀っておるが、他の者はいかがいたした?」
「お尋ねしてもよろしいですか?」
あくまで丁重な姿勢を崩さないままにレオが問う。
「許す」
鷹揚な白フクロウにレオは感謝の意を述べて、続ける。
「今、あなたの足元にいる二人とは何かあったのでしょうか?」
「ふむ?」
フクロウが視線を足元に向けると、そこに転がっているのは一組の男女。
「こ奴らは我が力を欲してここまでやってきたらしいのだが」
あまりに無礼が過ぎるので軽く脅してやったという。
「軽く?」
その疑問は誰の声だったか。
見渡せば護衛は一人残らず壁に張り付けられており、
肝心の二人は倒れて意識を失っている。
「不要の誤解を招く前に答えておくが、命までは奪っておらぬ」
「左様ですか……」
命さえあればどうでもいいという魔物基準の温情を見せつけられ、
帝都育ちの皇子様が怯む。
「汝も我が力を望むか?」
「はい。帝国の危機を救うため、貴方のお力を借りたく思います」
「危機……とな?」
――何故そこで疑問形!?
「ヴァイスハイト、いえ足元の者から何も聞いておられませんか?」
「初耳である。続けよ」
――だから、何で初耳なんだよ! ヴァイスハイト何やってんの!?
場の流れを乱すツッコミは内心に秘めて。
守護者に促され、レオが帝国を襲った危機について告げる。
帝国南部に出現した黒いスライム状の化け物。
魔力が効かず、召喚術も受け入れず。
瞬く間に肥大化し、帝国の南方を食らいつくしつつある。
「召喚術が……ほう……」
考え込む素振りを見せる守護者。
まあ、そこは引っかかるよな。
魔物と召喚術は切っても切れない関係ゆえに。
「なんか心当たりとか無いのかよ?」
「ステラ=アルハザート!」
いちいち口調にいちゃもんつけてくるグリューネルトは置いといて。
「オレも実際に試してみたが、全然手ごたえがなかったんだ」
ほかにも南方で対峙した時の情報を補足する。
「我々は仮の名として『奈落』と呼んでおります」
「唯一効いたのは炎、それも魔術を用いないものだけだ」
「では汝らが我に望むのは――」
「我々人間が『奈落』を炎上させますので、風を操るという貴方の御力で炎を燃え広がらせていただきたく」
「ふむ……なるほど……」
大きな二つの目を閉じ、しばし自問に耽るフクロウ。
「長きにわたり我が守ってきたこの国を、訳のわからぬ怪異に好き勝手にさせるわけにはいかぬ」
「では!」
声に喜びをにじませる一同。
しかし――
「正当な契約者であればともかく、汝では足りぬ」
「えっ」
「さりとて足元で盗み聞きをしているこ奴らも不十分であろう」
「チッ」
ガバリと起き上がり、左手でマリエルを抱いて後ずさるヴァイスハイト。
右手は腰に佩いた剣にかかっている。
「汝は礼節に足るが、心に覇気は認められず」
ゆえに我を扱うには足らず、
「こ奴は武勇は優れども、心に邪な野望を抱いている」
ゆえに我を扱うには足らず。
「野望とは、いったい何のことだ?」
ヴァイスハイトが吠えて剣を抜く。
その仕草を鼻で笑い、
「お前は我が力を欲しているとは口にしたが、国を蝕む怪異については何も言わなかったな」
では、いったい誰に対して我が力を振るおうとしていたのか。
何のために『帝国の守護者』たる我の力を求めたのか。
「答えよ」
「お、オレは……オレだって南方を襲う化け物について説明するつもりでいたのだ」
それを聞かずに襲いかかってきたのはお前の方ではないか。
「お前の兄は、我が力を求める前に南方の危機とやらについて語っていたが」
そのほんのわずかな順序の違いに、ヴァイスハイトの内心が透けて見えるという。
ほとんど言いがかりに近いように聞こえるが、
『一理あるな』
――あるのかよ!?
上位の魔物の精神構造はよくわからんな。
「……その言いがかりを認めたとしても、帝国を救うためにはオレに協力せざるを得ないだろうが!」
「ほう……それは何故?」
「き、貴様の言葉どおりだ。我が兄では貴様を扱う心が足りない、と」
自分に対する放言は言いがかりに過ぎない。
ゆえに、危難を乗り越えるために手を貸すべきはこのヴァイスハイトであると。
「ふむ……それもまた然り」
「ありなのかよ!」
思わず叫んでしまった。
「確かに兄皇子の心には我を御する力が足らぬ」
しかしそれは補う方法を考えればよいこと。
「弟皇子の心は我が力を貸すには邪に過ぎる」
しかしそれは正せばよいだけのこと。
「我が力を貸すのは人の王、あるいはその後継者のみ」
王たるものの事情は理解した。病とあらば責めるわけにもいかぬ。
いまだ若気にして不幸に見舞われたがゆえに、
自ら後継者を定めることができなかったことも致し方なし。
なればここにある二人のいずれを主と定めるか、貴様ら人間が決めよ。
ホウホウと鳴きながら『帝国の守護者』と呼ばれたフクロウは、
とんでもない問題をこちらに放り投げてきた。