第31話 帝都再び その4
親父が迎賓館を去ってからすぐに、
今度はレオンハルトの訪れを告げる先ぶれがあった。
こちとら朝飯もまだだってのに、えらく気の早いことだと呆れたものだが、
これに色めき立ったのは、迎賓館に勤める侍女たちだったのは意外。
「ステラ様、出過ぎたこととは思われますが、その髪では……」
言われて自分の髪を撫でてみると、
エルフの里で乱暴に切り落としてから、
汚れは落としていたものの、ロクに手入れもしていないことに気付かされる。
「別にこのままでもよくないか?」
「とんでもございません!」
ド迫力で向かってくる侍女に押し切られる形で散髪。
肩のあたりで髪を切り揃え、もう一度風呂に入って、
ああ面倒だと呆れているうちにレオの来訪の時刻となる。
「やあ、ステラ。久しぶりだね」
「ああ、夜会以来か」
客室のソファに向かい合わせで腰かけて、
茶を用意した侍女が立ち去るのを待って話を聞くと、
やはり親父が先ほど口にした霊峰行きの件についてだった。
「なあ、どうしても行くのか?」
「そのつもりだよ」
口調は穏やかだったが、意思は固い様子。
「正直、お前がそこまで皇位継承権に固執するのは意外だ」
昔の記憶を探っても、レオはあまり皇帝位に執着を見せていなかったふうに思う。
それは母を幼くして失い、後ろ盾が弱かったがゆえに、
継母である現皇后の気を引かないようポーズを見せていたということだろうか。
「いや……別に今でもそれはあまり気にしていないのだけれど」
「じゃあ、なんでわざわざ今になって帝都を離れるんだ?」
意志は堅いのに覇気のないことをほざく第一皇子に問う。
朝からわけわかんない話を持ってくんなと叫びたい。
「『帝国の守護者』とやらには僕も会ったことはない。だからどういう存在なのかもよくわからない」
だけど、今回の南方奪還作戦の要となる存在であることは間違いない。
だからこそ、絶対にその力を借りなければならないのだが、
「ヴァイスハイトが無事に話をつけてくれればそれでよし、でも――」
「失敗した時を考えれば、自分が後を引き継いで尻拭いするわけか」
「もしも、の話だよ」
などと口では言っているものの、わざわざオレを引き連れてまで霊峰に向かうということは、
レオの中では失敗する可能性の方が高いと判断されているのだろう。
武断派のヴァイスハイトはそもそも交渉事には向いていないと見られている。
「ステラの中にはドラゴンが住んでいると聞いているけれど」
オレの目から見てエオルディアはどういう存在か、とレオが問う。
普通に頭を下げれば話を聞いてくれそうな印象かな、と。
「え……どうだろう?」
『契約者よ、そこは即答するところではないのか?』
翠竜の言葉の端々に、微妙な落胆を感じるのは気のせいだろうか。
とはいうものの、アールスの一件以来あまり頼みごとをした記憶がない。
……ないよな?
「エオルディアは……温厚で理知的な紳士だから、情理をもって話を持ち掛ければ聞いてくれると思う。多分」
『断言してほしいところなのだが』
「協力してくれるってさ」
『む』
まあ召喚できないからどっちみちダメなんだけど。
「それはありがたい話だ。では『帝国の守護者』についてはどう思う?」
レオの問いにエオルディアを『帝国の守護者』に置き換えて考えてみるも――
「わかんね。そもそも『守護者』ってのがどんな奴で何考えてるかも知らんし」
「だろう? 予測がつかないんだ」
「皇帝陛下の頼みなら聞いてくれそうな気もするけどなぁ」
曲がりなりにも代々契約してるくらいなんだし、
住み家として霊峰を提供し、皇家直轄地として人の出入りを制限してるくらいだ。
それほど悪い関係ではないだろうことは想像がつく。
「陛下の息子――というか次代の契約者候補にどう反応するか、か……」
普通に言うことを聞いてくれる可能性もあるし、
次の契約者の器を量ろうとしてくる可能性もある。
もちろん、直接契約しているもの以外の話は受け付けないと跳ね除ける可能性もあるわけだが。
彼らから見れば、人間なんて取るに足りない相手かもしれないし。
「そう考えたら、ヴァイスハイトだけでなく僕も足を運んだ方がいいと思えてきたわけ」
「なるほどなぁ」
念には念を入れる。
それはとてもレオらしい発想だ。
「これは誰かに言われたわけではないけれど」
レオンハルトは語る。
皇帝陛下が目を覚まさないうちに訪れた帝国の危機。
これに対処することなく帝都にとどまり続けることは、
南部の民よりも己の帝位に固執するように周囲から見られかねない。
例えば、ヴァイスハイトが帝都から離れた今になって陛下が目を覚ませば、
重臣一同は内心はどうあれレオンハルトに『皇家の書』の継承を勧めざるを得ない。
そうなればレオが棚ぼた式に『皇家の書』を継いだところで、
家臣の忠誠を得られるかどうかははなはだ疑問であり、
そこに『守護者』と話を取り付けたヴァイスハイトが戻ってくれば、
そちらを担ぎ上げてレオに譲位を迫るかもしれない。
「弟が霊峰に向かったと聞いたときは意外な気がしたけど」
ヴァイスハイトは皇后の後押しもあり権力欲も旺盛だ。
自分こそが次の皇帝になると信じて疑わないところがある。
「よくよく考えてみると、僕も帝都から離れざるを得ない状況に追い込まれてしまっていると気付かされた」
そこまで考えが及ぶとは兄として一本取られたと思ったよ。
などと、茶で喉を湿らせながら穏やかに語る。
――コイツ、本当に帝位に執着ねーな!
「あと、ルドルフあたりが考えてそうなことなんだけど」
僕ら二人の皇子のうち、最低でもどちらかは帝都から離れてほしがってるみたいだね。
今の帝都はいつ爆発してもおかしくない危険な状況。
皇帝陛下の状況が安全圏に持ち直すまでは、
後継たる皇子には安全なところに退避していてほしいのが本音だろう。
別にルドルフじゃなくとも重臣一同同じだろ、そんなの。
「そこまでわかっていながら、今まで帝都に残ってたわけか」
「いや、そうは言うけどね、ステラ。僕にだって皇子として仕事があるわけで」
皇帝陛下が倒れてからは宰相と協力して政務を取り仕切っている自分が、
そう簡単には抜けられない。
見通しも立たないままに帝都を離れれば、宰相以下行政府がエライことになってしまう。
「思った以上に危機的状況だな、帝国」
「本当にそう思う」
まさかこんなことになるとはねぇ。
父上がお倒れになるまでは考えもしなかったよ。
かつての己の暢気さに呆れるような声色。
「ステラの事情も聴いている。エルフの里には信頼できる人を送って様子を見てきてもらおう」
「お前がクロのことをそこまで気にするのはちょっと意外だ」
「そうかな? ステラのことを守ってくれた恩人だよ。大切な人――もとい猫じゃないか」
ここまで気を遣われると、正直断りづらい。
親父みたいにただ行けとだけ命令されれば反論は容易なんだが。
『契約者よ、ここは器の広さを見せるところではないか?』
エオルディアまで同調してくる。
――まあ、そうだよな……
これが、たとえオレの退路を断つためのレオの策略だとしても、
現実問題として有難いことは確かだ。
「……お前に同行するのはオレ以外に誰がいるんだ?」
「来てくれるのかい?」
レオの驚きと喜びが混じった表情に、
打算や計算の類は見当たらない。
コイツは、オレがついていくかどうか本当に不安に思っていたし、
オレが了承したことについて本当に感謝している。
――そういう所がなぁ……
「なんか放っておけないんだよ、お前は」
万全を期しているようで、どこか抜けているような不安がある。
安全な街の中ならともかく、得体のしれない『守護者』とやらがいるところに、
フラフラ足を踏み入れたりすると、取り返しのつかないことになるかもしれない。
――すまん、クロ。終わったらすぐ行くから、もうちょっと待っててくれ。
目蓋を閉じたまま眠る相棒の小さな姿が思い出され、
申し訳なさで胸がいっぱいになる。
流されるままに大概の距離が引き離されていくような、
漠然とした恐怖も、胸の内に存在しているままなのに。
「近衛から数名と宮廷魔術士団から一人、あとルドルフから騎士を借りる手はずになっている」
皇家直轄地である霊峰に危険があるとは思われないが、
それでも一国の皇子が旅をするにしてはずいぶんと数が少ない。
「そんなんで大丈夫なのかよ?」
「守護者の住み家に大人数で押しかけて騒ぎ立てるのも、印象が悪くなりそうだからね」
ヴァイスハイトの方はどうだったのだろうとか心配はあるが、
ここはレオの気遣い癖にケチをつけるところでもなかろう。
「それもそうか」
『帝国の守護者』と呼ばれるほどの存在の足元で、
危険を想定した大部隊を展開するのも考え物だ。
自分が信用されていないと『守護者』に思われるもの厄介。
この辺りの塩梅はややこしいのでレオに任せよう。
「準備もあるから、出立は三日後を予定している」
「了解」
こちらの用意は特にない。
あえて言うなら、街で旅装を整えて消耗品や保存食を補充しておくぐらいか。
「それじゃ三日後」
「ああ。それと……ステラ」
「なんだよ、まだ何かあるのか?」
「その髪型、似合ってるよ」
最後にそう言い残してレオンハルトは迎賓館を去っていった。
「そういうとこだぞ、お前……」
黄色い声を上げる侍女たちの様子を見て、思う。
いちいち一言多いんだよ、お前は。
溜め息出るわ、ホント。
次回より『帝国の聖域』となります。