第24話 妖精の里 その4
皇帝陛下の病を治すために薬師を派遣してくれると、族長は宣言した。
「長い間待たせてしもうて申し訳なかったのう」
「……どうしてですの?」
自身の説得の結果だろうというのに釈然としていないグリューネルトが理由を問う。
「わしゃ、今回の一件で本当に懲りたんじゃ」
若いエルフたちの傲慢なまでの排他性には目に余るものがある。
しかも彼らの意見の根源は、自分の経験に基づくものではない。
大半の若者は自ら森の外に出ることはなく、
思い込みで他者特に短命種を見下し排除する傾向にある。
この思想の歪みは種族にとっての危機になりうる、と。
つい先ほど、知らなかったとはいえ召喚術士に無謀な喧嘩を売り、
強かな逆撃を受けて命を失いかけた件は偶然とは呼べない。
同じことはいつでもどこでも起こりうる。
その根本にあるものは、積み上げてきた経験の絶対的不足。
本来ならば長命種の優位となるべき経験が根本的に欠落しているという事実。
「若いうちにこそ、多くの経験を積ませるべきなんじゃとようやく気付いたのよ」
かつて人間から迫害され、皇帝陛下の慈悲によりこの森に安息の地を得た頃の記憶を持つ老人たちは、
最初から薬師を早く寄越すよう訴えていたが、若者たちが強硬に反対してきた。
エルフ族はその特性により、若者の意見を強く退けることができないでいたのだが、
オレに絡む暴力的なアレコレによって、その危険性が表面化してきたと言う。
「というわけで、薬師だけでなく若い者も同行させるつもりじゃ」
薬師の派遣に合わせて若い者たちに社会を学ばせる機会とさせてもらうから、
そちらが心苦しく考える必要はない。
面倒をかけることになるが、容赦してもらいたい。
「儂らは長命種であるがゆえに、環境の変化にはひと際敏感であらねばならんのじゃ」
そうでなければ、生き残ることは難しい。
永きに渡る寿命など、鉄の一撃で容易に失われてしまうほどの優位性でしかない。
そこに命に長短は関係ない。
今のエルフの安定からしてその根源は人間、
代々の皇帝との関わりの中で生まれたもの。
自分たちの尺度で世界を図ることの愚かしさを若者に教え込まねばならない。
その顔は孫を想う祖父のものではなく、一族を率いる長として強い口調で断言する。
「ま、まあいいんじゃねぇの」
どうせオレには関係なさそうだし。
あの孫とやらが長になる頃には、
今の世の人間は残らず死に絶えている気がする。
とはいえ、まあ未来の人間のためということで、
族長の提案を受け入れるのはやぶさかではない。
「しかし、それでは……」
なぜか食い下がるグリューネルト。
「せっかく来てくれるってんだから、素直に『ありがとう』って言っとけばいいだろ」
いったい何がそんなに引っかかるってんだ?
「……いえ、何でもありませんわ」
「なんのなんの、こちらにとっても渡りに船じゃからの」
種族に蔓延る悪習を一掃する機会を得られたと思えば、
禍を転じて福と為すといったところか。
これは族長の命令として会議を通すことなく強行する。
準備が整うまでに数日かかるだろうから、それだけは待ってほしい。
年老いたエルフの長は、そう言って再び頭を下げた。
☆
「わがまま言うなっての、この……」
「その言葉、そっくりそのままあなたにお返しいたしますわ!」
「いや、アンタら二人とも落ち着きなよ」
族長がエルフたちの説得に向かい、割り当てられた客間に荷物を置いたオレ達は、
今後のそれぞれの動きについて話し合いの場を持ったわけだが……
「クロが動けないんだから、オレは残らないとダメだろ!」
「エルフの説得を成し遂げたのは、結局あなたでしょうステラ=アルハザート」
「フルネーム呼びウザい」
「なんですって!」
「……いい加減にしな!」
口論がヒートアップするオレとグリューネルトの頭に落ちるテニアの手刀。
「いってー、何しやがる!」
「無礼ですわ……無礼ですわ……」
互いに頭を押さえながら加害者を睨むと、
「二人とも仕事を終えたんだから、ちゃんと自分で報告に行かないとダメじゃん」
特にステラ。
南方伯が何のためにアタシらを逃がしてくれたと思ってんの。
「……それを言われると辛いんだが、クロがさ」
「もしステラが先輩を理由に仕事を放棄したら、先輩きっと悲しむんじゃないかな?」
「グッ」
テニアの諭すような言いぶりが、大きな目に涙を浮かべたクロの様子をありありと思い浮かばせてくる。
クソッ、この圧倒的説得力ときたら!
『こ奴の言うとおりぞ、契約者』
「あがっ」
「そら見なさい、あなたが戻ればいいのですわ」
「いやいやアンタも戻りなよ、お嬢さん」
「気やすく呼ばれる筋合いはございません」
ツンと視線を逸らしテニアの追及を逃れようとするも、
「報告まできちんとこなして初めて一人前だよ」
期待してくれている将軍や実家の連中、
わざわざ同行してくれている護衛たちの想いを裏切るようなことは、
多分あんたのためにはならないと思う。
グリューネルト本人の意向ではなく、
周りの人間を使って選択肢を奪いにかかるやり口は、
思いのほか効果があったようで、
「……わたくしにどの面下げて帝都に戻れと言うのです」
長い時間をかけた説得に意味を見出すことができず、
自身の成果であると胸を張ることができない。
グリューネルトはそう零す。
「エルフは協力してくれることになったんだから堂々としてなよ」
「でも、それは……」
「ステラもそれでいいよね」
「ああ」
同行した人間全員の口裏を合わせておけば、
グリューネルトの功績に影が差すことはない。
もちろんサスカス家の護衛達は喜んで協力することだろう。
「というわけで、アタシが残るから」
「なんでそうなる!?」
「いや、だって先輩が目を覚ましたときに、傍に知ってる顔がなかったら不安じゃん?」
「だったらそれはオレが」
「だ~か~ら~、アタシとステラじゃ立場が違いすぎるってこと!」
言い方は悪いが自分とクロは帝国から見れば重要度が低い。
戻って来ようが来なかろうが、おそらく誰も気にしないだろうと、
栗色のポニーテールを弄りながら言葉を重ねてくる。
――納得させられちまうのが、物凄いムカツク……
『黒猫が心配であることは理解できるが、この娘の言うとおり汝を護った猫の心情を慮るべきだろう』
魂の中のエオルディアまで、テニアに同調してこちらに向かってくる。
「う……ぐぐ……」
音が聞こえるほどに歯ぎしり。
短くなった髪を掻きむしり、木造の天井を仰いで――
どうにもならない現実に、ガクッと力が抜けた。
「わかったよ。戻ればいいんだろ、戻れば」
「……不本意ですが、致し方ありません」
「「はぁ」」
期せずしてため息が重なるオレとグリューネルトであった。
「言うまでもないことだけど、あの黒いスライムが来たら逃げろよ」
「そっちこそ、外に出たらまた襲われかねないんだから気を付けてよ」
黒マントに白い仮面のダークエルフたち。
まだ結界の外で待ち構えているのだろうか。
……雨の中ご苦労なこった。
「今度会ったら一人も逃がさねぇ」
「……帝都に戻るのを優先しなよ」
再度テニアの手刀が頭に落ちた。
☆
翌朝、一族を説得した族長たちに見送られながら結界の狭間に向かう。
今回の帝都行に参加するのはオレとグリューネルトおよびその護衛騎士たち。
そしてエルフの薬師たちと先日熊が投げ飛ばした族長の孫含む若いエルフ数名。
総勢で二十名ほどの部隊を、ダークエルフの襲撃に備えてエルフ族の精鋭が森の外まで護衛する。
出発直前に療養中のクロの様子を見に行った。
もちろん起こさないように細心の注意を払いながら。
あれほど荒々しく儚げだった吐息は安らかになっており、
顔色のほどはうかがえなかったが、表情は穏やかで、
規則的に上下する胸元を見る限りでは、
今にも目覚めるのではないかという期待をうかがわせてくれた。
「テニア、くれぐれも……」
「先輩が起きたらすぐ戻るから」
「絶対、絶対だぞ」
「ステラ、しつこい」
「……ついでにお前もちゃんと帰ってこいよ」
「前から思ってたんだけど、ステラってアタシに当たりキツくない?」
「気のせいだろ」
エルフ族の方でも、
「ちょうどいい機会じゃ、お前たちは一度外の世界を見てくるとええ」
「族長、お言葉ですが……」
「言い訳は聞かん。薬師たちに協力して陛下をお助けするまで帰ってくるな」
「そ、そんな……」
項垂れる若人たち。
――族長、結構きついな……
「さて、みな様よろしいですかな」
「こっちは大丈夫だ」
グリューネルトの方に目をやれば、緊張しつつもうなずいてくる。
「我々が森の中で後塵を拝すとは思いませぬが、ダークエルフも相当な手練れでしょう」
帝都にたどり着くまでくれぐれも気を抜きませぬよう。
護衛を率いるガタイの良いエルフが深みのある声で一同に語り掛ける。
「ああ、色々と世話になっちまったな。あと……」
「はい。ケットシー殿は責任をもって看病させていただきます」
薬師の見習いらしい若い女エルフが頷く。
その顔には、村長の孫のような隔意は見当たらない。
――信用……するしかない。
「悪い。よろしく頼む」
これ以上は未練だ。オレの我儘でもある。
何より、クロはオレがここに残ることを望まないというテニアの説得が効いた。
――すぐ戻ってくるからな。ちゃんと目を覚ませよ、クロ!
挨拶を済ませ、エルフから借り受けた樫の杖を握りしめて――
「よし、森の外までは一気に行くぞ!」
「了解!」
護衛達が慎重に結界の光を潜ってゆく。
どんどんと人が、エルフが飲み込まれてゆき――いよいよ、オレ達の番だ。
『万象の書』を呼び『証』を手に召喚準備。
――帝都まで突っ走る!
そのまま輝きの中へ――ダークエルフと戦った森へ――再突入だ!
次回より『帝都への道』となります。