第9話 平穏への帰還 その4
「ポラリス、戻ったの?」
スープを啜っているところに掛けられた、透き通るような声。
振り返ると、マントを纏った細身の人影ひとつ。
同性として、その手入れの行き届いていない銀色の髪を見るたびに、
力づくで風呂に突っ込んで、ピカピカに洗い清めてやろうかと思わされる。
せっかく綺麗な顔立ちをしているというのにもったいないことこの上ない。
せめて髪を整えろと言ってやりたいが、それを口にするのは憚られる。
長い銀髪に隠れて見えづらいい彼女の耳は、普通の人間よりもほんの少しだけ尖っている。
ハーフエルフ。
人間とエルフの間に生まれた少女。
人間と比して優れた魔力と長い寿命を持ち、
エルフと比して頑強な体躯と短い寿命を持つ。
どちらの生命と比しても交わるところのないハーフエルフは、
ゆえにどちらの社会からもはじき出されることが多く、
身を隠すように人間社会に息を潜めている。
人間社会はまだマシだが、エルフの社会は他種族には厳しすぎる。この宿は例外。
主であるおやっさん一家も、客も誰一人として彼女を咎めはしない。
リデルに限らず、どんな事情があろうとも差別するような奴はいないし、
下らないことを抜かす奴は、そもそもおやっさんに叩き出されてしまうのだけど。
主に斥候、あるいは精霊術に長けたハーフエルフという種族は、
既に述べたとおり、それぞれの種族から社会的に排斥される傾向があるが、
オレの個人的見解を述べるならば、人間とエルフのハイブリッドという認識が強い。
――決して口には出さないけれど、羨ましいと思ったこともある。
「ああ、リデル。久しぶり」
リデルという名の少女(見た目は同年代だが、多分オレよりだいぶん年上)はこちらを見ることなく、
返事を返すこともなく、横で酒を嗜むクロに金色の瞳から視線を送る。
ピコピコ、ピョコン。
リデルの横に尖った耳と、クロの縦に尖った耳が上下左右に動く。
しばし無言で両者は向かい合って耳を震わせ続け――そして握手。
「ボクはリデル。よろしく」
「吾輩はクロフォードですニャ」
――通じ合ったのか、今?
ケットシーは猫型の妖精種。ハーフエルフもまた半分は人型の妖精種。
同じ妖精種同士で何やら儀式めいた風習があるのかもしれない。
繊細な部分かもしれないので、細かいことを考えるのはよそう。
「美味い話には裏がある。今のポラリスじゃ無理」
クロの横に座ってオレ達と同じメニューを注文したリデルは、
現れた大ジョッキをこちらに押し付けてくる。
「オレ、酒はもう……」
「冷やして、お願い」
――この酒飲みどもめ……
内心思うところはないではないが、色々世話になっているリデルに文句を言うのは差し控え、
渡された麦酒を魔術で冷やして返す。
「精霊術で冷やしたらいいじゃん」
「水の精霊はお酒が嫌い」
「じゃあ、酒の精霊だ」
「そんなのいない」
腸詰を口に放り込み、麦酒を流し込んでリデルは答える。
そうして、しばし喉の渇きと腹の飢えを満たしてから、唐突に問うてくる。
「ポラリス、暇?」
「飯食ってる」
匙を咥えながら一言。
「さっさと機嫌治す」
左手を伸ばして、クロの頭越しにオレの桃色の頭を撫でてくる。
なんかこう、姉貴みたいな感覚。
実家にいたころは親父にぶたれた記憶しかないんだぜ。
「もし余裕があるなら、ボクの仕事を手伝ってもらおうかと」
「ほう、仕事」
ダンジョンから帰ってきたばっかりで休みたいところではあるが、
おやっさんからいいネタを手に入れられなかったわけで、
「う~ん、内容次第かなあ」
「薬草採取」
薬草採取か……
基本中の基本ともいえる仕事の一つで、
危険度は低い反面、儲けはそれほど大きいとは言えない。
でも、リデルならオレの知らないような、いい採取地を知っている可能性はある。
金にならなくても、簡単な軟膏を自作するだけでも節約にはなるから、
手伝って損をするようなこともないだろう。
体調が回復しきってない間に受ける仕事としては上々の部類に当たる。
ダンジョンから戻っていきなり魔物討伐なんかやるのは少々ヘヴィだ。
「どーすっかなぁ」
「なあなあポラリス、俺らの仕事手伝ってくんねぇ?」
喧騒覚めやらぬ団体席から、突然飛び込んでくる軽薄そうな男の声。
振り向いてみると、顎に無精ひげがちらりと見えるひょろ長い背格好の男。
グレッグという斥候で、ここの常宿客の一人。
普段は魔物討伐を主に引き受けているせいであまり縁がないけれども、
この宿でも一二を争うほどの腕利きパーティの一員だ。
「そっちの手伝いって、何?」
リデルからの話は脇において、グレッグからのネタを吟味する。
どちらか、自分にとって具合のいい仕事を選びたいところだ。
「いや、今俺ら『黒蛇党』ってのを追いかけててさ」
『黒蛇党』って何かと問えば、かなり質の悪い人狩り連中らしい。
一人一人がかなりの腕前の持ち主で、メンバー全員が身体のどこかに黒蛇の入れ墨を施しているという。
ダンジョンの中で人を襲い、装備から有り金まで丸ごと奪う。
中には奴隷として売り飛ばされた者もいるらしい。
最近この辺りで姿を見たものがいて、街中の賞金稼ぎ達が色めいているという。
――黒蛇の入れ墨って……確か……
「ポラリスを囮にしようって算段か、グレッグ?」
カウンターの向こうから低く唸るようなおやっさんの声。
あからさまに不機嫌で、常連客のざわめきがピタリと止まる。
「え、あ、いや、そんなつもりは……すんません」
「……ならいい」
ただの一言であっさり引き下がるグレッグ。図星かい。
まあ、確かにオレを囮にすればうまい具合に釣れたとは思うが、
めんどくさいので何も言わない。
不埒なことを考えたグレッグ一行にはもうしばらく無駄足を踏んでもらおう。
「ボクは……しばらくしたら別の仕事に手を付けることになるから」
その時はオレが引き継いで薬草を街に供給してほしい。
麦酒を飲み干し、おかわりを頼みながらリデルはそう続けた。
「そこまで言われちゃ断るわけにはいかねーな」
「ありがとう、ポラリス」
ジョッキを傾けたままのクロの頭の上でハイタッチ。
「ところで、次の仕事って何?」
薬草採取は、この宿では長い間主にリデルが専属で受け持っていた仕事。
それを引き継ぐほどの案件となると、本人も本腰を入れて当たることが予想されたけれども、
「秘密」
息を吹きかけるように答え、人差し指を口に当てて笑う。
そう言われると、それ以上突っ込むのはマナー違反。
――そういう仕草の一つ一つが絵になるなぁ。
さすが大人の女というべきか、一つ一つの動作に色気を感じてドキドキする。
見惚れていたら、またジョッキが差し出された。
「はいはい、冷やしますよっと」
「お話は終わったかニャ?」
こちらもずいとジョッキを差し出してくる赤ら顔のクロ。
息が酒臭い。
――飲んでるなぁ、コイツ。
チラリとカウンターを見ると積み上げられている腸詰の皿。
軽くため息をついて、二人分のジョッキを冷やす。
「それでは、もう一度」
「「乾杯!!」」
隣の席から漂ってくる香ばしい腸詰の臭いと音を肴に、
パンをちぎって口に運び、すっかり冷めてしまったスープを口に運びながら、
二人の酒飲み妖精が酔いつぶれるまでジョッキ冷やしを繰り返すのであった。
今夜のメモ:妖精族は飲み始めると止まらない。